日曜日見たばかりのあの背中が、その日も同じ形で謙介の眼に入ってきた。

「真由。」

二日前には言えなかった何気ないその言葉が、先週よりはまま小さめに真由の耳には聞こえた。

「あ、おはよ。そろそろテストでしょ。勉強してる?」

「ああ、してるよ。前期はそんなに大変じゃないけど。」

真由は何も知らない。最近の謙介の頭の中はなぜだか真由で埋め尽くされることが多い。

昔を思い出しているのかもしれない。

真由は自分のことをどう思っているのだろうか。

「そう、いいな。理系は大変なんだぞ。」

いくつかも動きをした真由の唇をみながらも、その言葉は謙介の耳の中を流れて行ったにすぎなかった。

心の微妙な揺れが、久々の火曜日を楽しめなかった。

 日曜日、久々に晴れ渡った大学通りを、いつもより少しだけゆっくり歩いて床屋へ向かう。

途中で謙介は、見覚えのある後ろ姿に気がついた。

「真由」

そのふた文字を呼べばどうなるのか、想像とその意味を考えているうち、曲がるべき角に来てしまった。

路地に入ってしまえば今日のすべてが終わる。しかし話しかければ今日だけではないすべてが始まってしまう。

徐々に小さくなるその背中が、うなじが、まさしくもう手の届かない存在になっていくようで、四つ角で曲がってくれればいいのに、真由の家はこのまましばらくまっすぐだ。

すっかり緑をつけたことを忘れられた桜の木が、真由の身体をその影でつつんだ。一瞬、髪をかき上げた真由の左手首にかかっているゴムが、緑色だったのは錯覚だろうか。

火曜日以外の日に会ってはいけない気がした。

 火曜日の国立駅発10時8分の電車。二人が会うのはもう、偶然ではないということを共に認めていた。

「真由、おはよ。」

「謙介。  ねぇ、覚えてる?謙介が私の部屋に忘れていったライター。」

「あぁ、白いやつね。スキー行ったときに買ったんだ、確か。苗場だったっけ。」

「うん、使わないなら持っててもいい、って。今でも使ってないけど。あの机の、引き出しの奥のほうに、そのまま・・・」

「そう・・・」

捨てれば

そう言えなかったのは、一駅で降りなければならない時間の短さのため。そう理由をつけて無理矢理納得しながら、今日もまた後ろを振り向かないで階段を昇った。

あれは、三年前の冬に置いてきたままの、思い出のライター。