磯良神社 (いそらじんじゃ) 通称 疣水(いぼみず)神社)を訪れました。


御祭神 磯良大神


大阪府茨木市三島丘1-4-29




拝殿 やはり船をイメージしたのでしょうか。恰好良い建物です。



本殿 八幡造(木に隠れて見えませんが)



鳥居 明神鳥居



磯良大神は安曇氏の祖として知られ、また住吉三神とともに神功皇后三韓への御征途に際し、水先案内をされて航海の安全に功があったと伝えられます。


磯良(いそら)神社はもともと茨木市内に三社ある(西福井・宿久庄・西河原)式内社・新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)の境内社であったが、寛文九年(一六六九)天照御魂神社(西河原社)が現在の地に御遷座されてより相離れて今日に至っているとのことです。


磯良神社の本宮とも言える新屋坐天照御魂神社の社伝によれば、崇神天皇の御代に神が当地に降臨し、同天皇の7年に伊香色雄命に勅して祀らせたのが始まり。


景行天皇20年には、この神を天照皇大神と称して皇女五百野媛に祀らせた。神功皇后の三韓出兵の際、当地の川原で禊をして当社を祀り、凱戦後に当社祭神の幸魂と荒魂を西の川上(宿久庄)と東の川下(西河原)に分祀したとあります。






手水舎と御神水拝受所



御神水 疣水拝受所



霊泉玉の井


霊泉玉の井の伝承


神功皇后(じんぐうこうごう)が戦に行く時、自分が女であることから、このままの姿では敵に嘗(な)められるので、男装をし、顔をいかめしくするため疣(いぼ)を身につけようと思い、通りかかったこの神社に立ち寄り、祈願して社の前から湧き出ている清水で顔を洗いました。


すると、美しかった顔がたちまち大きな疣だらけの黒い顔となりました。戦いが終り、磯良(いそら)神社に戦勝の報告をしたあと、再び社前の清水で顔を洗うと、いままでの醜い顔が消え去り、もとの美しい姿に戻ったので喜び勇んで大和の王城に帰りました。


後に磯良神社は、疣水神社と呼ばれ、遠くからもこの清水をくみ取りに来る人が見られるようになりました。また昔は桜の名所で、花見時には遠近から大勢の人が花見に来て、桜の下で酒宴を開き、数日間大変にぎやかだったそうです(茨木市HPより)。






住吉神社 住吉大神 神功皇后


地元では磯良神社よりも「疣水(いぼみず)神社」で知られています。参拝される方も、御神水の伝承で神功皇后は知っていても、安曇磯良の事を知らない人は多いんじゃないでしょうか。


なぜ茨木に海人である安曇氏の祖人が祀られているのか不思議に思いましたが、白村江の戦いに敗れた安曇族は全国各地に移り住んだと言われていますので、茨木にも一族の者が住み着いたのかも知れません。


記紀では、神功皇后は三韓遠征には敦賀から向かわれたとあり、おそらく茨木は通っていまいせんから、これは後世に移住してきた安曇一族に伝わる伝承が、この地でも受け継がれたと考えるのが自然な気がします。