12年間過ごしたコンドミニアムから引っ越した。

想い出がたくさん詰まった我が家。
愛娘が生まれた場所でもある(自宅のお風呂で生まれたのだ)。

彼女が成長するに伴って、ベッドルームが1つの我が家が手狭になってきていた。
彼女自身のプライベートな空間の必要性も感じてきていた。

当地では子供は小さい頃に、それも乳飲み子の段階で自室を与えられるのはごく一般的なことだ。
日本とは異なる住宅環境というのもあるし、子供を”こども”としてじゃなく、一人の自立した”人”として扱うお国柄ということもある。

ありがたかったのは、愛娘が
「どうして私は自分の部屋がないの?」
と駄々をこねたり、両親を困らせることが一度としてなかったことだ。

我が家は、配偶者と俺、そして愛娘以外の家族がカナダにいないので、家族としての結束が強いということもあるだろう(いつも家では3人一緒の空間にいるのが当たり前のようになっているという意味で)。

それでも、色んな友達の家へ遊びに行って、それぞれが自分の部屋を持っている環境を知っているんだから、心中は羨ましくもあり、自室が欲しかったんだろうな、と思う。
だからこそ、”声なき望み”を叶えさせてあげたいという親としての気持ちがあったのだ。

いくつものタイミングが重なって、6月の上旬に引っ越しの話が持ち上がり、中旬にはすでに決断を下して、下旬には荷物の移動を始めた。

愛娘は念願の自室を手に入れて、自分のカラーに部屋をデザインしている。


家を引っ越すということは、幼稚園の頃から顔馴染だった友達と離れ、別の学校へ転校するというということでもあった。

当地の公立学校の夏休みは2ヶ月間以上あるので、6月に入ると既に指定学区の学校とは直接コンタクトを取ることが許されず、7月に入ってすぐに教育委員会のようなところのオフィスに出向いて転入の手続きをした。

人から聞いて、大体の予想はしていたけれど、人口増加・住宅不足が著しいこの街では、公立学校だというのになんと・・
『待機扱い』になってしまった!

当地の学校には、カナダ人は当然のこと、外国から子どもたちに英語教育を受けさせたいがために、片方だけの親や、他の家族が保護者になって、国を越えて入学してくる子どもたちも少なくない。
それくらい、世界では英語という言葉の影響力が強いということなんでしょうね。

配偶者と俺は、平日は基本的に家を離れて仕事をしているし、学校へ通えないからといってホームスクーリングをできるわけでもない。

『待機扱いは自力でどうすることもできないから、自分たちでできることにベストを尽くそう』

と配偶者と覚悟を決めた。と言いながらも、どこかで楽観視していた。
だって愛娘は”カナダ人”として、しっかりと学校教育を受ける権利があるのだから。

新学年が始まろうとする1週間ほど前に、指定学区の学校から待望の連絡がメールできた。

「この学区へようこそ!ですが、残念ながら現時点であなた方の子供の学年には空きがありません」

労働組合の力が、日本社会とは比べ物にならないほど強い北米では、教職員にしても同じことが当てはまる。
一クラスの生徒上限数が決められていて、それを越える人数は教員がそれを受け付けないのだ。

これは困ったぞ。

「プライベートの学校ならばとりあえず転入できるかも?」と思いついて、近場のプライベートの学校をいくつかリストアップしてみた。

が、この案は、学費を見た途端、我が家の経済事情が許さず、潔くギブアップ。。

ならば、ということで、指定学区の学校のオフィスへコンタクトを取り、家から送り迎えが可能な学校をいくつかリストアップして、それらの学校に愛娘の新学年に空きがあるか聞いてもらうようにリクエストをした。

幸いなことに、オフィスの担当者は迅速に他校へコンタクトをしてくれたんだけれど、まさかの全ての学校にその時点では「空きがない」「返答がない」ということだった。

これには配偶者も俺もだいぶ参ってしまったし、焦ったね。


愛娘の夏休み最後の週は、配偶者は休暇を取って『ガールズウィーク』と称して、友人たちを家に招いたり、外で食事や映画、ネイルを愉しんでいた。

その日は、友人と、彼女の娘さんと4人で、ランチやダラーストア(100円ショップのようなところ)を満喫していた。

その友人のダンナさんは、別の市で教員をしていることもあって、配偶者が現状をちょっと相談したみたい。

そしたら、その友人は笑いながら

「私なら、始業の日にその指定学区の学校へ娘を連れて、とにかく行く。
北米にはね、 "The squeaky wheel gets the grease" (”キュウキュウとうるさい車輪にはオイルが差される ー 『やったもん/言ったもん勝ち』” に近い、かな)っていう表現があってね。そんなもの、直接行けばいいのいいの!」

