テロと闘ってはいけないシリーズ。


こないだの記事で連合軍よりもISよりも反政府軍よりも、
アサド政権が一番自国民を殺している。という記事をあげたら


『それはウソだ!』『知らなかった!』『何でですか?!』という質問や意見が沢山きたので、今日はわかりやすい『なぜアサド政権は国民を殺すのか』を書きます。


今のアサド大統領は実は二代目。
お父さんのハーフィズアル・アサドから遡らないと多分わかんない。


そもそもシリアで独裁政権を築いたのは、このお父さん。そのお父様の時代から振り返ります。


(ここからアサド側を、反アサド側をで書きます)


ハーフィズアル・アサドは元々小さい村の出身者で、
イスラム教シーア派の中の『アラウィ派』とゆー少数の派閥でした。


1970年、ヨルダン対シリアでヨルダンに負けた時に、アラウィ派の人達と組んで軍事クーデターを起こし成功。政権を奪取。


でも全国民の大多数がスンニ派を占める中で、
極少数のアラウィ派が政権を取ることは安定しないワケで。。。


同じイスラム教シーア派&キリスト教徒というごく少数派を、一生懸命取り込むと同時に……


反政府勢力のスンニ派とイスラム国家設立を目指す『ムスリム同胞団』を徹底的に弾圧したんだよね。


それはそれはもう、容赦がなかったようで、
ムスリム同胞団へのテロへの反撃で約4万人を爆撃で焼き討ちにしたり。


アサド大統領への崇拝を強制、
情報の統制、
秘密警察による監視、
反対分子を徹底的に逮捕、拷問や長期間の勾留。


もちろん、国民の不満は募っていくよね。


アラウィ派=少数派の警察や官僚や軍、国家組織は、
もしアサド政権が倒されてしまったら、完全にスンニ派と立場逆転してしまう事はわかってるので、恐怖政治で30年間、徹底的におさえてきたわけです。


やがてお父様がなくなって西暦2000年、その息子の
バッシャール・アル・アサド
が政権の座についた。


彼は実はロンドンで眼科医の研修医をしてたんだけど、
お兄様が交通事故で死去。


シリアに突然呼び戻されて、
大統領を継ぐことになったアサドさん。


その現アサド大統領が、イギリスからシリアに戻ってきてまずやった事は、徹底的な『腐敗との闘い』


30年もの独裁政権が続いてたシリアでは、
秘密警察への賄賂は当たり前になってたらしく。。。


特に近年のイギリスから帰ってきたアサド大統領からしたら、シリアはビックリするような独裁国家に映ったと思う。


アサドさんがまずやった政策と言えば
官僚やトップ達を次々にやめさせて、
弾圧してきた反政府軍に対する態度を緩和、
インターネット使用も許可し、
それまでの政治犯なども釈放し、
国営企業を民営化し
、などなど、
かなりのまともな民主国家をつくろうとしたワケです。


ここまでの話だと、シリアの恐怖政治、独裁政治を解放させた英雄に見えるよね?めっちゃマトモなことやってるよ。


ところが、、、バツの悪い事に翌年、
あの911テロが起こるわけです汗


その時テロリストとされたのは、イスラム過激派のアルカイダと、あのムスリム同胞団


そう。お父様が焼き討ちにした組織。
その組織がアメリカに宣戦布告した。
(ワタスはマッチポンプだと思ってるけど)


父の代から彼らとは対立してきたので、
当然危機感MAXになるわけです。


もしかしたら国外からも、
自分が彼らに攻撃されるかもしれない。


しかもしかも2003年に
フセイン政権が崩壊。


フセイン大統領とアサドさんは同じバース党。
そしてイラクとシリアは核問題で世界から非難を浴びている。(イラクに核はなかったんだけどね)


しかも2007年にはアメリカから『核兵器もってんじゃない?』といちゃもんつけられ、イスラエル軍から空爆を受ける。(のちに、北朝鮮と核開発で協力しているという見解をアメリカは公式見解として発表してる。←まぁ、アメリカさんはどうなの?って思うけどねーー;)


アサドさんの頭に浮かんだのは当然……


『もしかして自分もフセインみたく、やられるかもしれない』


とゆーわけで、おそらく危機感から、
彼はどんどん民主化を逆行させていきます。


自ら解放したインターネットを制限、
言論の自由を制限、
諸々今までと逆路線のことをやり始め……


秘密警察が牛耳る、独裁国家に逆戻りガーン汗


でもアラブの春と言われる中東での民主化の波はおさまらず、シリアにも飛び火。


で、とうとう2011年、シリアで民主化デモが始まった。その時はもう既に独裁国家になりつつあった現アサド政権。


なんと民間のデモ隊を軍や警察が3500人も殺害。


3500人だよ?(汗)一体どうしたんだ、アサドさん(汗)


