今回も前回に引き続き”聞き上手”について。

 

「自虐ネタ」というと大袈裟かもしれないが、「私の友人」はよく失敗談から会話に入る。

例えば、朝学校について友人に挨拶をし、「いや、昨日○○しちゃってさ」のように。

もちろん朝っぱらからそんな話をするのだから深刻な失敗談ではなく、軽い冗談のような失敗談だ。

 とくに強い信念があったわけではないが、彼は今までの経験から良い習慣くらいには思っていた。

 

しかし、カウンセラーの東山氏によると次のようにある。

 

ただし、オープンになるということは、自分の欠点や失敗談を話すことではありません。自分の欠点や失敗談は、より痛いところ、もっと大きい欠点、もっと決定的な失敗を隠すためであることが多く、オープンに見えてじつは防衛的なのです。自分の本当の痛みはなかなか自分から人には話せないものです。

 

このようにある。一見、失敗談を話すということは心を開いている行為のように見えるが、実はそうではない。より深い感情や思いを隠すための行為であり、オープンでないばかりか防衛的で相手との距離を遠くにしておく行為でもあるのだ。

これはカウンセリングという特殊な場だけではなく、日常にも当てはまるようだ。

 

 ふと、社交性について考える。

 朝に笑える失敗談を周りの人に提供することは社交的である。黙って座って本を読むものよりよほどそうである。しかし、社交性があるということと、個人的な悩みを打ち明けられるかどうかの信頼性(オープンであること)は全く別のことだろう。

 

大まかにいってしまえば、

社交性の多くの部分は、喋るための技術や心構え、態度で構成されている。

対して、「聞き上手」は聴くための技術や心構え、態度で構成されている。

 

まったく反対の性質を持っているのだ。

願わくば、両方のスイッチを適宜切り替えられる大人になりたい。

 

【参考】

『プロカウンセラーの聞く技術』東山紘久、2000年、創元社