名レスラー伝~南海の黒豹リッキー・スティムボート | 団塊Jrのプロレスファン列伝

名レスラー伝~南海の黒豹リッキー・スティムボート

名レスラー伝、今回は南海の黒豹ことリッキー・スティムボートです。え?南海の黒豹ってレイ・セフォーじゃないの?なんて言うヤツはカンフー殺法でお仕置きだぜ!!


ではどうぞ!!


プロレス好きなボクは幼稚園時代から、とにかくプロレス中継は欠かさなかったが・・・リッキー・スティムボートをテレビで見ていたのは小学校低学年の、昭和56年くらいだろうか?


この頃、ボクがリッキーのことで一番よく覚えているのは、坂本龍一がいた伝説のグループYMOのライディーンにのって入場し、リングに上がると客席へ手を振り、ニコッとするリッキーの姿と倉持アナウンサーの実況での


“リッキー・スティムボートのお母さんは日本人”


という話だった。


あの頃、日本には新日本、全日本とも毎シリーズにはいろんな外人がやってきた。ブッチャーやジェットシンのように悪丸出しのコワイ存在のレスラーもいれば、ハンセンやホーガンのようなパワーファイターもいた。そしてファンクスやバックランドのように日本びいきで戦うレスラーもいた。でもリッキーは今までの外人とはちがった。お母さんが日本人なんだ、ボクと同じ日本人の血が流れているんだ・・・そう思うと、子供心にこの人は同じなんだ、なにかわからないけどボクらと同じなんだー!!と、とにかく気になる存在だったなぁ。


さらにリッキーはリング上で苦しいときは我慢の顔、反撃に転じたときは攻撃的な顔、勝ったときは喜んだ顔で負けたときには不本意な顔、というように表情がすごく豊かだったので、その一生懸命な姿がとにかく伝わってくるレスラーだった。その辺に引き込まれ、ボクはリッキーのすごい大ファンというわけではなかったんだけど、そんな表情の変化を見せるリッキーにはいつも


「がんばれ!!」


と、ひとりでに応援しちゃう感じだったんだ。


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NWAミッドアトランチックではリック・フレアーを交え抗争を繰り広げたジミースヌーカとの本場直輸入対決も・・・


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ミル・マスカラスとの夢の対決も・・・


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そしてあのハンセン、ブロディ組が初参戦した82年の世界最強タッグリーグ戦では、開幕戦で初出場だったハンセン、ブロディ組のリーグ第一試合の相手としてジェイ・ヤングブラッドと組んで対戦したときも・・・


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84年には急死したテキサスの黄色い薔薇デビッド・フォン・エリックの代役として急遽来日し天龍とUN王座決定戦を行ったときも・・・


いつも一生懸命だったリッキーを自然と応援していた。苦しい顔、辛そうな顔、反撃の顔、ホッとした顔、笑顔・・・場面場面に見せるリッキーの表情は小学生のボクには他のどんなレスラーよりがんばっているように見えたのだ。だから応援したくなっちゃったんだなぁ。と、ボクが小学生の頃に見ていたリッキーの印象はそんな感じだった。


でも・・・ボクがリッキーを見てそう思うより以前から、多くのプロレスファンも初来日のリッキーの試合を見たときはそう思ったようだ。


リッキーは1953年、ニューヨークで生まれフロリダのタンパで育った。フロリダ州立大学を卒業後、AWAの帝王バーン・ガニアが主催するレスリング・キャンプに参加。


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バーン・ガニア主催のレスリング・キャンプに参加したときのデビュー前のリッキー。右はバーン・ガニア


これがキッカケで76年にミネアポリスでデビューを果たした。このとき名レスラーであるサム・スティムボートの甥っ子というギミックで、本名のリチャード・ブラッドではなく後々まで親しまれるリッキー・スティムボートの名を受けたのは宿命だったのかもしれない。デビュー後、あまりパッとしなかったが、当時はNWAでも大きいマーケットだったミッドアトランチック地区に移ると後のNWA世界王者になる狂乱の貴公子リック・フレアー、スーパーフライことジミー・スヌーカと抗争を繰り広げ、ミッドアトランチック王座の代名詞になり一躍人気者に躍り出たのだ。やがてカナダ、ニューヨークにも足を伸ばすと、いよいよリッキーは日本に初来日を果たすことになる。


