24年という年日が長いのか短いのか…私にとっては答えが出ないと思います。

阪神・淡路大震災から24年。

当時の震度7の揺れは死ぬまで忘れられない。

昨年の大阪北部地震では、たまたま震度6弱の場所にいた為、一気にフラッシュバックしてしまい、PTSDは治らないと実感。

お互いの進路や恋バナとか、学校を卒業してからもよく会っていた親友が亡くなった事実は、昨年辺りからようやくですが、少しずつ受け入れられるようになりました。
(間接的ですが、慰霊碑に親友の名前を見付けたのがきっかけ)

親友が亡くなってからの年月の方が長くなっていた事にふと気付く。

いいんだか悪いんだか、親友の一家全員亡くなったので、お墓が何処にあるのかも分かりません。

24年前、電気が点いたのは午後9時頃。

TVをつけたら我が家地方の被害なんてまだまだ軽かった事を知り、事実を伝える内容に茫然としていました。

水道は有り難い事に翌日のお昼から通りましたが、ガスが通ったのは3月上旬。

我が家地方では千葉県警や警視庁のパトカーが走り、ガスの元栓を開けてくれたのは、北海道ガスの方だったのです。

全国各地の皆様から助けていただきました。



このお見舞いの葉書が届いた時、当然の事ながら印刷だと思っていました。

印刷でも凄く嬉しかった。

こんなにもファンの事を心配してくれてるんだ…と。

それが印刷ではなく、直筆だと事が分かった瞬間、膝から崩れ落ちて玄関で号泣していました。

LIVEで「ラジカル・ティーンエイジャー」を演ると、この葉書が甦って未だに号泣してしまうのです。

1年に1度、この葉書の事も語り継いでいきたいと思います。

親友を含めた6,434人の犠牲者に黙祷。

※更新時間は地震が起こった時刻です。