私にとっては死ぬまで忘れられない阪神淡路大震災から23年。
当時の震度7地域だったのもあり、あの揺れはどんなに怖かった事か…。
周辺の家や我が家も含めて倒壊は免れましたが(判定は半壊…)、同じ町内でもドミノ倒し状態で壊滅的な所も。
何が起こっているのか理解できなかった明け方の大きな揺れ。
私が逃げた直後にさっきまで寝ていたベッド目掛けて倒れたガラス扉付本棚の凄まじい音。
お互いの恋バナや進路とか、学校を卒業してもよく会っていた学生時代の親友が震災で亡くなった。
何年経っても親友が亡くなった事を受け入れられない自分がいる。
昨年、偶然にも慰霊碑に刻まれている親友の名前を見付けた。
それを見て「本当に亡くなったんや」と事実を少しだけ受け入れられた自分もいる。
言い方は悪いかも知れないけど、即死ではなく残酷な亡くなり方をした親友。
苦しかったやろね…。
見付けてもらうのに2日もかかったもんね…。
親友は一家全員犠牲になったのもあり、お墓が何処にあるのかも分からない。
思い出すだけでも供養になると聞いた事があるので、今日は泣かせて下さい。
お互いを知っている年月の方が遥かに短くなっていくけど、1年に1度やってくる1月17日。
23年に頂いたお見舞いの葉書。
印刷だけでも凄く嬉しかったのに、直筆と分かって玄関で号泣した1995年1月下旬。
今でも「ラジカル・ティーンエイジャー」はイントロのドラム3発でこの葉書を思い出して涙。
親友を含め亡くなられた6434人の方々へ黙祷。