会社員時代の違和感が、ようやく言葉になった
会社員として働いていた頃、上司や同僚、部下との会話の中で、何度も不思議に感じることがあった。「なぜ、そういう受け取り方になるのだろう」「こちらが伝えたことと、返ってくる話がどうしてこんなにずれるのだろう」当時は、その理由がよく分からなかった。相手の性格なのか、立場の違いなのか、単純に人の話を聞いていないのか。何十年も経った今でも、時々このことを考えていた。最近になって、ようやく一つ腑に落ちる考え方にたどり着いた。会話には、言葉そのものを理解する力に加えて、前後の文脈をつなげる力、条件や前提を保持する力、相手が何を意味しているのかを推論する力、自分の理解が正しいかを確認する力など、いくつもの認知能力が関係している。つまり、同じ言葉を聞いていても、全員が同じ深さでその意味を処理しているとは限らない。私は昔から、話の前提や条件、言葉の裏にある意図、話全体の構造まで自然に考える傾向が強かったのだと思う。だから、相手が言葉の一部分だけを拾って返答したり、全体の意味とは違う方向へ話を進めたりすると、その仕組み自体が理解できなかった。「どうして、そういう解釈になるのだろう」長い間感じていた違和感は、ここにあったのかもしれない。今になって振り返ると、自分は昔から会話や文章を比較的深いところまで処理していた。そして、相手も同じ解像度で理解しているものだと思っていた。この前提そのものが違っていたのだと思う。このことが分かると、昔の出来事もかなり整理できる。誰かに腹を立てるための理解でも、人を評価するための理解でもない。「なぜ、あの時あれほど話が通じなかったのか」その原因が自分の中で整理されることで、過去の違和感が一つ消えていく。そして現在の仕事を考えると、この特性は自分の大きな強みになっている。相手の話を聞き、言葉の背景を読み取り、本当に必要としていることを考え、その人に合わせて伝える。マンツーマンで専門的な仕事を続けている今、自分の理解力や観察力がそのまま仕事の価値になっている。会社員時代には「なぜ自分はこんなに違和感を覚えるのだろう」と思っていたことが、今では自分の適性を理解する材料になった。何十年も経ってから、一つの疑問がようやく言葉になった。人生には、ずっと後になって意味が分かることがある。今回も、その一つだったように思う。