1980年末、全日本プロレスの暮れの名物の世界最強タッグ・リーグ戦。この年は馬場、鶴田にファンクスの他、抗争中だったブッチャーがトーア・カマタを、シークがグレート・メフィストと各々パートナーを引き連れ参加。他にAWAからニック・ボックウィンクルとジム・ブランゼル、そしてビル・ロビンソンとレス・ソントンというメンバーで行われた。


そこにケンカ番長ディック・スレーターと登場したのが日本発上陸となるリッキーだった。


ミッドアトランチック、トロント、MSGなどでの活躍は紹介されていたので、来日前から期待のレスラーとファンの注目度は高かったのはもちろん、その甘いマスクに抜群のスタイルの持ち主ということで前評判の時点でかなりファンを魅了していた。そのため最強タッグ開幕戦前日に行われた来日選手の記者会見の会場にはファンが殺到し、当時不動の人気者だったテリーファンクを席巻しそうな勢いで注目を集めた。記者会見ではそのルックスに加え、話せば人なつこい、親しみやすさがにじみ出る好青年ぶり。それだけでもファンには好印象だが、なんんといっても気をひかれたのはリッキーのお父さんこそ英国人だったが、お母さんが京都の人という、その体には日本人の血が流れている・・・という点だっただろう。人は同郷の人間にはより親しみを持つものだ。だから今までの来日外人レスラーとはちょっとちがうこの経歴の持ち主リッキーに、ファンが期待を寄せたのは否定できない。


マスクもスタイルもよく、話しても親しみやすい。そして同郷の香り・・・ファンの注目は一気にリッキーに集まった。


しかし日本のファンは格好や話題ばっかりじゃすぐにそっぽを向く。そう、肝心なのはプロレスラーとしてのファイトである。前評判はよかったが、蓋を開けたらC級、D級レスラーだった。過去にそんな例は山ほどあった。リッキーは、はたして・・・


80年11月28日、東京・後楽園ホール。世界最強タッグの開幕戦、ケンカ番長デッィク・スレーターと共にリッキーがついにリングに立った。この年、チャンピオン・カーニバルではジャンボ鶴田と決勝を争ったスレーターとのタッグで・・・話題の男がついにファイトを見せるときがきたのである。


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初登場のリッキー


しかしリッキーの初来日の第一戦はこともあろうに凶悪コンビ、黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャーと流血大王キラー・トーア・カマタ!!


「ば、馬場さん!いくらなんでもヒドイじゃないか!!」


このマッチメイクに多くのファンがそう思ったにちがいない。いくら実力があろうが、凶器攻撃に場外乱闘必至の相手じゃ・・・


誰もが不信感を抱いていたがゴングが鳴った瞬間、不安は期待に変わった。


先発を買って出たリッキーは、あのアンコ型で140キロもあるスーパーヘビーのカマタに、後に“お家芸”とまで呼ばれる代名詞技アーム・ドラッグを3連発決めてみせたのだ。 


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芸術!アーム・ドラッグ!!


あのカマタを早々、しかも今までのレスラーのものとは一味ちがうアーム・ドラッグで投げた!!180センチ、105、6キロと当時のレスラーとしては小柄のリッキーが・・・一瞬、事態を飲み込めない会場は呆気に取られたが、会場のファンはすぐに察知した。


正直、この凶悪コンビには勝てないかもしれない。でも!!負けもないんじゃないか!!


そんな期待に応えるかのようにリッキーのファイトは猛烈だった。全身をめいいっぱい使ったリッキーの動き、独特のモーションから繰り出すチョップ。凶器攻撃にあったときは本当に苦しそうだったが、額を割られピンチに陥いりながらも反撃には顔面を赤く染めながら、その普段のやさしい顔からは想像もできない怒りの表情で攻撃したのだ!!


