神功皇后の祖父にあたる迦邇米雷王 (かにいかずちのみこ)(稚筒城王)を主祭神とする朱智神社(しゅちじんじゃ)を訪れました。


[祭神 迦邇米雷王 素戔嗚命、天照國照彦火明命(ニギハヤヒ)]


京都府京田辺市にあります。合併して京田辺市になるまでは、綴喜郡(つづきぐん)と呼ばれていました。迦邇米雷王は別名 稚筒城王とも言われ、父の山代之大筒木真若王にも「つつき」の名前が見られます。


(神功皇后の孫にあたる)仁徳天皇の時代に、この地より西方の西峰山頂に創建、宣化天皇元年(535年)この地に移され、朱智天王と称したとあります。


※仁徳69年創建当初、筒木真若王と迦邇米雷王の二柱を祀ったという伝承も有。


近くの普賢寺(現観音寺)の山号も息長山と言い、まさにここは(山城)息長氏の本貫地と言えます。




息長氏の系譜





鳥居は明神鳥居

車でも行けますが、村落の中のかなり狭い急な坂道が続きますので、運転に自信のない方は歩くことをお勧めします。 




山中にあって、木々に覆われ空気が澄んでいます。




拝殿




本殿 慶長17年(1612年)再建とあります。桃山様式一間社流造 檜皮葺き




701年に素戔嗚命の神託によって時の郡司 息長兼理が大宝天王社を建立。793年大宝天王社を遷座し朱智天王とともに祀った。平安時代に入り、空海が当社を訪れ、素戔嗚命を牛頭天王に配した(置き換えた)以降牛頭天王と称した。祇園祭の際には当社の榊が祗園社に移される神事「榊遷」が朱智家、息長家の人によって執り行われた。1868年の神仏判然令により1873年天王社から朱智神社へ社名を戻したと伝承されています。



神仏習合によって、各地の素戔嗚命を祀る社が牛頭天王に置き換えられていったことは、別の機会に書きたいと思います。



迦邇米雷王を主祭神として、素戔嗚命が共に祀られているのは上記の事でわかりますが、もう一柱 天照國照彦火明命(ニギハヤヒ)が祀られています。


息長氏や神功皇后ゆかりの神社は、饒速日命や天磐船32人の伴緒者の神が共に祭られているケースが多いのが興味深いです。




もうひとつ。

朱智という名についてです。

なぜ朱智と言うのか?


私見ですが、

朱は赤土・丹砂・ベンガラなど。息長氏は製鉄や丹生(にゅう)とも関連があります(このことは後日書きます)。

そして、神産みでイザナギ・イザナミから生産まれた木の神 ククチノのチが智と表されたのではないでしょうか。『古事記』では「久久能智神」、『日本書紀』では「句句廼馳と」記されています。

兵庫県西宮市には久久能智神を祀る公智神社(くちじんじゃ)というのがあるそうです。

この地も地名や、大筒木真若王、 稚筒城王( 迦邇米雷王)の名前からも、 おおいに木に関連がある所です。