ドミトリー・マスレーエフAdmirers Site of Japan は以下のページに移転しました。


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移転先のページに9月10日、ボリス・ベレゾフスキーとの共演による演奏会の配信情報をアップしました。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。
ドミトリー・マスレーエフ(Dmitry Masleev)は8月上旬、在モスクワ音楽事務所「Artclassicbase」所属アナウンサーのエフゲニー・ズラチン(Evgeny Zlatin)にインタビューを受けました。以下要約です:

EZ:皆様こんにちは、夏が続いていますが我々も素晴らしい音楽家へのインタビューを続けます。最初に今日の収録場所を提供してくれたヤマハセンターに感謝します。
今日は第15回チャイコフスキー国際コンクール覇者のドミートリー・マスレーエフにお越しいただきました。ドミトリー、今日は忙しい中インタビューの時間を取ってくれてありがとう。今シーズンが終わったばかりと聞きました。

DM:ええ、昨日モスクワに着きました。

EZ:今季のラストはどうでしたか?

DM:ヴェルビエ音楽祭での演奏でした。ヴェルビエ音楽祭には初めて参加し、とても良いシーズンクローズになりました。

EZ:現地の雰囲気はどのようなものでしたか?

DM:初日は大変でした。通常通りリハーサルを行い、2つの演奏会が終わって初めて休息を取り山にも登りました。

EZ:何を演奏したのですか?

DM:初日はヴァイオリンとのデュオでした。マルク・ブシュコフ(Marc Bouchkov)とショスタコーヴィッチ、シューベルト、ブラームスを演奏し、翌日はリサイタルでミャスコフスキー、メトネル、プロコフィエフ、フィルチュ、ショパン、リストを演奏しました。

EZ:聴衆の反応は?

DM:とても良く応えてくれました。

EZ:貴方は今素晴らしい音楽家としての人生を歩んでいます。そこでピアニストの一日はどういったものか教えてください。演奏会の無い日をどのように過ごしていますか?

DM:今日は演奏会の無い日です。(笑)休暇初日なのでおそらく練習しないと思いますが・・・(ピアノの方を振り向いて)もしかして少しピアノに向かうかもしれません。
普段は出来る限り練習しなくてはなりません。

EZ:朝起きてコーヒーを飲んで・・

DM:いいえ、お茶を。

EZ:紅茶?緑茶?

DM:タイム茶を(笑)

EZ:その後すぐに練習に?それまでは何をしているのですか?

DM:え?一体何をしているんだろう・・(笑)

EZ:ゲストに子供の頃の話を聞く事が好きなんです。貴方はウラン・ウデ出身でしたよね?何歳くらいからの記憶がありますか?

DM:4-6歳の記憶は所々あります、その頃は音楽には無縁でした。はっきりと覚えているのは7歳くらいからでしょう。

EZ:生まれて直ぐにピアノに向かったんですね。

DM:いいえ、奇妙な話ですが私が行った一般の学校には音楽教育プログラムが設定され、偶然そこに入りました。元々は数学教室に行く予定で全てが決まっていたのですが両親が開けるドアを間違え、そこで音楽教室のテストを受けたのです。最悪の結果だったと思います。

EZ:その頃一日何時間練習していたのですか?

DM:最初の半年間は自宅にピアノが無かったので・・・自宅で練習していませんでした(笑)

EZ:じゃあ学校で練習を?

DM:学校で?どうしていたかな・・・とても不思議ですね。

EZ:初めて自宅にピアノが来た時の事を覚えていますか?ピアノメーカーは?

DM:もちろん覚えています。ピアノは「クバン」でした。楽器が来る12月4日に向けて壁新聞を貼って待っていました。後になってその楽器があまり良くないという事を知りましたがその時はとても気に入っていました。

EZ:いつ頃音楽を専門にすると決めましたか?