という豪胆な答えが返ってきたらしい。

その日の夜に、そんな会話があったことを聞かされた俺は

「いや~、さすがにカナダでもそれはないでしょうよ!」

と2人で笑ってその話題は終わり、

「とにかく始業の日は諦めて、今は学校からの連絡を待つしかないね」

ということになった。



もう来週から新学年が始まるという状況で、金曜日に指定学区の学校から、「近所にある別の学校のクラスに空きがあると連絡が来ました。まずは始業の日にそこへ通いますか?」
とのメールが来た。
配偶者と俺は、喜んでそのオファーを受けた。

というのも、その日の朝、ちょうど家族で近所を散歩して、通学可能範囲にあるその学校を見に行っていたからだ。
そして、

「この学校、雰囲気いいねえ。指定学区の学校よりは遠いけど、周りの交通量も少ないし、近所も穏やかな感じだし」

と話していたばかりだったからだ。

喜ぶ配偶者と俺を片目に、愛娘は新しい学校へ行く日が近づいてきて、段々とナーバスになってきているのが手に取るように分かった。

彼女にとっては、どの学校になろうとも、今までの友達とは会えないんだから、校舎がどうの、近所がどうのとかは関係ないのだ。
そりゃあ、そうだよね。


さて、週末が明けて、いよいよ新学年(9月に学年が変わる)スタートの日。
配偶者は、愛娘のことを気遣って、先週は丸々バーケーションを取り、その週は午後出勤というシフトにしてもらい、慣れない学校へ朝は一緒に登校しようということにした。
俺も朝は家族と一緒に登校し、その足で職場へ向かうことに。
まあ、俺にとっては日常のルーティンではあるんだけど。


「こっちの学校って、始業式とかあるんですか? どんな感じなんでしょう?」

以前、日本からダンナさんの仕事で、カナダでしばらく生活することになった家族のお母さんが、カナダ生活が長い他のお母さんにそう聞いたことがあった。

それを聞かれたお母さんは、

「ナイナイ、ここではそんなものぉ。ワ〜〜〜ッと始まって、ワ〜〜〜ッと終わるだけ」

と答えていた。
見事に、的確に表現された答えだと、それを横にいて聞いていた俺は思ったものだ。


愛娘の新しい学校も全くそれと同じで、ドアが開くまで子供たちやその保護者たちはワイワイガヤガヤと学校の周りに集まっていた。

引っ越してきたばかりの子どもたちや、その保護者以外はね・・

しばらくして、バスケットボールコートの下に、転入してきた子どもたちと保護者が集められた。
当地は人の流れが盛んなので、転入してきた家族も結構な数だ。小規模な学校だけれど、15−20家族はいたんじゃないかな。

教育委員会のようなところに事前に手続きがされた子どもたちが、学年ごとに名前を呼ばれた。

愛娘の学年は、4人くらい呼ばれたか。

「OK、じゃあこちらが把握している生徒はこれだけです。誰か名前を呼ばれていない人はここにいますか?」

校長と思われる女性教員が周りを見回した。

「Here.... (はいここに....)」

と手を挙げて、2家族が前に出てきた。

「えっ?名前は?事前に転入の手続きは済ませていますか?」

と、再度手に持つ書類に目を通した校長。

その家族に注目が集まった。

すると、その保護者たちは少しバツが悪そうな表情を見せながら、両肩をすくめて ”テヘペロ” 的な表情を見せた。

「手続き?なにそれ? 私達はただ引っ越してきた所の最寄りの学校に子どもたちを通わせるために来ただけですけど・・・」

その保護者たちは何も言わなかったけれど、明らかにその表情と仕草から、そう物語っているということが伝わってきた。

「ま、まじか?! 本当にいたよ!"The squeaky wheel gets the grease" を実行する人が・・ しかも2家族。しかもしかも同じ学年だけで。」


いやあ、、、本当にたくましい(いい加減な)人たちが多いですよ。

「いいですね~。カナダの学校や子どもたちは実にのんびりと適当な教育で」

という声が、日本から聞こえてきそうだ。


でも、こんないい加減さがまかり通る、この国の子どもたちが通う大学に、日本の名だたる大学の研究者や教員、その予備軍の人たちに、著名人の子供などが沢山学びに来る。

つくづく世の中は、納得いかないことや、分からないことだらけですね。


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