お盆の帰省から戻って1週間

23日の朝 兄から突然の電話

母が倒れて🚑で運ばれたとポーン

もうすぐ86になる1人暮らしの母

こんな歳になれば 友人知人の母も

癌で亡くなったり倒れてそのまま…

そんな人が周りにも増えた

実際 私の叔母2人も

4.5年前に 1人は癌で亡くなり

1人は朝倒れているのが見つかってそのまま


帰省する度に 母も

自分もいつそうなるんだか 

その時は 延命治療なんてしないで

そのままでいいから と言われている

実際 そんな日が来るかもしれないと

頭では思っていてもどこかで 

そんな日はまだ来ないと思ってる自分がいた


今年のお盆に帰った時もそうだった

いつもように 杖を付いてヨタヨタと

外の玄関先まで出て来て 

車が見えなくなるまでずっと手を振ってる

その後家の中に戻る時に転んだら大変だから

外出なくていいからと言っても

なんもその時だばそのまま逝ぐで

(いやいやその時はそのまま逝くから)

と笑う母 


その時の母の姿が浮かんで 

やめてよ〜😭 ウソだあ〜😭

でも 落ち着いて話を聞くと


庭の草取りをしてて 熱中症で倒れたらしく

脱水症状を起こして倒れていたらしい

朝6時前に お向かいさんが出勤しようとしたら

いつも閉まってる玄関も窓も全部開いてて

何か様子が変だな〜っと思ってくれて

声を掛けても返事も無いから 

家の中を覗き込んだら

台所で倒れている母を見つけて

同じく親しくしてる近所の人に連絡して

でも2人共 死んでると思ったらしい💦

そりゃそうだよね💦

恐々 母に触ってまだ生きてる事わかって

🚑呼んでくれて 

ご近所の皆様に感謝🙏

母を見つけてくれてありがとうございました🙇‍♀️


🏥で点滴して意識も戻ったそうで一安心

でも 糖尿やら高血圧やら

持病ある高齢者なので

血栓とか無いかとかCT撮ったり

諸々検査しましょう ってなって

その結果 特に問題無ければ5〜7日位で退院

そんな話だったので 

私も🏥行ってもコロナ禍で会えないし

退院が決まったらそれに合わせて帰る事に

早ければ週末に 

遅くても来週には退院かな〜と思っていた矢先


又兄から27日の夜に電話が…

母の血圧が下がってこのままでは危ないから

家族の同意書が必要だからと 


はっ? えっ? 何?

もうすぐ退院じゃ無いの?

てか 何で今頃? 

もう4日も経ってて 血圧下がってる?

この4日間何してたの?

家族の同意書? 

てか 危ないって何? 


頭の中混乱してたけど兄と話して

少し落ち着いて荷造り 

そしたら又 兄から電話来て

兄の声も震えてるのがわかって

このままだと死んじゃうから手術する事になって

俺の判断で同意書にサインしたからと…


血圧が下がり続けるって事は

どこかから出血しててそれを見つけて

手術で出血を止めないと死んじゃうって事?



私にできる事は祈る事だけ


荷造りしながら 一瞬 

喪服を持った方いいかなと よぎった

無い無い 必要無い 何考えてんの

要らないに決まってる 

勿論 喪服なんか持たなかったけど

黒のズボンに黒いスニーカー履いて

黒いTシャツをバックに入れてた💦


そんな訳無いと思いながらも

もしそうなったら とも考える

その繰り返しで 寝付けないまま朝を迎えて

朝早く兄からラインが入って 


手術始まって直ぐに心臓が停まって

何とか動いたけど 全身麻酔できないから

手術は中止して お腹に穴を開けてドレーンで

洗浄してるから 朝になって体力回復して

全身麻酔できるようになったら手術する






日曜日の朝早く新幹線で向かう

新幹線の中では ひたすら


お母さん 頑張れ頑張れ🙏

お父さん まだ連れてかないで🙏

どうかお母さんを守ってちょうだい🙏

お母さん 大丈夫大丈夫🙏

頑張れ頑張れ🙏

お父さん 頼むお願い🙏


ずっとその言葉を繰り返して

念を送ってた 

涙が溢れて止まらなかった😭


盛岡から高速バスで🏥近くの駅で降りて

そこからタクシーで🏥へ

前もって 兄が🏥側に私が来る事を伝えてたので

着いたら先ずはPCR検査

日曜日なので救急外来の入り口の外で待ち

看護師さんが出てきて検体を取って

入り口入ってすぐの処置室で待つように案内されて

結果が出るのを暫く待つ


広い処置室には 移動ベッドや車椅子

医療器具やパソコンが何台かあって

ここって母が運ばれて最初に入った部屋かも

なんて思いながら そこでも祈る🙏

30分程待ってただろうか

看護師さんから陰性と伝えられて

駐車場にいる兄の元へ


すると嬉しい報告がひらめき電球

母の容態が安定して手術できそうだと😭

全身麻酔ができればそのまま手術との事

昨夜は兄も一睡もできなかったらしい

医師からも相当厳しい話をされていたようで

3回分の医師からの説明書には

「死亡の可能性大」の文字が何度も書かれていた


同意書の内容の1つに

心臓が停止した際はと言うのがあって

心臓マッサージをするかしないかと

する場合はどこまでやるのか?