DM:ウラン・ウデで教えてくれ導いてくれた先生達にとても感謝しています。その後ノヴォシビルスクの高等音楽学校に入りました。そこは素晴らしい環境でした。周囲は皆音楽家になりたい生徒ばかりでその雰囲気はとても助けになりました。

EZ:最も印象に残っている思い出は?

DM:私は8年生から編入しましたが他の生徒は1年生から一緒に学んでおり、「新入生だ!」と言われ・・最初は少々大変でした。

EZ:その後モスクワに行かねばならないと思ったのですね?

DM:ええもちろんです。しかしノヴォシビルスクからモスクワ音楽院に入学した生徒はいませんでしたしノヴォシビルスク音楽院への願書も出しませんでしたので、それは大変な冒険でした。4月に一度モスクワを訪れ書類作成等を教示されました。

EZ:そしてミハイル・ペトゥホーフ(Mikhail Petukhov)教授クラスに?

DM:ええ、教授との出会いはその1年前に参加し優勝したタチアナ・ニコラエヴァ記念コンクールでした。そこで初めて彼の演奏を聴きました。それは音楽の贈り物でした。彼は審査員ではなく演奏会をしただけだったのでその時は教授と直接の会話はありませんでしたが彼の生徒や奥様を通じて教授との繋がりが出来ました。

EZ:ミハイル・ペトゥホーフ教授のレッスンで一番印象に残っているものはありますか?

DM:とても一つを挙げる事は出来ません、8年間の積み重ねでしたから。各々のレッスンが大事でした。

EZ:モスクワではどこに住んでいたのですか?

DM:学生寮です。

EZ:急に生き生きとしましたね?(笑)

DM:ええ(笑)皆が新入生で多くの関係が出来ました。

EZ:ノヴォシビルスク後のモスクワ生活はどうでしたか?

DM:私は禁欲的な人間ですので、非常に平穏な日々でした。

10:40
EZ:チャイコフスキー国際コンクール。お好きなテーマですよね?(笑)
先ずは今年行われた第16回コンクールについてお聞きしたいと思います。
誰かと会いましたか?

DM:私はフィルハーモニーにいる事が多く、マルク・ブシュコフの本選を聴きました。素晴らしい才能を持つピアニスト達がいたのは知っていますが殆ど誰の演奏も聴いていません。メディチTVに招待されてインタビューのためホール(音楽院大ホール)に行きましたが会場に入りその雰囲気を感じ、直ぐに私がいる場所ではないと思いました。

EZ:では次に第15回チャイコフスキー国際コンクールについて。参加に至る経緯を教えてくださいますか?ミハイル・ペトゥホーフ教授に助言を求めましたか?

DM:その年の冬に申請をしました。私はすでに音楽院を卒業していましたが教授には相談しました。ソロプログラムについては自分の選択でしたが本選プログラムについて特に相談する必要がありました。新しいレパートリーでありこれから練習を開始するプロコフィエフ、あるいはラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲などにするか。話し合いにより新曲であったプロコフィエフに決まりました。また私はその前年の全ロシアコンクールに参加していました。そこで優勝した者はチャイコフスキー国際コンクールの予備選を免除されます。残念ながら私はそうはなりませんでしたが結果は上手く行きました。

EZ:ではここで視聴者からの質問を一つ取り上げます。
コンクール一次予選の舞台に出てピアノに向かう間、何を考えていましたか?

DM:全く覚えていないのです。おそらく心臓がドキドキしていたでしょう。どれ程の脈拍だったか測りたいほどです。

EZ:では通常の演奏会ではどうですか?

DM:その時によって違いますがモスクワ音楽院大ホールや配信のあるモスクワフィルハーモニーでは常に不安があります。しかしコンクールのそれと比較出来るものではありません。

15:20
EZ:コンクールで勝利し、その名が歴史に刻まれました。多くの人からこう聞かれている事でしょう「その後貴方の人生は変わりましたか?」(笑)
でも実際変わったのですよね?

DM:ええ、以前は無かった演奏会が今はあります。そして今はコンクールのおかげのみならず演奏会に来てくれる方々のおかげで様々な招待を受けます。

EZ:コンクール後に行った初めての演奏会を覚えていますか?

