レイプ常習者にとっての暴力とはなんであろうか。
通常の性行為において多少激しい行ないや言動は
あるかもしれないが、それは互いに許容範囲であり、
かつ、「思いを遂げたい」というメッセージのあらわれであると
理解することができる。

だが、レイプする人間にはメッセージを伝えるべき相手が存在しない。
彼らは性的対象となる人間を人間として認めてはいないからだ。
彼らにとって、対象は、暴れて拒否する性的玩具にすぎないのだ。

カニバリズムにおいて、食べる対象が焼かれ、
煮られて、炙られるその過程を楽しんでから
「食べる」という行為にいたるという場合は少ないだろう。

それは椀のなかの生きたシラウオを食べたり、
活き造りに舌鼓を打つこととはどこかちがっている。

つまり、性行為はカニバリズムのひとつかもしれないが、
カニバリズムは性行為ではないのである。

目的の一方的な達成でなく、プロセスそのものにも
さまざまな感情を注ぐことこそ、常識的な性行為がある
といえよう。
つまりは、レイプは最終目的である性的快楽よりも、
その目的にいたる暴力そのものにも意味があるのだろう。
その点では、フェティシズムにはない特徴をもっている。

暴力を伴わないと性的快楽を得られない、
というわけではなく、相手が抵抗するために
暴力は不可欠の行為であるし、その暴力が
自己目的化してしまったときにレイプは習慣化されるのであろう。
だが、仮にレイプ嗜好がフェティシズムの一類型であったとしても、
そこには特別な事情もからんでいるだろう。
それはフェティシズムにも共通してでてくるべき事情である。

たとえば、レイプ嗜好の人間は、レイプによってのみしか性的快楽を
得られないのであろうか。
それは、フェティシズムの人間がそうしたフェティッシュな対象のみしか
性的快楽の対象としないのだろうかという問いに重なる。

重要なことはフェティシズムでは、「相手」は「愛される部分」をもっている
ことを自身で知っている可能性もあるけれども、レイプは「相手」に対して「好意」をもっていることを
対象が知ることはないだろう、ということだ。

そもそも「好意」といったソフトな表現でレイプを論じることはできないのかもしれない。