霊界からの釈迦のメッセージ
霊界からの釈迦のメッセージ - 1. 仏教界
霊界からの釈迦のメッセージ
第一章 仏教界
一 神様の実在を教えられなかった
仏教徒の皆さん、私は釈迦です。皆様は、「観世音菩薩」や「南無阿弥陀仏」の意味を知っていると思います。
私は、地上生活で肉身の快楽にひたって生きていた(若い)とき、宮廷の外にいる世の中の人たちがひもじさにあえぎ、病に苦しんでいることを、知ることも理解することもできませんでした。
ところが、歳月の流れとともに私は、生死禍福の主人が別にいらっしゃるという事実を悟るようになり、人間として生まれてから死ぬまでの苦しみや解決できない多くの問題をめぐって、大いに悩み苦しんだのです。その結果として悟ったことといえば、「自我」(一)の発見というものでした。しかし、発見したその自我の背後にある実体に関しては、ずっと気に掛かりながらも、そのままにしておくしかありませんでした。
しかし、大いなる神様が存在するがゆえに、私が存在するという事実、存在界のすべての現象は神様によって創造されたという事実を、釈迦は解明することができませんでした。自己を発見して主管しさえすれば、すべてにおいて最高の基準に達することができると考えていたのです。
しかし、私の大きな過ちは、自我を発見したのち、神様の実存に関して(弟子たちに)正しく教えることができなかったことです。今日の仏教徒が、神様を正しく求めることができず、知ることができないのは、すべて私の教えに問題があったと思います。
したがって、仏教徒の皆様、「自我の発見と自己の完成」は、神様を中心としてなされなければなりません。それがすなわち「個体完成」なのです。神様を離れた個体完成というものはあり得ません。
仏教では、人間は完成し、善く生きていくことによって浄土、極楽(二)へ行かなければならないと説かれていますが、その極楽の真実の意味は、神様のいらっしゃる天国のことなのです。ある日、神様が私を呼ばれて、「汝が深い境地で黙想しながら、すべての試験と誘惑に耐え抜いたとき、その力の源泉はどこにあったか知っているか。その力の根本は万有原力であり、その万有原力の主人が、すなわち神である」と教えてくださいました。そして、「汝、弟子たちに、神について教えてやれなかった(親)不孝を、肝に銘じるがよい」と語られました。そして、仏教に入門する数多くの人々が念仏を唱えながら、「観世音菩薩」や「南無阿弥陀仏」を唱えながら、菩薩、仏ばかり、釈迦ばかりを求めて、神様を求めていない、と叱責されたのです。
仏教徒の皆さん、この地球上の森羅万象は、すべて神様の創造物であり、人類は神様の子女です。一つの天のもとに、数多くの人種や宗教や様々な次元の文化は、唯一の神様を中心として、一つの宗教、一つの文化へと統一されなければなりません。これが神様の本来の願いであり、創造理想であり、目的です。
愛する仏教徒の皆さん、私たちは神様に仕えて侍り、一つの柵の中で同じ空気を吸って生きなければなりません。そのためには、皆様が今後、釈迦を求めるのではなく、神様を求めてくださるように願います。神様がいらっしゃる天国の世界で、共に出会って生きるために、釈迦に代わって、神様を皆様の主人にしていかなければなりません。釈迦に拝するとき、「神様!」と呼び求めながら、精誠を尽くしてください。釈迦は既に神様を父母として仕える身なので、そこには釈迦は現れないはずです。
神様は愛であられるがゆえに、このような釈迦を哀れに御覧になり、仏教徒を救済なさるため、地上人との祝福(結婚)を許してくださり(崔元福ボク女史と。一九九八年六月十三日、ニューヨークのマディソン・スクェア・ガーデンにて)、それを通して私たち仏教徒を救う道を開いてくださいました。私は霊界に来て、多くの新たな事実を悟り、神様の命令を受け、文鮮明先生の指示に従って、仏教徒を救う運動に最善を尽くしています。
仏教徒の皆さん! 釈迦はこちら(霊界)に来て、極めて真なる真理を発見し、その真理を仏教徒の皆様に伝えようと思います。そのため、統一教会の文鮮明先生の思想について学んでください。ここにおいては、神様がいらっしゃる天国の世界に、共に集って生きるのが最上の人生です。そこがすなわち(最上の)極楽世界です。ですから仏教徒の皆様は、神様を中心として生きていくように努力しなければなりません。皆様の人生の方向を転換しなければなりません。皆様が方向転換するように釈迦は、霊界からメッセージを伝えていこうと思います。ぜひとも、この点を肝に銘じて研究してくださることを願います。
(二〇〇〇年十月二十三日)
(一)仏教では自我の執着から離れるために無我を強調し、また、悟りの境地で現れる真実の我、大我を説いている。
(二)極楽とは阿弥陀経で説かれる阿弥陀仏の西方極楽浄土であり、仏教では、薬師如来の東方浄瑠璃世界や、毘盧舎那仏の蓮華蔵世界(華厳経)、久遠本仏の霊山浄土(法華経)、大日如来の密厳浄土なども説かれている。釈尊からのメッセージでは、従来の西方極楽浄土の範囲を超えて、仏教徒が求めてきた浄土を総称して言っていて、極楽世界を天国の意味で語られている。
二 仏教徒のとどまっている所
地上における肉身の生活ののち、霊界に来るようになると、その人自身がどう生きてきたかによって、霊界での行き先がそれぞれに異なってきます。肉身をもって地上で生活していた時には、金持ちや権力者は、自分の思いどおりに大きくて立派な家に住んだり、時には別の所に引っ越して暮らしたりもします。いわば、地上生活においては、お金や権力や名誉さえあれば、ほとんど自分の思いどおりになるのです。
ところが、命を失うようになると、自分の権限がなくなります。その人の霊魂が地上にある時の生き方によって、霊界での行き先が決定されるのです。地上での金持ちは、多くの人々が集まった中で盛大で豪華な葬式(昇華式)を行い、広い土地に立派な墓を建てるとしても、ここでは誰も待つ人のない、孤独な場となることもあります。また、地上において寂しく、みすぼらしい昇華式をしたとしても、ここでは多くの霊人たちが集う盛大な歓迎式が行われることもあります。自分よりも他人のために犠牲と奉仕の生活をしたならば、その人は真に貴い所にとどまるようになるのです。
ここで、仏教徒の皆さんに切に伝えたいことがあります。今、明らかにしているのは、大部分の人に共通する事実で、仏教徒が特に心に深く刻むべき内容は、どれほど人のために奉仕する生涯を生きたとしても、人間を創造された神様に仕えることができなければ、(死後)極楽世界(天国)に行くことができず、永生の福楽(永遠の幸福)を得ることができないという点です。
永生の福楽の世界は、釈迦とは無関係です。私は、地上にいるとき永遠にとどまる所を発見しましたが、神様が私たちの父母であることを悟ることができませんでした。そのため、神様の前に途方もない親不孝をしてしまったのです。
今、こちらで仏教徒のとどまっている所は楽園世界の最下層であり、私は、多くの仏教徒に誤った教えを説くことによって、仏教徒の霊魂をそこに定着させてしまったという心の痛みと罪の意識を、大いに感じています。神様、そして仏教徒たちに申し訳ない限りです。仏教徒たちも、みな神様の貴い子女であるにもかかわらず、この釈迦の教えが誤っていたために、数多くの霊魂がそこにとどまりながら、極楽世界(天国)を望んでいるのです。私はこの事実に対し、無限なる切なさと申し訳なさを感じています。