DM:ええ、それはコンクールの3週間後でした。その3週間でラフマニノフ2番のコンチェルトを習得し・・

EZ:その後どのようなプロセスで演奏会人生が始まったのですか?

DM:今でこそ自分のスケジュールを平穏に見られますがその時は大変でした。

EZ:今季の年間演奏会回数はどれくらいですか?

DM:通常80回ほどですが今年はおよそ65回です。

EZ:演奏会プログラムはどのように決定されるのでしょうか?

DM:全て話し合いによって決められます。

EZ:提案を断る事はありますか?

DM:基本的にプログラムはマネージャーと相談して決めています。この曲は予定にも入れない、これを演奏したい、これは確実に演奏するなど。

17:47
EZ:未だにSNS、フェイスブックなどにはある種顕著なジェラシーとも言えるコメントが散見されますが貴方はどのようにそれらの批評に対応していますか?

DM:そうですね、私がコンクールの参加者に助言を求められる時は携帯電話を切って何も見ず、読まず、聴かずにいた方が良いと言います。随分前の事ですがあるSNSに誰々を本選で見たくはないというような書き込みを見ました。ですので私はそのようにネガティブに接しています。

EZ:専門的な批評を読みますか?

DM:滅多に読みませんがそれが送られてきたら読まないとなりませんし。

EZ:特に興味を惹かれるあるいは助けになるべく批評はありますか?

DM:時々あります。

EZ:例を挙げていただけますか?

DM:それは批評でも論文でもなく、マスタークラスや今貴方と話しているような会話の中でもなく・・・

EZ:何を思い出しているのですか?(笑)

DM:楽譜の版が違うのかもしれないが、もしかしてあの音はこれかもしれないとプライベートメッセージで送られて来た事があります。

21:30
EZ:視聴者からの質問です。どのような指揮者と共演する事がコンフォタブルですか?またそれは何故ですか?

DM:若い指揮者との共演がコンフォタブルです。なぜなら貴方と話すように何でも打ち合わせが出来ます。そして経験豊かなマエストロとの共演も素晴らしいです。私の経験数が20とすれば彼らは200も300も経験を持ち、何をどうすれば良いか全て知っています。

EZ:マエストロと根底の部分で合意に至らなかった事はありますか?

DM:私より少々年上の方との共演でありました。その時は基本的な合意が出来ないまま演奏しました。

EZ:視聴者からの質問です。趣味の写真を始めるきっかけは?

DM:15歳の頃デジタルアートに興味を持ち、その関連で写真を始めました。しかし行くべき道が決まったのでそれらを止めました。今は写真でさえ滅多に撮ることが出来ません。

EZ:アレクサンドル・ラム(Alexsander Ramm)のブリテンアルバムのジャケット写真を撮影されましたよね?

DM:ずっと何かしたいと思っていたところに偶然彼らがモスクワに来てジャケット撮影が必要でたまたま私に時間があったのです。ちょうど一年前の事です。おそらく上手くいったと思いますが。

EZ:ええ、もちろんです。クレジットを見てあのマスレーエフ?と驚きましたよ。

※アレクサンドル・ラムのInstagramより

24:20
EZ:音楽家にとってユーモアは必要ですか?

DM:ええ、もちろん。人生においてもそれは助けになります。

EZ:視聴者からの質問です。演奏会のある日の過ごし方を教えてください。

DM:通常演奏会は夜の7時に始まります。どこで何を誰と演奏するかで違いますが。最も一般的な例で言うと、その前日も前々日もその場所で演奏会をしていた場合移動が無いのでゆっくり起きて朝食をパスし、ブランチを取り、プログラムをさらい、オーケストラとの共演であればリハーサルをします。本番の30分前までまたさらい、舞台に出ます。

EZ:何か儀式はありますか?

DM:私は何の儀式も持たない方が良いと思っています。そうじゃないと舞台で「ああ、今日は反時計回りに3回回ってから来なかった!」という事になりかねません。

EZ:人生において何かクレイジーな事をしたことがありますか?

