手放してからしばらく経つけれど、カフェを経営していてよかったことの
ひとつは、日本人の知り合いが増えたことだった、と今となっては思う。
カナダに移住してから、特に深く日本人コミュニティーと関わってこなかったこともあり、日本人の友人知人は決して多くはない。
小さな、そしてちょっと治安の良くない場所にあったカフェだけれど、地元のウェブメディアや、世界を股にかけて活躍するフォトグラファーがSNSで取り上げてくれたこともあって、日本人のお客さんも徐々に増えていった。
バンクーバーはハリウッドノースとも称されるほど、映画やドラマの撮影が多く行われている。
東京ドームが幾つ入るんだ?というくらいの大規模な撮影スタジオも、あちこちにある。
どこで聞いてきたのか、映画関係者から撮影スタジオでキオスクカフェをやってくれないか?という話が来たのも一度や二度ではない。
俺がやっていたのは、当時としてはまだ珍しいハンドドリップ(ポアオーバー Pour-over と呼ばれる)だったので、スピードと量を求められるような撮影スタジオでは絶対にできない、と思い、いつも断っていた。
当地には駐在日本人や、永住者の子供が通う日本語学校が幾つかあり、そこでのイベントへの出店の話もよくもらった。
実店舗ができる前は、移動式カフェとして、イベントテントを車に積んで、ファーマーズマーケットを中心に走り回り、スケジュールが合えば喜んで日系のイベントにも参加させてもらった。
日本人もコーヒー好きが多いし、日本の喫茶店はハンドドリップでコーヒーを淹れるところも多いから、俺のコーヒーを一口飲んだら、何度となくお客さんから
「おいしー!日本のコーヒーの味がする!」
と言われた。
イベントで知り合った日本人のお客さんの中に、郊外ですしレストランを経営する夫婦がいた。
人通りも決して多くない場所ながら、テイクアウトを中心にいつも忙しくされていた。
奥さんは笑顔が絶えない、とても穏やかな人で、ある時、すしシェフのダンナさんと連れ立ってカフェにやって来た。
そう、そのときは俺も実店舗をオープンさせていたのだ。
一方で、ダンナさんはそんなにフレンドリーではなく、奥さんと俺が話しているときも一歩後ろで、店内をチラチラ見ながら、俺たちの会話に入ってくることはなかった。
日本にこういうオジサン多いんじゃないでしょうか(笑)
いつものように、お客さんの目の前でコーヒーを淹れて、その夫婦にサーブした。
奥さんはそれ以前に、イベントで何度か俺のコーヒーを飲んだ経験があり
「じゃあ、飲んでみなよ」
と、後ろに立つ物静かなダンナさんを先に促した。
『コーヒーなんてどこでも一緒だろう』
と、ダンナさんの心の声が俺に聞こえてきた。
テイクアウトだったので紙コップでサーブし、立ったままでクリームも砂糖も入れることなく一口口に含んだダンナさん
「なに、これっ!? ウンマッー!!」
と、いきなりの大声だったので、ビビリの俺は一瞬ビクッとなってしまった。
あんなに飲む前と、飲んだあとのリアクションギャップが大きい人は初めてだった。
さすがは腕のいいすしシェフ。
素材の味には敏感で、それまでが別人のように色々とコーヒーについて質問をしてきた。
けれど、少し前のリアクションの印象が強すぎて、何を話したか、いまとなっては、さっぱり覚えていない。
その夫婦、それから間もなくして、何年も経営されていたレストランを売却されたと聞いた。
その後、奥さんがまた一人で来店されて、少しだけ話しした。
ビジネスを売却後、ダンナさんは別のレストランで雇われのすしシェフ。
奥さんは、ベーカリーで同じく雇われのスタッフとして働き始めていた。
「長いこと、オーナーだったのに、人に雇われて働きづらくはないですか?」
と聴いた俺に
「ぜーんぜん! 楽でいいですよっ。だって、自分のシフトが終わったら、家で仕事のこと考えなくっていいんだからー」
その答えを聞いて、その時の俺は「へえっ〜、そういうものかあ」くらいに思っただけだった。
いや待てよ、でも色んな会話をしたのに他は全く記憶になくって、その一言は鮮明に覚えている。っていうことは、無意識に大切な(俺にとっては)言葉として、記憶スイッチがオンになっていたのかもね。
いま、その夫婦と同じように、自分のビジネスを手放して、雇われの身となっている俺。
いい加減なカナダに長く暮らしていても、そこは根が真面目(笑)
自分のシフトが終われば、全く仕事のことを考えないということはないし、ストレスだって少しはある。
けれど、つくづくあの奥さんが言ったことの意味が、身に沁みて分かるのだ。今になって。
人生経験を積んだ大人なら、誰にでも “なぜだか鮮明に記憶に残っているひょんな一言” っていうのがあるんじゃないでしょうか。
そして、そこには自分の人生にとって大切な意味が含蓄されているのかも。