小澤征爾のスカラ・デヴュー | スイスからミラノ・スカラ座へ

スイスからミラノ・スカラ座へ

ミラノ・スカラ座のオペラ体験とスイスの話題です。

1980年3月15日に彼のトスカによるスカラ・デヴューを見ました。同じ日本人として応援団のつもりでした。彼はヨーロッパにおける歌劇場での下積みをしたわけではないので、ちょっと心配な気持ちもありましたがシンフォニックに音楽全体を組み立てる面では流石に抜群でその美しくダイナミックな運びを楽しみました。と言いたいところなのですが、しばしばパヴァロッティとの間にズレが生じハラハラさせられもしました。その上私の目の前の白髪の老人がどうやら批評家らしく、何かにつけ小さな懐中電灯をつけてメモをとるので気が気ではありませんでしたw

 

そんな訳で一週間後もう一度行く事にしました。行きの食堂車で相席になった女性がオペラ評論家でやはりスカラに行くことを知り初日の話をしたところ、彼女はその日にも居たそうで私の席の場所を確認すると彼が高名な批評家であったことを言い『小澤を絶賛しパヴァロッティにもっとキチンと指揮に従う様にと書いた』と教えてくれました。

 

これがスカラだと思いました。ここでは指揮者が中心となってオペラ全体を構成するのがトスカニーニ以来の伝統で、彼は『スターは舞台上ではなく空にあるものだ』と言って歌手達に絶対的服従を求めました。近年ではムーティがその意味で厳しい姿勢であったと思います。マリア・カラスがインタヴューでしばしば『楽譜に正確に歌えば自然と正しい表現が生まれてくる』と言っているのも彼女がデ・サバタにその様に要求されたからでしょう。有名なトスカの録音におけるこの指揮者の厳しさに名プロデューサー、ワルター・レッゲが呆れ返ったというエピソードがあります。この人はシュヴァルツコップフのご主人ですが、彼女の美しいレガートはモニターを通してしごかれた結果と言われています。ある時夫人に対しあまりに妥協を許さないレッゲにカラヤンが『もうそれでいいじゃないか』と言ったという話もありますから、デ・サバタは本当に凄かったんでしょうね。

 

二度目のトスカは完璧で素晴らしい演奏で、イタリア人達がすっかり興奮し、隣の人につつかれ『もっと拍手しろ』とせかされました。

 

追記 2020.01.13

動画をサンフランシスコ人さんに教えていただきました。知りませんでした。どうも有難う御座いました。

 

 

パヴァロッティが一応よく合わせているので、初日の録画ではないと思います。彼は自由に語る様に歌っているみたいです。カバイヴァンスカを始め他の歌手は正確に指揮に従っていると思います。

 

これを見ていて思い出したのですが、トスカの衣装はカラスのものをコヴェント・ガーゲンから借り出したという話であったと思います。確かに第二幕のはその様に見えます。でもそんな古いものを又使うんでしょうか。きっとデザインを借りたという意味だったんでしょう。

 

小澤は例によって暗譜ですね。それに関してロリン・マゼールが『そんな時間があったら他のものを勉強したら』と言ったそうですが、これは一寸したブラック・ユーモアだと思います。というのはマゼール自身はオペラも含め全て暗譜で指揮していたからです。そればかりかプローベの時から暗譜で、始める前にどの出版社の楽譜を使っているか尋ね、その中の誤植を全て覚えていて、訂正、確認してから練習に入ったという話を聞きました。まあ小澤のオペラのレパートリーが決して多くないから、そんな事を言ったのでしょう。