プランが職場を去った。


あ、プランとは、俺の職場にいたインド人男性(仮名)で、主にデリバリーを担当していた。
俺よりも少しだけ遅れて採用されて、彼とは同じチームだったので一緒に働くこともままあった。

多分日本にいたなら女性ウケしそうなシャンとした顔立ちなんだけど、中東とか南アジアの男性にありがちで、ヒゲがとにかく濃い。
時々、何を思い立ったのか、髪をボウズに、そしてヒゲをさっぱりと剃り上げて出勤してくることがあった。
そういうときの表情は、実にあどけなくて、美少年のようだった。
けれど、冗談は抜きにして、何日か経つと髪もヒゲも同じスピードでビッシリと生えてきて、瞬く間に”おっさん”の表情になるのには驚かされた。

プランは俺とは性格がまるで違って、働き初めの頃は本当に一緒に仕事をするのが嫌だった。

たとえば、職場には至るところにパッケージを解くためのカッターが置かれているんだけれど、他のメンバーは、使ったら同じ場所に戻すのが、彼は使い終わった場所に放置するのが常だった。

カッターはすぐに使えるように少しだけ刃が出してある。
ある時、俺がパッケージに手を伸ばしたところに、そこにあるはずのないカッターが放置されていたので、危うく手をカットしそうになったことがあった。

さすがにその時は、俺の堪忍袋の緒が切れて

「ヘイ、プラン!!今俺はカッターで手を切りそうになった。頼む、使い終わったら元の場所へ戻してくれや」

と、呼びつけて厳しい口調で伝えた。


全員とは言わないよ。けれど、10億人近い人口を抱えるインドや中国の人たちには、日本に浸透しているような『他者を優先する』とか『他者を気遣う』という概念は、日本の感覚で考えると無いに等しい、というのが俺の中にある。
どちらが良いとか悪いとかじゃなくて、それだけの人口がいれば、他者のことを優先にして生きている場合じゃない、というのが現実的なところなんだと思う。

プランの場合は、俺が今まで出逢ったインド人の中でも飛び抜けて大雑把な性格で、「Thank you」や「Sorry」といった肝心な言葉も、ほとんど出てこない奴だった。
虫の居所が悪いときにマネジャーに呼ばれると

「アアアーーーン!?」

と大きな声で応対するような奴だ。

今のボスの元で働くまで、俺は長年、自身がボスとして個人でビジネスをやっていた。だから、自分のスタイルで働くことができていた。
その間に、知らず知らずのうちに自分の中には「こうあるべき」「こうすべき」という概念が確立されていたんだろうね。

自分一人で、自分が経営者として働いているうちは、まだそれでもいいかもしれない。
けれど、一旦チームの中で働くとなったら、自分のスタイルや概念を他者に押し付け続けると、自分も他者も息苦しくなってしまう。

「ああ〜っ、明日もまたプランと一緒かよ。仕事行きたくねえなあ」

と考えたストレスフルな夜も沢山あった。
配偶者に愚痴ったことも数え切れない。
プランと一緒に仕事をしていても、最小限の会話しかせずに、ほぼ彼を無視して仕事をしていた。
関わりたくなかったのだ。

「しまった! 誰にも何も頼まれてもいないのに、俺は”ひとり風紀委員”になっているではないかっ!」

配偶者の指摘もあって、あるとき俺はそれに気づいた。

それから俺の心境に、少しづつ変化が出てきた。
その時を境に、とかじゃなくて、本当に少しづつ。
だって、他のメンバーも同じようにプランに対してストレスを抱えているのかと思ったら、よく見たら和気あいあいとやってるじゃない。

「プランは、そういう奴なのだ。俺とは異なる国で、異なる文化習慣の中で生活してきた。そんな自由で子供みたいな彼に、俺の”風紀委員スタイル”を押し付けるほうが間違っているんだ」

チームの仕事に差し支えるようなミスはもちろん指摘するけれど、俺のモノサシでプランに意見を言うことは一切しなくなっていた。

彼が使ったものを放置しても、それが気になる俺が、自分の意志でそれらを元に戻したり片付けたりした。
「しょうがねー奴だなあ」
と思いながら。

その時に気づいたんだけど、プランは俺に対して「ああしろ、こうしろ」とは、ただの一度も彼の意見を押し付けてきたことはなかった。
(俺のことをただ面倒くさくて怖がっていただけなのかもね)

俺は自分の仕事に集中し、それでプランのことを無視するでもなく、ヘルプできることはヘルプする。
そんなふうにやってきていると、俺たちの中に自然と日常会話が増えてきた。

