古代の人々の実像を知る上で、どこで、どれくらいの人が暮らしていたかを知りたいと思っていたら、良いサイトが見つかりました。
人口の超長期推移








本文によると、縄文以前は東高西低で、縄文中期には東日本が25.2万人、西日本が9500人。縄文中期~晩期にかけて東西が逆転し、東日本では9割減、西日本では2倍の増加となったらしい。稲作と共に大量の渡来人が流入し、弥生時代から奈良時代にかけて150万人もの人間が朝鮮半島を経由して日本に移住、定着した(533年に十数万人が大量移民)。邪馬台国記述が180万人、弥生後期が220万人、奈良時代で600万人、平安時代で684万人となっている。(平城京が7万4000人、平安京が12万人)。

統計資料と計算方法によってかなりの誤差は出ますが、律令制の戸籍や、中世以降に記録として残るものから逆算しても、全体の数字としては全く的外れとは言い難く、長い歴史の流れをとらえる一資料として価値があると考えます。


ただ、縄文後期の人口激減や、150万人渡来人の数は、現在の日本のY染色体ハプロタイプの分布では説明がつかない数です。  


別のHPに記載されていた説が、私にはしっくりきたので、そちらもご紹介しておきます。

参考HP 日本人の起源








まぁ、いずれにしても、神功皇后の時代(私説では400年前後)の人口は、おそらく全国でも200~300万人程度であったと思われます。

その程度の人口で、3世紀半ばから7世紀初め(畿内では6世紀央) までの約300年余りに、現在確認できるだけで4800基もの前方後円墳が存在し、その他を合わせると数千もの大規模な古墳をつくり続けた「古墳時代」とは、いったいどういう時代だったのだろうと、ますます興味がわいてきます。

表面積では世界最大の陵墓 仁徳天皇陵(大山陵)は、大林組による試算によると、古代の工法そのままで現在実施すれば、1日あたりピーク時に500~2000人を動員したとして、延べ680万人、工期は15年8ヶ月、総工事費796億円にもなるそうです。