研修医ノート -467ページ目

マスモス新聞第17号

今月号はバレンタイン特集です。看護師さんたちの評価は、「スルメみたいにネタが凝縮されすぎていて、お年寄りの読者は咀嚼できないだろう」とのことでした。スルメがイカんのは、アタリメえよ。失礼しましたm(_ _)m


マスモス新聞第17号(平成27年2月1日発行)


医学マンガ『いが君』


まる子とヒロシのおまけコーナー


まる子「お父さんは子供のころ、バレンタインチョコ何個くらいもらってたの?」
ヒロシ「ん? まあ、なんだ、アレだ。量より質ってやつだ。女ってのは、たいてい育ちのいいボンボンの方が好きだからな。」
まる子「ええ? 男だってそうじゃんか。きれいな服着て、ピアノとバレエをたしなむお嬢様は、モテることが多いもんね。」
ヒロシ「多数に埋もれないオンリー・ワンのチョコレートボンボンは、歯茎から血の出る甘美さだったことよ。」
まる子「歯槽膿漏かい! 歯磨けよ! 風呂入れよ! 宿題やれよ! でもお父さんは子供の頃からお酒が好きだったんだね。」
ヒロシ「酒?」
まる子「チョコレートボンボンはお酒が入ってるチョコのことでしょ?」
ヒロシ「お、おうよ。ボンボンが好きな酒の入ってるチョコだ。」
まる子「……。お父さん、本当にチョコもらったことあるの?」
ヒロシ「それは、その、いわゆるひとつの仮想現実ってなもんだ。」
まる子「ま、まさか、今した話はぜんぶ妄想だったの!?」
ヒロシ「甘いチョコの話も辛辣に表現すればそうともいうな。」
まる子「収穫皆無か…。ゼロ個のチョコの『量より質』って…。」
ヒロシ「うん、チョコは血流サラサラ効果があって、血管が詰まりにくくなるから、有機栽培・低脂肪・低糖の質の良いのがいいな。」
まる子「いや、だから、質も何も、チョコは無かったんでしょ?」
ヒロシ「詰まるところ、血管詰まんなきゃ一緒じゃねえか。」
――男がつまらない屁理屈をこねたときには、サラサラと受け流すのが得策だな、と学んだまる子である。
発行者:E.coli(医師・薬剤師)

平成二十七年、家族への年賀状

今年は家族への年賀状は四コマ漫画でした。


①嫁への年賀状
「ピアノ発表会 妖怪ウォッチ編1」


②下の子への年賀状
「ピアノ発表会 妖怪ウォッチ編2」


③上の子への年賀状
「ピアノ発表会 妖怪ウォッチ編3」


④おまけ
「ぶとう会 ポケモン編」

ハピネスチャージプリキュア



今朝放送されたハピネスチャージプリキュア第47話「ありがとう誠司 愛から生まれる力!」は、いまの世の中にあふれているサイコパスのことを暗示していると感じました。

これは現代の精神医学の通説とはひょっとすると相容れないかもしれませんが、サイコパス(psycho-passではなくpsychopathの方)はパーソナリティ障害と良心の発達障害とに大別され、日本の現状では前者の方が多数派だと思っています。そして、僕の臨床的感覚ではパーソナリティ障害のサイコパスは軽症も含めると日本人の10人に1人に存在し、罹患者をストーカーやモンスタークレーマー、毒親的養育、ドメスティックバイオレンスなど他人を傷つける行為に走らせる主因のひとつになっています。

パーソナリティ障害は、岡田尊司『パーソナリティ障害』にあるとおり、幼少時に不適切な養育を受けたために、愛に飢えた心が憎しみや怒りを結晶化させたものです。本来それらの憎しみや怒りは養育者に向けられるべきですが、なぜか多くの場合無意識下の奇妙な昇華によって他人へと投射されることになります。パーソナリティ障害は複数併発することもまれではなく、愛の飢餓によって自分を肯定する気持ちが健全に育たずにむしろ代償的に病的に肥大化し、病識が乏しくなる自己愛性パーソナリティ障害を併発していることも少なくないです。そのため、多くのパーソナリティ障害患者は自分がおかしいのではなく周囲がおかしいと思い込みがちで、他人からの諭しや教育や指導、あるいは脅迫や暴力によってさえも、病んだ考え方を打ち壊すことが非常に困難になります。

