他者を受容する。ってやつだ。


こんにちは(*゚ー゚)v
よねすけです。


バイト先で、「ラノベは読んだらダメだ。」と言われて、しばし論争。

ダメな理由は「痛いから」




だwまwれwwww




と思ったので、ここは院生らしく対応。


「何が、どういうふうに痛いんですか?」
「いわゆる普通の小説は良くて、ラノベがダメだっていう理由を明確に教えてください。」
「ラノベを読むことで、私がオタクだと思われるのは、何の問題もありません!!」


こう、言いきった。


そしたら相手は
「ラノベ読者として言わせてもらえばラノベは、堂々と読むものじゃなくて、こっそり楽しむものなんだよ!見ていて痛々しいから止めてくれ!!」


イミフww
しかも、うちの質問に答えてない。じゃあ、違う角度から…。


「なんでですか!ラノベもオタク文化も立派な日本の文化です。別に私が読むことで、周りにラノベを読めとか押し付けてないし、押し付ける気もありません。」


ここまで言えば、相手も折れるだろうと思ったんですが…。


「いやいや。オタクはアンダーグラウンドでいいんだよ!!押し付けるとか論外だしw」



いやいやww誰も押し付けないしw
しかも、オタクはアンダーグラウンドで良いって、どんなけ古い見方なんだwwww
正直、メディアも無視できないレベルに来てるし、アンダーグラウンドに居たくても居られないよ!?


どうにも論が噛み合わない。

ということで、カバーを付ければおk。ということで合意。







一晩頭冷やして考えたけど、「カバーを付ければおk」っていうのもおかしな話。

それって、やっぱり認めて無いってことだし、むしろアンダーグラウンドに押し戻されてる。しかも、他人の嗜好をとやかく言われた上に、カバー=隠せ。という条件。

カバーをするということは、他人の嗜好を見ない・見たくない・認めないっていうことだと思うんだ。

これって、嗜好だけじゃなく他人そのものの否定に繋がるんじゃないかと。


人と人は、お互いを受容しあって初めて合意が出来、わかりあえるもの。受容なくして、互いの理解は得られず、他者との共存はありえない!



ということで、「コードラノベ・反逆のよねすけ」今から、ケンカ売りますwww