あまりに非人道的なそのアサド政権をアラブ連盟が最後通告、加盟資格停止。
『武力による弾圧を止めなければ、経済制裁を加える』と。


そしてその後も混乱に混乱を重ね、結局……
IMG_3689.PNG

とゆー大量の自国民を現アサド政権が殺してるとゆー。(注釈。シリア人権ネットワークのこのレポート、統計の中では、シリア内戦での死者について、正確に死者数をカウント、特定する事が出来ない、政府軍側の支配地域や、ISIS側の支配地域等での、それは含まない、と書かれています)
はーーー。説明、長かった。


以下はアサド政権による拷問などを受けたという記事。

リンク 3か月の子どもは地面に叩き殺され、母親は殴り殺されて…アサドは虐殺のシンボルだ


このインタビューでは少年が将来、兵士になってアサドを殺したいと言ってる。


そして、タオルを巻いた女性の証言。


「激戦地ホムスから逃げてきました。
シリア兵士は、赤ちゃんまで皆殺しにしています。

生後3ヶ月の子どもを地面に叩き付けて殺すのを見ました。母親も殴り殺しました。

夫が軍を離反して、自由シリア軍に入ったから、残された家族を見せしめのように殺していくのです」



デモ中に秘密警察に逮捕された人の証言。


『6ヶ月前、ホムスでデモをしていたら、秘密警察に拘束されました。そこで世界最悪の拷問を受けました。

両手に手錠をかけられ、天井から吊るされました。
その後殴る蹴るの拷問を受け、左耳は聴こえなくなりました。


2リットル入りのコーラを、飲め飲めと無理矢理飲まされ、その後大量の水を。

お腹がパンパンにふくらんだ後、
ペニスをヒモで縛られました。

その状態で放置されたので膀胱がおかしくなってしまった。おしっこは垂れ流し状態でずっとおむつをしている。

そして男性としての機能も奪われてしまった』



まぁとりあえず酷くて反吐が出そうだから、
読みたい人は、リンク先を読んでみてください。


ワタスが前の記事を上げた時に、ネット民達から
『アサドが大量虐殺してるのはウソだ。情報操作されてる』とゆー意見がちらほらあった。


アサド大統領は88.7%の得票率で
大統領に再選されてるじゃないか!!と。。。


でもよく調べてみたら、選挙は政府の支配地域でのみ行われ、反政府勢力が支配する北部や東部では実施されなかったとある。


かと言って、反対側のこんなニュースもある。

ISアカウントのIPアドレスは英政府のもの・シリア軍がホムスを奪回し歓喜する民衆


どこを切り取ってるかによって見え方が違うけど、
どちらも事実なんだよ。


でもさ、福島行った時も思ったけど、
現地行かないとわからない事って、沢山あると思う。


だから現地に行ってるジャーナリストや、
常岡さんの情報は貴重。


ネットの前で自分が集めたい情報だけを集めてても、
真実は見えてこない。限界があるよね。


ただ一つ、ここからワタス的に思うことは……


アサド政権が大量に自国民を殺すのは、自分達シーア派アラウィ派が少数派で、第二のフセインやカダフィになることを恐れているから。


だから徹底的な反対勢力への制裁をやってるんだね。


アサドさん、せっかく良いことやろうとしてたのに、
まともな政治家になりそびれたね。。。


独裁者カダフィは米国から必死に石油利権を守ってたし、そのおかげで識字率90パーのアフリカで一番豊かな国になれた。


フセインは良い政治をしてた側面もあるよ。
いかにフセインが米国に騙されたか、前にブログ記事で書いたけど。


ただ、自国民を大量に殺してる事実は変わらない。
やっぱり恐怖は恐怖を呼ぶだけ、武力は武力を呼ぶだけで、何の解決にもならない。


wikiには

欧米に支援されたシリア国民連合の統治能力に対する懐疑や、占領地域で統治を行う過激派組織ISILアル=ヌスラ戦線等のアルカイダ系反政府勢力の跋扈から、シリア国内では少数派ムスリムキリスト教徒を中心にアサド政権を支持する声も決して少ないとはいえない。

また周辺諸国の利害関係や、独立を望む各地のクルド人勢力の動きも絡みあって、事態は複雑化している。


とある。まーとりあえず、めっちゃ複雑だわ汗


長くなったけど、以上がアサド政権が自国民を殺す理由です。
この説明でわかったかしら??


アサド大統領も色々追いつめられて国民を殺してるし、
他国の軍も、反政府軍も、過激派組織も、
シリアの中でずっと人殺ししてるワケで……


とにかくもう、シリア国民や難民が可哀想すぎる……。
停戦合意することは無理なんだろうか。。。


次回はワタスが思う、アメリカとロシア、です。
ちなみに常岡さんは親米派らしいですが、
ワタスは米国政府が嫌いですw


はー。。。ここまで3時間かかった。


最後まで読んだ皆様も、お疲れさまーず。