サーキットから岡山に戻ってきて、仕事を手伝ってもらった二人を降ろして事務所へ。
ツイッターを見てみると、Moto2クラスに参戦している富沢祥也選手が決勝中に転倒、というツイートが並んでいた。
しかも悲鳴のようなツイートが。
その時にはテレビ中継を見ていなかったので状況がわからず。
だが、ただ事ではないクラッシュだったんだというのは感じた。
そして22時前。
富沢選手が治療の甲斐無く亡くなってしまった事を知りました。
彼がクローズアップされたのは2006年・15歳の時。
その年の全日本GP125は、彼より一才年下の中上貴晶選手が全戦全勝。
そしてその中上選手といつもトップ争いをしていたのが富沢選手。
岡山ではわずか0.2秒差でした。
彼はすごく明るくてユニークな人でしたね。
インタビューにもしっかり答えてくれるし、しかもその中に笑いのエッセンスが含まれていた。
世界GPという舞台で誰からも愛される『ショウヤ』選手のキャラクター。
日本にいるときも同様でした。
いろんなシーンを思い出します。
06年・岡山での中上選手とのデッドヒート。
そしてその後の表彰台での表情を覚えてます。
その年の鈴鹿では中上選手が独走し、富沢選手は井手選手との2位争いに僅差で敗れ3位。
なんと、チェッカー後に中上選手と井手選手がメインストレートで激突し、表彰台に上がったのは富沢選手だけ。
そのときの心配そうな表情。
07年・岡山ではファイナルラップの最終コーナーで菊地選手のインをついて、0.03秒差で逆転優勝。
08年・岡山ではGP250初優勝を独走で飾った。
今から思うと、全日本の3年間で岡山で表彰台に上がらなかった年はなかったんですね。
表彰台での彼の笑顔は本当によかった。
09年から世界に行って、テレビを通してしか見ることはできなくなっていました。
今年の8耐ではゲストとして放送ブースに来られていて、10月に延期になった日本GPでの活躍を誓ってくれていた。
まだ19歳ですよ。
もう彼の走りを、そして笑顔を見る事ができないのが本当に残念です。
富沢祥也選手の御冥福を心からお祈り致します。