皆様、おはようございます。
今日も暑いね^^;


明後日の8月6日、9日は地球で初めて
核爆弾が投下された日。


最近読んだ記述で、頭を殴られた感じの
まとめを見つけたので、ここに紹介します。


リンク 広島・長崎原爆で奇形児が少なかった理由のカラクリ
(追記。2018年、元リンクが削除されていたので、元リンクをコピーしていたリンクを貼らせていただきました)


このまとめには『ABCC』(原爆障害調査委員会、当時はアメリカ軍施設)という組織が出てくる。


そしてこのABCCは現在、日米共同機関の
『放射線影響研究所』になっている。


この放射線影響研究所=ABCCが当時、何をしたのか。
ここに転載します。


被爆者である橋爪文さんが書いた
『少女・14歳の原爆体験記』(高文研)より。


「私は広島の生き残りのひとりです。〈中略〉

ここで、ひとつ触れたいことは
『ABCC』についてです。


これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して、放射能の影響調査に乗り出しました。


そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。


その際私たちは人間としてではなく、
単なる調査研究用の物体として扱われました。


治療は全く受けませんでした。


そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。

日本政府もそれに協力しました。


こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、
何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。


しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。


私たちは焼け跡の草をむしり、
雨水を飲んで飢えをしのぎ、
傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。



あれから50年『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。」



アメリカが被曝データを取っていたという事実は沢山の人から聞いていたけれど、
まさか治療もせず、こういうやり口だったとは思ってもなかった。


あと、どこかの記述で『731部隊』(戦争中に捕虜の外国人を連れてきて、化学細菌兵器の人体実験をしていた部隊)が裁判で罪を問われなかったのは、採取したデータで司法取引したとも見た事がある。


そしてリンク先のまとめには、
どのような奇形児が多く生まれたか、その画像もある。


それは知りたい人だけ読んで下さい。
もうここで取りあげずとも、想像つくでしょう。


証言の中に『奇形児をABCCに提供すると、内緒で報酬を貰えた』とあるよ。


そして、広島・長崎で、奇形児の出産が少ないように
情報操作されている、そのカラクリは……


①適切な治療を受ければ助かった人々が放置され死亡した。
ために生き残りの人々は元々、被曝量が少ない人が多い。


②ABCCによって奇形児が闇から闇に処分された。
というより、研究目的で全て持ち去られた。


③奇形児を出産した事、また被曝地で奇形児の出産率が高い事を知られると、何かといわれの無い差別まで受けるから隠した。



そして広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、
原爆の対日使用は「人体実験」だったとして、1994年に次のように述べてます。


第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、
『人体実験』についての情報を独占することだった。


第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を
必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに
治療方法の発表と交流を禁止するとともに、
死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の、
血液やカルテを没収することだった。


第3に、日本政府をして国際赤十字からの
医薬品の支援申し出を拒否させることだった。


たしかに、『実験動物』を治療するのでは
『実験』にならない。
そこでアメリカ軍は全力を尽くして
被爆治療を妨害したのである。


第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察する
ABCCを広島・長崎に設置することであった。


加害者が被害者を観察するというその目的自体が、
被爆者への人権蹂躙ではなかったか。



そしてこのABCCが公開しているデータは
原爆投下から3年後の1948年からのデータ。


このリンクの記述にあるけれど、

適切な治療を受ければ1948年以降(たとえ2~3年の命であって)も、生きていたであろう人々を切り捨てたABCCと放医研のリポートは、データの基礎となる一次被曝者の数が、最初からデタラメです。


よくツィッターで『原爆投下で被曝した人でも、そんな酷い被害はない』みたいな事言ってる人いるけど、
結局は死人に口なしなんだよ。


米国はよく原爆投下の理由を
『アメリカの若者達の犠牲者をこれ以上、出さないために苦渋の決断をした』みたいな事を言ってるけど。


じゃ、なんで2回も原爆落とす必要あんの?
孫崎氏の講義で習ったけど、当時の大統領トルーマンは、もしそのまま日本が降伏しなければ、12個もの核爆弾を落とす予定だったとか。


そして速攻、乗り込んできたABCCって機関は何?


ここまで書いて皆に今一度、考えてほしいこと。


2011年、福島県は28万人の中学生までの子供達に
ガラスバッジを配っている。



ガラスバッジはそこに数字が表示されるわけではなく、
放射線の高いところに行っても警告音ひとつ鳴るわけではなく、ただ『積算外部被曝量』を記録するためのもの。


一定期間後(通常は1ヶ月)回収され、
製造会社がデータを取り出し報告書を作り、
報告書をお客様、この場合は福島県に提出する。


子供たちはそれを毎日ぶら下げて、
福島で生活している。


一つ、皆に考えてほしい。


これは何の為にやってるの?
子供たちを守るためにやってんの?


それとも……。


海外育ちのとある知人は、日本の事故後の対応を見て、
『人体実験やる国なんだと思った』とハッキリ言っていた。


日本人でそう感じる人は、どれくらいいる?


米国や政府が表面上で主張することを鵜呑みにしてたら、
命がいくつあっても足りないわ。


日本の大人達がちゃんと覚醒しないと、
データの数字として子供達が扱われるんだよ。


集団的自衛権しかり、
何度同じことを繰り返したら、
私たち日本人は気がつくんだろう。


この内容は1人でも多くの大人に知ってほしいです。


追記。はだしのゲンの中で、ABCCが描写されています。
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