女子プロレス列伝~HEARTBEATを聞きながら~ | 団塊Jrのプロレスファン列伝

女子プロレス列伝~HEARTBEATを聞きながら~

そうだよねぇ~。今でこそ、こりゃー女子プロレスラーなのか?というようなスタイルとルックスのかわいい子もたくさんいて・・・アイドルなみに写真集やDVD、はてはヌードまでこなしちゃうご時世だけど、ボクが見ていた頃の当時の女子プロレスではそんなことは考えられなかったなァ。


ここでも何度か言っているけど女子プロは昔、女性が女性に憧れる宝塚的存在だったから、対女性ファン向けがどうしても多かったんだ。かわいらしさよりカッコよさが重視されていたんだよね。だから男性が女性のなんたるかを見るという意味では当時の女子プロのそれは世界が違いすぎていたと思うナ。でもそんな中、当時の女子プロレスラーの中に、当時中学生のボクにエロスとは何なのかを開花させた女子プロレスラーがいたんだ。それは・・・

それは小学校の頃。当時ボクは男子、女子問わずプロレスの中継は必ず見ていた。

金曜に新日、土曜に全日。そして女子プロレス、つまり全女は定期的に日曜日の午後に放送するのがあの頃のお決まりである。その頃の女子プロレス界はビューティーペアやブラック軍団がいなくなり、でもまだクラッシュギャルズも極悪同盟もいない時代の節目。デビル雅美がタランチュラやマスクド・ユウを率いデビル軍団としてジャガー横田やミミ萩原、大森ゆかりやジャンボ堀などと抗争していた時代だった。そんな時代・・・

あの頃ボクは男子だろうが女子だろうがプロレス自体が好きだったから、プロレスと名がつけば夢中で見ていたんだ。それにまだ小学生だったから女子プロレスで女性を見る、という意味合いのことは概念になかったのでリングの上でレスラーが戦うのが見れればそれでもう大満足だった。

でも・・・いつからか試合に登場するようになったその女子レスラーが出てくると、ボクは少しちがった意識でその選手を見るようになった。そう立野記代が登場するようになってからは・・・

立野記代、それは衝撃的だった。

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その頃の立野記代(17歳)

女子プロレス、その当時は今のようにアイドルみたいなかわいい選手はそこまでいなかった。しかし17歳の立野記代は、それまでの女子プロレスにないかわいい顔つきで、しかもまだプロレスラー体型に完全になる前だったのでスタイルがよく当時の女子プロレスラーとしては異例の“男性を惹きつける”魅力を十分に備えていた。

それに加えてだ。実況の志生野温夫さんが

“女子プロレス界の聖子ちゃん”

と言葉を放つ中、聖子ちゃんばりの白いドレスのような衣装で入場してくるから、男ならその本能をくすぐられずにはいられなかった。

聖子ちゃんとは時代を感じさせるフレーズだが・・・芸能界、かつての山口百恵から、時代には必ず芸能界の核になる存在の女性がいた。

この時代、その核といえばなんといっても松田聖子であった。圧倒的な男性ファンの多さ。曲を出せば必ず1位だし、テレビやら映画やらなんやらかんやらと、まー人気があった。これはもはや説明などいらないだろう。しかしそんな松田聖子と未来永劫、交わる線がない女子プロレス界に“聖子ちゃん”である。

ボクは全女の中継がそれまでより楽しみになっていた。今日は立野が出てくるかな?どんな格好で出てくるのかなぁ~♪それまではプロレスを好きで見ているひとりのプロレスファンが、立野が登場するときにはプロレスという概念から一時離れてしまうのである。小学生にしてもやはり男・・・女性を性としてみるその意識はやはりDNAに刻々と刻まれていたのだろう。

しかしそのDNAが後にさらに覚醒しようとは・・・

数年後、ボクは中学生になった。

その頃になると立野記代は山崎五紀とタッグを組みフレッシュコンビ、そしてのちにJBエンジェルスとなり女子プロレスの聖子ちゃんからは完全に脱皮、あどけなさも消え素敵なお姉さんへと変身していった。

そしてプロレスラー体型になると聖子ちゃん時代のそれとはちがう、何かフェロモンのようなものをかもし出す体型になっていたのである。それはそう、コケティッシュ・・・その体型がエロさを放っていたのである。

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うぬぬ・・・

男が通る道、エロ。そのエロの入門編にして代名詞といえばエロ本だが、エロDVDが支流のこのご時世、その言葉自体が今や絶滅種かもしれない。今のコンビニの片隅に置かれているいやらしい本など比べ物にならないハードさを誇った当時のエロ本は、かつてはその種の主力、メインの方であった。

