いまだにちょくちょく思い出す出来事があって、それは数十年前の中学1年のときに起きた
【ピエちぃ一歩間違ってたらレスキューされていた一件】。
中学時代のピエちぃはわんぱく小僧の愛称が合うくらい、自分で言うのもアレだけどもう自由奔放すぎて手の負えないガキですた😅

同級生やサッカー好きの後輩と毎回チャリで白銀駅付近から種差海岸(片道約1時間)まで爆走し、海で泳ぎ疲れるまで遊んでまたチャリで帰宅するというまるでトライアスロンのような生活を送る。
サッカーも部活に属さず、サッカー好きの仲間うちで公園や道路でアスリートサッカーばりに遊び鍛え明け暮れてた少年時代。
そんな中学1年生の春。


ばぁちゃん家がある岩手県洋野町にある玉川駅から徒歩で10分ぐらいのところにあり、目の前には三陸海岸と山がある。
小学・中学のときは毎回ばぁちゃん家に遊びに行くくらいもうお馴染みの光景。
ただ、この日は違った。
右側に見える山。
1つ下の弟と山にサッカーしに行こうと思って朝8~9時に出発。
この山には途中までは何回か登ったことがあるから見覚えのある場所をどんどん通り過ぎ、サッカーが出来る広大な場所を見つけるまで奥に奥に入っていく。

この航空図を見て分かるように洋野町はほぼ山に囲まれている地域。
「来た道を戻ればすぐに帰れる」と思っていたことから怖さはまったくなく、1時間近くずっと登っていくとこれまで来たことがない場所に入っていく。

※これは長野県の上高地のときの画像です
風景はもうずっとこんな感じだった。
それでも少年心をくすぐられていたのかどんどん前に進んでいく足が止まらない。

2~3時間してくると風景は山奥の荒れ果てた草木の中にポツンと昔に人が使っていたであろう廃墟の小屋が見えるエリアに出る。
ここで弟とこれからどうすると話し合って、自分は森の中を突っ切っていけば新しい道があるかもってことで歩き出す。
でも、弟がここで「俺やだ」と拒む。

※これは京都の嵐山にいったときの画像です
それでも無視してどんどん草木が生い茂る坂を登っていくと獣道を発見。
これで進めると思って来た登ってきた坂道を下りおりて弟の名前を叫ぶ。
・・・。
返事がない。
「え?もしかして帰った?!」っと思って何回も叫ぶも反応がない。
いままで歩いてきた道に戻るにしても姿は見えるはずと。
ここで弟と完全に逸れてしまう。
で、自分は下ってきた坂道を再び登って獣道をひたすら歩いていく。
1時間は歩いたかな?

※イメージでは川、民家がなく谷底含めて山
明るく開けた場所に出たっと思ったら見えた景色は人気(ひとけ)がまったくない山、山、山。
これ以上は崖で進めないから分かれ道まで戻ってはまだ行ってないほうの道を突き進んでいくことに。


そうすると、明らかに人が作った砂利の道路に出る。
ここを辿っていけば山を抜けられるだろうと思ってひたすら歩く。

左右は森でまっ直線の一本道を歩いていくとこんな画像の作業員が軽トラから降りてなにか作業をしてるわけですよ。
遠めから見ても分かるくらいだったから、この作業員もさぞかしビックリしたと思うよ。
だって、人が普段来ないような山奥からサッカーのユニフォームを着てサッカーボール抱えた少年が1人歩いてくるわけだからね(笑)
チラって見たらまるで座敷童でも見ちゃったかのようにマジマジと見てきてたし。
そこで助けを求めたら良かったんだけど、なんか助けを求めるのが恥ずかしい年ごろってこともありつつ、心の中では「ここに作業員が来るって事はもう少し歩けば人里に出れる」という気持ちがあったからそのまま通り過ぎてさらに歩く。

※だいたいこんな感じ
それから1時間ちょいぐらいでようやく山のふもとに抜け出してアスファルトの道路が見えてきたことで助かったと一安心。
ここで人がいる民家を探し回る。
ちょうど外に出てたおばさんを発見してまずはここがどこだかを聞いてみる。

※移動した部分と出た場所もイメージ図
なんと、玉川駅から30~40キロも離れた"大野村"という場所だった。
約8~9時間歩き続けて抜け出たのがここだった。
おばさんに「どこから歩いて来たの?」って聞かれて玉川駅からって答えたら「た・ま・が・わ!!!!!?」って腰抜かしてたし。
それで「一人でよくここまで来たね~」って言われて弟と逸れてることを話すと、すぐさま110で警察を呼んでくれた。
それでいてそのおばさんも捜索に加わってくれて自分は軽トラの助手席に乗って山に向かうことに。
山に入る道は何か所かあって、自分が出てきた場所とは違うもう少し遠いほうの入り口まで走っていると道路を見覚えのある後ろすがたの少年が歩いてる。
「ん?!」
弟だった。
なんで!?
なんでお前もこの村に?!と。
これには本当驚いた。
いや、仮に同じ村に出てこれたとしてもこんな偶然にも自分が乗ってる軽トラに気づかれる場所を歩いてたことや、タイミングよく下山出来てたことに奇跡を感じたほど。
すぐに弟も軽トラに乗せてそのおばさんの家に着いてからが大変だった。
遭難届けを出して集まっていた警察に事情を説明。
それが終わって2人しておばさんが運転する軽トラでばぁちゃん家まで送ってもらい、お礼を何回もして別れたあとは親にこっぴどく怒られクタクタに⚡
朝8~9時に出発して帰宅が19時過ぎだった。
弟にはぐれたときの話をしたときに、「兄ちゃんがあのとき登ってったとき俺も実は登っていったんだよ」と言われて「だったらなんで俺が何回もお前の名前を叫んだのに返してくれなかったのよ?」と返したら「草木を避けて登ってたから聞こえなかった」と。
そーいうことだったのか、と。
もしかしたらあのとき獣道を左に進んだ自分と真逆の右に弟は進んで行ったのかもしれない。
何はともあれあのとき2人に何もなくてよかったと思うばかり。
情報はないみたいだけど熊が出てもおかしくないほど広大な山だからね。
山で遭難した人と同じ状態で突き進んでいったからこそのこの出来事だったわけで、最悪の場合片方・・・あるいわどっちもそのまま帰らぬ人になっていたかもと今もちょこちょこ当時の記憶が蘇るときがある。
だから今回、こうやってブログにしてみました😓
ちなみに、あれ以来自分ら兄弟の騒動がばあちゃん家の近所あちこちで噂が広まったことで「もう来るな」と出禁令が出たことで20代後半まで行けなかったというね(笑)
20代後半に久しぶりに顔を出したときに近所のおばあちゃんから「あら、このわらす◯◯のとこの孫でねぇか?!あの山さ入って騒動なったときの」と言われて、まだ覚えられていたか・・・と苦笑いしてたわけです💦