と言うのがあったらしく


高齢なので やり過ぎると骨が折れて

内臓に刺さる場合もあると医師から言われて

兄は そこまでならない程度にはやるように

お願いしたらしく 良かったと思った

これが 心臓マッサージはしないで下さい 

と答えていたら もう母はいなかったかも〜😭



そんな話をしていたら兄に🏥から電話があって

全身麻酔ができたので手術を開始しますと😭


良かった…先ずは良かった

手術ができるという事は

死を待つだけの状況は回避できる

生きる事に希みを繋げる

後は 無事に手術が終わる事を祈るのみ🙏



3時間程で 無事に手術が終わった

良かった〜😭

母は生きてる😭

只々感謝🙏




医師から手術について詳しく説明を受ける

胃に大きな穴が開いてたゲッソリ

ちょうど肝臓と胆嚢の間の辺りの位置に穴が

入院後の検査では見つかっていないし

熱中症による脱水症状だったので

点滴からその日には食事に変わっていたようで

出血だけでなく

そこから食べたモノも出ちゃってたし

胃液も出て胃酸のせいで肝臓も色が変わってた💦


高齢で胃が元々脆くなっていたかもしれないけど

何んせ 85歳で人生初めての入院

急激なストレスによるものかもと


それとこれは兄と2人で話したんだけど

ここ数年はめっきり足腰が弱くなって

痛くて歩けない動きたく無い状態

旅行は勿論 買い物にも行きたがらなくなって

楽しみは食べる事 

そんな母が不自由な入院生活

倒れた日から4日間何も食べれず点滴だけで

お腹もぺこぺこに空いてただろうし

食事が出された途端嬉しくて

ガツガツ食べて 

その上突然の入院で

入れ歯も無いからよく噛めずに

ゴクンと飲み込んでたんじゃないかなと…


もう お母さんたらあ〜🤣って

後々 笑い話にできるといいなあ〜



医師からは手術は無事終わったけど

まだまだ予断を許さない状況と説明を受ける

術後の敗血症や腹腔内に膿みが溜まったり

縫って塞いだ部分が開いたり

そう言った状況になる可能性がある事を

覚えておくようにと


何かあったら電話をするとの事で

その日から兄の電話が鳴る度に 

🏥からか?と2人してハラハラドキドキ

電話が無く朝を迎えると 安定してるんだね

お母さん頑張ってくれてるねと2人で安堵

そうして3日が過ぎた

電話が無いという事は安定している証拠

母の様子は聞けるので🏥へ

平日で外来もあるし 入院病棟も忙しそうで

担当医も看護師さんも捕まらず💦

入院患者家族の相談窓口で

PCR検査でお世話になった看護師さんと再会

向こうはすぐに分かったらしく

検体を取る時の仕草してくれてご挨拶〜

担当医や担当看護師と話すのを待つのは

相当な時間掛かるから

代わりにお母さんの様子見てきます

と言ってくれて 何か知りたい事あったらと

話も聴いてくれた



そして まだ人口呼吸器と他にも管で繋がれおり

自体は安定している と教えてくれた

するとタイミング良く

担当の看護師さんが通った所を 呼び止めてくれて

お話伺えました〜🙏



術後は安定させる為にずっと眠らせていると

でも間も無く お昼は起こして

夜は寝る という生活ペースを作って

先ずは人口呼吸器を外せるように

自発呼吸できるようになる事を目標に


と仰ってくれた

母とは会う事は叶わないし

今は安定しているので一旦東京に戻る事に


18で上京してから

帰省して母と会えなかったのは初めて

家に母の姿が無い事も初めて

ずっと毎晩 母のベッドで寝てた

毎朝 父に手を合わせてお願いしてた

東京に戻るのに家を出る時も 

母の見送りの無いのも初めて

又 お盆の帰省から帰る時の

見送る母の姿が浮かんじゃった

寂しいな…


又 ここで会える日が必ず来ると信じて

家を後にした 


お母さん 頑張ってね🙏

お父さん 見守ってね🙏