息長足姫(おきながたらしひめ)の父は開化天皇玄孫の息長宿禰王(おきながすくねのみこと) 、母は天日矛 6世孫 葛城高顙媛(かつらぎのたかぬかひめ)です(記紀)。

母 葛城高顙媛の名前は、 葛城の高顙邑(たかぬかむら)の姫という意味だと思います。

応神朝から雄略朝に天かけて天皇に匹敵する勢力を誇った豪族 葛城襲津彦(一説には、神功皇后の夫仲哀天皇と同人。あるいは神功皇后が産んだ応神天皇の本当の父親とされる武内宿禰の子)から始まる葛城氏と区別する為に、仮に(原)葛城氏としてその出身氏族を。また、『記紀』に記される天日矛の後裔として神功皇后の母 葛城高顙媛を 探ってみたいと思います。



一、(原)葛城氏

奈良と大阪の県境にある葛城山。かつては単体の山ではなく、北の二上山から南の金剛山までを葛城山と呼んだそうです。この地は今でもサンドペーパーなど研磨材として使われる金剛砂や、石器として優れたサヌカイトを産出し、古くは縄文時代から開けた土地でした。

天磐船で神武より先にヤマトへ東遷した饒速日(にぎはやひ)の子 天香語山(あめのかごやま)の後裔は、神武東征の論功行賞で葛城国造に任じられた地神 剣根命の子孫と通婚を重ねて勢力基盤を確立。後に尾張氏となって東国に広がります。葛城での本拠地は高尾張邑 です。

(続)






竹内街道 河内側から望む二上山