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ブッチャーを相手にカンフー殺法爆発!!


やがて怒涛の場外乱闘から・・・残念ながら、来日第一戦の結果はスレーターの反則が取られ反則負けとなってしまったが、初来日でブッチャー、カマタ相手にたじろぐことなく真っ向ファイトを展開したことがファンの心を掴んだ。全身をフルに使い、懸命に、凶悪コンビに一歩も引かない戦いを展開したリッキーのファイトは伝わったのだ。そう、このレスラーは格好だけじゃない!やるレスラーだ!!


そしてそんなファンの気持ちに呼応するかのようにリッキーのファイトはシリーズ中、熱を増す。


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公式戦ではファンクス、馬場・鶴田、ニック・ブランゼルなどと対戦しては善戦、高評価を得た


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シリーズ夢の対決として行われたジャンボ鶴田とのシングルでは30分フルタイムドローという熱き戦いぶりを見せた


正直、この年はメンバーのマンネリに勢いが落ちてきていた世界最強タッグだった。しかし開幕戦の活躍で人気に火のついたリッキーを見ようと会場はどこも満員になった。そしてその注目選手と戦う他の選手は、リッキーと戦うことが活性剤となりこれまた熱を帯びた。こうしてマンネリしはじめていた最強タッグは新しい流れと力を受けたのだ。


たったひとりのレスラーが現れただけで・・・それはまさに世界最強タッグに直撃した“リッキー台風”だったのである。


そんなときから今・・・何年経ったかな?ボクも大人の目になって、この歳になってリッキー・スティムボートというレスラーを見れば、人気もあり何でもこなす万能型のレスラーではあったが、プロレスラーとして圧倒的なフィニッシュがあるレスラーではなかったし、それにいつも勝つレスラーではなかったのがわかる。だからプロレスラーとして強いか?と問われたら、それはそうは言えなかったと思う。でもミッドアトランチックで、カナダで、NWAで、日本で・・・WWFではあのレッスル・マニアに数多く出場、中でもレッスル・マニア3ではランディ・サベージと歴史的名勝負を展開し、WCWではリック・フレアーと数々の名勝負を繰り広げた。


そしてその度、大勢の人の心を掴んだという偉大な功績がよくわかる。


近年、プロレスには実にいろいろなスタイルのレスラーが登場した。


ものすごい高度な空中殺法や、相手を軸にしてくるくる回る、なんだかよくわからない技を使う選手もいれば、格闘技色を強く打ち出しやっているレスラーもいる。行き過ぎたデスマッチをやるレスラーもいれば、なんの特徴もないサラリーマンのようなレスラーもいるようだ。


いろんなレスラーがいる。ボクはそれにどうこういうつもりはない。


しかしカラーやギミックを見せていけばそれでいいのかな?プロレスにはどんなスタイルでも共通した、忘れてはならないものがあるはずじゃないか?


大勢の人の心を掴むこと・・・たとえそれがプロレスファンでなくとも、たまたまプロレスを見はじめた人を、試合に集中させる何かを持っていなければダメなんじゃないか?そしていくら強くても、高度な技を使っても・・・女性や、子供に好かれる何かを持っていなければダメなんじゃ・・・ないかな?


昨年、日本武道館で行われたSMACKDOWN&ECW LIVEで久々に日本で試合をしたリッキー。57歳にして当時のままだった技、チョップにファンは驚きながら、そして歓声を送った。髪も白髪混じりになり薄くなった・・・顔も老けた。でもあのいくつもの表情で、いつも一生懸命の、人なつこくて親しみやすさがにじみ出る、思わず応援したくなるリッキーは時を得ても変わらない。


だから・・・変わらないからいつだって大勢の人の心を掴むことができるんだ。プロレスラー、リッキー・スティムボートだから!!