ハピネスチャージプリキュアでは、憎しみと怒りを司る神・レッドに洗脳されて悪玉となった誠司の「憎しみの結晶」を、プリキュアたちは最初は力で打ち砕こうとしますが、失敗に終わります。「憎しみや怒りは神が創ったものだから、打ち壊すことは不可能だ」というレッドの言葉は、パーソナリティ障害の病態の本質を突いています。それでもキュアラブリーは屈せず、誠司の怒りや憎しみから生まれるぶつかり合いも、一緒に学校に行ったり星空を見上げたりすることと本質的には変わらず、そもそもそれらがすでに愛なのだと気づき、怒りや憎しみも彼の心の一部だとして受け入れることを覚悟して、身を挺して彼の心と「憎しみの結晶」を受け止めます。やがて誠司はキュアラブリーのイノセントな愛に気づき、心動かされ、打たれて、憎しみと怒りによる支配から解放されます。誠司が「憎しみの結晶」を克服するこの過程は、パーソナリティ障害からの更生に通ずるものがあります。

パーソナリティ障害のうち、サイコパスとして他人に害を及ぼす可能性の特に高いものは自己愛性、妄想性、反社会性の各パーソナリティ障害でしょう。岡田尊司『パーソナリティ障害』で紹介されているそれぞれの克服法で共通しているきっかけは、ありのままの自分を他人から受容され是認される体験により愛の飢餓を満たすことです。そして次の段階で、愛に飢えるあまりに無意識にそれを求めて戦い続ける生き方のむなしさに気づき、世の無常を悟ることが必要になります。世が無常であれば、有限の日常を平凡に共有していることは愛そのものとなるでしょう。なぜなら、平凡な日常は愛によってしか存続し得ませんので。たとえば、あなたは誰かの食べ物にこっそり有害性が発覚しにくい毒を入れても現世ではとがめられることはないだろうに、または誰かを貶める噂を匿名で発信しても現世ではとがめられることはないだろうに、ひいては誰かを人気の無いところに連れて行って身ぐるみ剥がしても捕まる証拠を残さなければ現世ではとがめられることはないだろうに、あなたがそれを実行しないのは、ひとえにあなたの心にその誰かへの愛(仏教でいう仏性、キリスト教でいう三位一体のspirit)があるからでしょう。人が平凡な日常を送る際には、他人からの膨大な愛を受け取り続けていることになります。キュアラブリーが誠司と一緒に学校に行ったり星空を見たり、あるいはぶつかり合ったりする日常が、すでに愛そのものだというのは、そういうことでしょう。

一般に、サイコパスとは一線を画して親密になり過ぎない方がいい、とされている考え方には一理あります。サイコパスのうち、良心の発達障害にはむやみに近づかない方がいいでしょうし、パーソナリティ障害にも心理技術が未熟な人や覚悟の無い人が下手に触れると火傷しますので。ただ、岡田尊司『パーソナリティ障害』の中で「パーソナリティ障害を克服した人は、とても魅力的なパーソナリティとして円熟する。」とされているとおり、それを克服できた人はとても深みのある信頼や愛情に篤い人になります。そして、今回のプリキュア第47話の示すように、そのような社会の病理を生み出すのも、それを財産に転換できるのも、同様に愛のあり方次第なのです。このことがもっと広く知れ渡ると、サイコパス(パーソナリティ障害)の人も「普通の人」もお互いもっと楽に生きられるんじゃないかと思います。

プリキュアは、単なる子供だましの娯楽ではないし、アニメオタクたちのロリコン心を満足させるだけのものでもありません。


(追記2015-1-15)
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