こんばんはなかちーです。

今日は3.11から5年ですね。
5年前のあの日、報道番組を担当していて、なかちーは、取材のため一人で病院に向かっていました。

15時約束で、ちょっと早めに着いたところ、地震。。駐車場にいたのですが、上から車が落ちてくるんじゃないかと思うぐらいすごく怖かったです

あんなに大きい地震だったのに、震源地は東北ー。そのことにもすごい驚いたことを覚えています。

あの地震だったので、取材は中止、翌日のOAは休止、特番に差し替え、テレビ局に戻ろうにも交通機関は動いておらず、
病院で情報を収集をしながら、帰る方法を探していました。

病院の担当者の方が途中まで送ってくださり、避難所で少し時間を潰し、駅に向かいました。隣の駅から電車が動き始めた時いたので、タクシーに乗り、隣の駅に向かいました。

タクシーの中で聞いた最新情報は耳を疑うものでした。

ようやくテレビ局に戻った時は、うちのチームは特番の手伝いを終えたところでした。あの日のテレビ局は、いろんな番組の人が協力しあって、ローテーションして、最新情報を伝えようと努めていました。

緊急事態だったので、CMはカット。

民放で、CMがないのをみたのはこれが初めてでした。

翌日はプロデューサーについて、緊急特番の手伝い。

たくさん入ってくる情報を精査して、伝えるべき情報をいち早く伝えるー。

テレビ局の意義を改めて実感しました。

その後もずっと被災地の取材をしました。
報道、情報番組の仕事は、何日にかけて取材しても、放送でVTRになるのは、10分~15分。もっとたくさん伝えたいことがあるのに、その一部しか伝えられてないのではないか。
こんな状況なんだということを国や、日本中の方に伝えるために、取材を続けなくてはいけないが、心身ともに疲弊している方々に、どこまで取材していいものかなど、自分の中で、いろんな葛藤が生まれていたのも事実です。

取材に協力してくれた方々は、たくさんの人に今の状況を伝えようとという思いに賛同してくれ、それによって、国の支援が広がったりと、いろんな影響を与えることができました。

5年経ってもまだまだ課題は多いですが、
当時の教訓を忘れず、震災を忘れず、前に進めたらと思っております。


改めて震災でなくなられた方々のご冥福をお祈りしております。

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