6,434人が犠牲者になった阪神・淡路大震災から今日で22年。


風化されつつあるのが哀しいけど、当時の震度7の揺れを体感した私にとっては、あの恐怖を死ぬまで忘れられないと思う。


お互いの進路や恋バナとか、学校を卒業してもよく会っていた親友Yが犠牲になった。


不思議なもので、22年経ってもYが『亡くなった』事実を未だに受け入れられないのです。


Yはいいんだか悪いんだか…一家全員亡くなられたので、お墓が何処にあるのかも分かりません。




⬆私の部屋に今も残る当時の爪跡。



右横にある家具の角が地震の揺れで壁に何度も当たり、えぐれたままになっています。




⬆22年前に届いたお見舞いの葉書。


印刷だけでも凄く嬉しかったのに、直筆だった事に気付いて玄関で号泣しました。


今でも『ラジカル・ティーンエイジャー』はイントロのdrum3発で号泣。


⬆この葉書が浮かんできて、まともに聴けないのです。


Yを含め、犠牲になられた方々に黙祷。


生きたくても生きられなかったYの分まで生きると決めた22年前。


改めてシングル『生きよう』の歌詞が心に染み渡る。