インドのこと、日本のこと、同じ娘がいる父としてのこと、いい加減なインド人のこと(笑)などなど

彼は仕事を2つ掛け持ちしていて、もう一つの方も食料品のドライバーだった。
休みは週に1日で、あとの6日は2つの職場を行き来するという。
もっともそのクオリティーについては疑問が残るところだけれど(笑)、ハードワーカーであることは確かだった。

大した仕事もしないのに、自分の権利の主張だけは強いカナダ人に対して、俺たちのような移民・永住者は「勤勉さ」で勝負するしかないというところは間違いなく存在する。

プランの配偶者はフィリピン人で、共にドバイで出稼ぎをしているときに出逢ったらしい。
フィリピンとかインドから経済的に豊かなドバイに出稼ぎに来る人は多い。

会話も普通にこなすようになっていたあるとき、プランが

「俺とかジョー(フィリピン人のマネージャー)みたいに貧乏な国からカナダに移住するするっていうのはわかる。けど、なんでお前さん(俺ね)のような日本人が、ここへ移住する必要があんねん?」

「I don't know...」

これが素直に俺の口から出た答えだった。

日本人は他国へ出稼ぎや移住するという考えは一般的にはないし、インド人やフィリピン人のように英語に長けていないから、海外ですぐに働くことも難しい。

「なんで俺は(色んなハンデがある)カナダにこんなに長く暮らしているんだろうか・・・」

本気でそう思うことが時々ある。


「プランは、ファミリーでバンクーバー島へ引っ越すから、あと2週間で辞めるよ」

とマネージャーが伝えてきた。
どうやら、彼の配偶者の仕事がバンクーバー島で見つかったらしい。

バンクーバー島は、ここからフェリーで1時間半ほど。
めっきり忙しくなったバンクーバーに比べて、まだまだのどかでスローライフな雰囲気がある。
俺たち家族も先月にバケーションへ行ってきたばかりだ。


その日、いつものようにヨレヨレのスウェットパンツを穿いたプランがデリバリーから帰ってきた。(以前は、職場にヨレヨレのスウェットパンツを穿いてくることも俺はイライラしていた。余計なお世話ってやつだね)

「おおっ、おかえり。聞いたよ、バンクーバー島へ引っ越すんだってね。いいなあ。もう仕事は探してんのか?」

「んにゃ。仕事はなんでもいいんだよ俺。向こうは渋滞もないし、ドライバーでもなんでもいいよ」

そうなんです、彼には俺が未だに強く持っているような「こうあるべき」「こうすべき」のような概念や、「目標を定めて進む」みたいな”しがみつき”がすごく少ないのだ。
言ってみたら、『受け身の人生』ということか。

マネージャーに言わせても

「プランはなにか仕事を頼んでも、いつも『ああ、えーよ』で引き受けてくれる」

と有難がっていた。


先々週に、スタッフランチと称して、細やかなフェアウェルパーティー(送別会)をオフィスでボスが催してくれた。

スタッフ全員にメールで、その日のランチにオーダーすることになった寿司レストランのメニューが送られてきた。

皆、ロール寿司のコンボや、テリヤキ、天ぷら弁当ボックスというお馴染みメニューをオーダーをする中、プランはなんと

『チキンカツカレー』

という変化球をオーダーしてきた。

隣りに座ったプランを見ていたら、チキンカツは食べたけれど、ライスの大部分を残していた。

「なんだ、インド人らしくカレー頼んだと思ったら、ほとんど食べてないじゃねえか」

と俺が言うと

「すまんが、これは俺には甘すぎる」

と答えた。
そんなら、しょうがないかと納得した俺も、次の瞬間座っていた椅子から落ちそうになった。

ボスがデザートに買ってきた、猫の額の5倍ほどはあるような大きめのカップケーキを、ほっぺたにクリームを付けながら平らげているじゃないか!


「Thank you for everything.....」


と、控えめな声で、珍しくプランはボスに感謝を口にした。


俺にはプランのような「受け身の人生」を真似することはできない。
けれど、そうすることは、生きていく上でストレスが少ないということはわかっている。

ここまで俺は色んなものを鎧のように身にまとって生きてきた。
そろそろ少しづつそれらを落としていきたいな。

「人生の流れに身を委ねる」

プランとの、この人生で、この時期の出逢いには、そんなことを教えられたように感じるのだ。



ベースボールを家族で観戦
日本の野球と北米のベースボールはやっぱり根っこの部分で違うスポーツだな


こいつはメキシコ人の同僚
このバカでかい水のボトル(1.5L)を一日2本分飲むんだって。ストローでチュウチュウと