経験を積んだ今なら買おうと思えばなんの抵抗もなく買えるこのシロモノも、中学校の頃はまだ恥ずかしくて買えなかった。それこそダンクやボムというアイドルが水着で出てるアイドル雑誌でさえだ。だからダンクやボムはよく友達からもらったり、安値で売ってもらってたりしたものである。

しかしそんなエロ本もアイドル雑誌も恥ずかしくて買えなかったあの頃、女性の水着姿が掲載されていながらも恥ずかしい思いをせず購入できた上、部屋の各所に隠しておいて母ちゃんに見つからないかな?とドキドキする必要もなく、堂々と置いておけた女子プロレスの本はボク的には価値が高かった。たとえクラッシュギャルズが女性人気を独占しようとも、立野記代が元祖とも言うべきエロかわいさを出していたおかげでその青春のハケグチを女子プロレスの本にも見出せたのである。

しかし・・・プロレス本の立野記代はあくまでもレスラー立野記代である。ボクはプロレスコスチューム姿の立野しか見ることが出来なかったのだ。

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こういうのもあるにはあったが・・・

「見たい・・・まだ見ぬものを、いつもと違うものを見たいんだぁ!!そう立野の・・・全裸ぁー!!んおおおー!!」

恐るべし思春期中学生の妄想は留まることを知らなかった。まさに性欲のバイオニクス工場にして子種のひとり民族大移動状態である。止まらない衝動・・・どうすればいいのか・・・そんなとき突如閃いた。そうだ、あれは!?

ボクは小学6年の時、釣りに行ったとき釣り場にたまたま落ちていたエロ本のことを思い出した。そう、あのとき拾って読んだあの本にはヌードのグラビアにアイドルの顔を貼っつけた・・・そうコラージュってのが載っていた!!

今でこそつなぎ目どころかニセモノかホンモノかもわからないほど精巧に作られ、PCで流れては肖像権の問題まで引き起こすほどのコラ画像だが・・・当時は一般の読者が作ったものがなんの問題もなくエロ雑誌に“○○くん作”なんて感じで載ったりしていたのだ。それというのも作りが大味で・・・それこそ子供の手作り絵本か、もしくは紙版画のようにハサミやカッターで切り抜いて貼るというような、それは安易なシロモノだった。

やがてボクはそんなことを考えながら立野の載っているプロレス雑誌と、そして友達からもらったエロ本の小林ひとみのページを見つめ思った。なんだかこの立野とこの小林ひとみ、格好の角度が似ているんじゃないか!?これって・・・

でっきる・・・かな・・・

そのときだ。心の葛藤の中に僕の中のノッポさん、いやゴン太くん、いや悪魔が現れささやいた。

悪魔「やれよ、やれ・・・作ってしまうんだ。おまえだけの立野を見たいだろう?フッフッフ・・・」

ボク「で、でも・・・」

悪魔「いいからやるんだ。見たくないのか?え?見たくないのかよぉ?」

ボク「見たいよ!!悪魔くん、ボク見たい!!でも・・・」

悪魔「なら悩むことなんかないんだ。やっちまえよ、さぁ切り取って・・・貼り付けるんだ」

ボク「よ、よぉーし!」

悪魔「・・・」

ボク「・・・」

悪魔「・・・」

ボク「・・・ちょっと天使は!!普通葛藤してると悪魔と天使が出てきて、ダメヨ!!とか言うべよ!!なんだ?おれの心に天使はいねーのか!!そーかい!もぉ頭きたぁ!よーしもうやる!絶対やるゥー!!」

ボクは立野の顔を丁寧に切り取り、そして小林ひとみのページに持っていきそっと顔の部分に立野の顔を置いてみた。すると・・・おお、おおお!!できた!!立野が、立野が

すっごい変!!

その晩、立野の顔を切り取ってしまったプロレス雑誌を見つめ、ボクはなんてことをしてしまったんだろうと何度も何度も思った。そうさ色もちがえば大きさもちがう・・・そんなことも考えないで欲望の赴くままボクは・・・ああう!!

人は傷つきながら成長していく。中2の春、ボクは少しだけ男になった気がした。

かつて女子プロレスの聖子ちゃんといわれ、84年には週刊プレイボーイであの当時の女子プロレスラーにしては異例中の異例のビキニ姿でのグラビアに抜擢されるほどかわいくて女の子らしかった立野。しかし当時の女子プロは女性が女性に憧れる世界・・・それを求めていなかった。そう考えると立野は女子プロレスに出現する時代が早すぎたのかもしれない。

あれから何年過ぎただろうか?HEARTBEAT(立野の入場テーマ)が流れる中、試合に向かう立野記代は44歳にして今だ現役である。