DM:おそらくありません。子供の頃に木に登ったくらいです。

EZ:視聴者からの質問です。スラトコフスキー(Sladkovsky)とショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲第2番を録音されましたが貴方にとってこの曲はどういった位置付けですか?
私もこの質問に賛同します。なぜならこの曲はまるでピオネール(旧ソ連のボーイスカウト)のようで明るく楽しくウラ!(万歳)と言われます。

DM:確かにそういった楽しい部分もありますがこの曲の2楽章を思い出していただければ、そこにピオネールの雰囲気は全く無いと思います。舞台でそれを演奏する事が非常に喜びです。また、これは私にとって初めての専門的な録音でそのためにこの曲を習得しました。カデンツァを残し録音は3時間で完了しました。

EZ:視聴者からの質問です。舞台での緊張をどのように克服していますか?

DM:考えない事です。舞台での緊張に関する授業さえありましたが私は受けませんでした。それを分析して何になると言うのでしょう。

EZ:貴方にとって究極だった演奏会は?

DM:先ほど言いましたがコンクール直後の演奏会です。その後も3週間で曲を習得した事があります。ショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲第1番がそうでした。もちろん曲の規模はラフマニノフ2番とは違います。しかしその3週間は素晴らしい時間でした。その時は時間に余裕があり、静かに練習が出来、カザンでの演奏はとても喜ばしいものでした。

30:55
EZ:ショートクエスチョンです。短い質問に短い回答をお願いします。
バッハとヘンデル。

DM:バッハ。

EZ:赤の10月とアコード(旧ソ連時代のピアノメーカー)。

DM:赤の10月。

EZ:ではアコードとザリャー。

DM:なんだかチョコレート工場のようですね(笑)ではアコード。

EZ:モスクワ音楽院大ホールとカーネギーホール。

DM:・・・モスクワ音楽院大ホール。

EZ:芸術家にとって最も大事なものは?

DM:第一に才能、そして労働能力。

EZ:貴方にとって成功とは?

DM:私にとって成功とは望まれる事、それも一時的では無く継続的に。

EZ:キャノンとニコン。

DM:ソニー。

EZ:最も印象に残る書籍を3つあげてください。

DM:随分昔に読んだ物ですがオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」です。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も勧められましたが何故だか期待ほどの印象は残りませんでした。2つ目は「巨匠とマルガリータ」です。(ミハイル・ブルガーコフ著)3つ目はまだ読んでいません。

EZ:人として重要なものは?

DM:誠実さ。

EZ:バッハが目の前に現れたら何を話しますか?

DM:それは誰と食事をしたいかという質問の類いですね。実際にそのようなシチュエーションになったら私は何も言いません。もし彼の演奏を聴ければ最高です。だってバッハに何を言えるというのでしょう?実現不可能な夢ですがリストやショパン、そしてバッハがどのように演奏していたかを聴いてみたいです。
 
先にTwitterでお知らせしましたが、音楽の友9月号にドミトリー・マスレーエフ(Dmitry Masleev) の来日情報が掲載されました。
2020年4月24日サントリーホールで行われる演奏会ではチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番を新日本フィルハーモニー交響楽団と共演する予定です。
チケットは新日本フィルハーモニーハイプランの方は2020年1月14日、一般は1月21日に販売開始だそうです。


また、今年の2月にメキシコで行われライブ配信された演奏会動画が公開されています。



 
 収録曲はリスト死の舞踏(Totentanz)ピアノ&オーケストラ編とラフマニノフパガニーニの主題による狂詩曲。
アンコールはカプースチン演奏会用エチュードより第1番プレリュードでした。

マスレーエフは作曲家としてもピアニストとしてもラフマニノフを大変尊敬しているという言葉通り、パガニーニの主題による狂詩曲では変奏毎の表情、性格、色彩の変化が明確に感じられる素晴らしい演奏となっています。