そうかぁ・・・12年が経ったか・・・

当時、地震の揺れを同時に味わったわけでもなければ、混乱状態にある日本国内を体感したわけでもない俺。
太平洋を超えたところにある祖国の映像だけを観る毎日。

まだまだ解決していないことは沢山ある。
けれども時間は止まってはくれない。

それならば・・・・自分ができることだけを・・

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我が家の愛娘はダンスが好きだ。
よく家でも一人で踊っている。

子育てにおいては、配偶者とよく話し合い、習い事をさせるときも、
「本人の個性に合ったものを親として見極めて、それらを伸ばしてあげよう」ということになっている。

余談だけれど、愛娘のクラスメイトでもある中国系の女の子は、今現在週7日!で習い事をしているそうだ。そして、それ(習い事をたくさんさせる)は、当地にいる中国人の家系としてはけっこう当たり前の傾向らしい。

先日、そのクラスメイトを近いうちに家に呼んで食事でも、と思ったんだけれど、その子のお母さんは

「今はちょっと忙しいからねえ。週7日で習い事しているから。ソーリー!(隣りにいる自分の娘に向かって)中国人の親を持ったからしょうがないと思ってねー」

と、サラリと言って、急ぎ足で娘と共に学校から去っていった。

まあ、それはともかく、しばらく前から愛娘はシアターダンスクラスというのか、歌って踊って、演劇もするクラスに通っている。
映画で例えると、かつてアカデミー賞を受賞したシカゴ(Chicago)のキッズバージョンといえば伝わりやすいかな。
インストラクターもその道のプロばかりだ。

本人はとても充実感を持っていて、学校が違う友達もできて楽しんでいるみたい。
親としては嬉しい限りである。

約3ヶ月に渡るレッスンが終了し、周辺地域にあるそれぞれの支部クラスの生徒が一同にダウンタウンに集まり、立派なシアターを貸し切ってのパフォーマンスが開催された。
親だろうが何だろうが、観覧チケットは有料で、しかも一丁前の価格だ(笑)

愛娘のパフォーマンスに眼が行くのはもちろんだけれど、俺の眼は他の生徒にも釘付けになった。

片腕のヒジから先がない子。

ダウン症で、インストラクターが常に側に付いて一緒に踊る子。

一般的な他の生徒と同じ動きができないために、独自のダンスを与えられて、それを伸び伸びと踊る子。

先天的なのだろう。体が細く、見たところ5−6歳ながら、車椅子に乗って、かろうじて動く手だけを懸命に動かしてステージ上を移動する子。

ティーンの男子が女性役をし、そして女子が男性役をするという粋な配役。


俺は人混みが苦手なので、大勢の生徒にインストラクター、そしてその家族たちが集まるダウンタウンのシアターに行くことに、正直なところ尻込みしていた。

新型コロナウィルスが蔓延してから、多くのイベントやミーティングなどがオンライン化した世の中だけれど、様々なパフォーマンスやショーがオンラインで鑑賞できるようになった世の中だけど、、、
でも、子どもたちの体温や息遣いが伝わってくるような距離で、同じ空間を共有することって、やっぱりオンラインのスクリーンを通して観るのとは全く違うものだね。うん、本当にそう思った。

ハンディキャップのある子どもたちがナーバスになりながらも楽しそうに歌って踊る姿を見て、これは前回のブログ記事とも重なることなんだけれど、過去に差別や区別、排他や拒絶に嫌悪などを経てきたからこそ、今こうして同じステージで、同じ機会を得られているのだと俺は思う。


たとえば車椅子ユーザーを取ってみても、当地で店内での飲食を提供するビジネスをする場合は、必ず車椅子が通れるスペース、トイレや非常口へのアクセスが必須となる。
なので、介助なしの車椅子ユーザーを見掛けることなどは、あまりにも日常的な光景なんだ。

20数年前にカナダに来て、初めて友だちになったカナダ人は、日本びいきで、俺と出会ってから間もなくして念願の日本旅行を敢行した。

カナダに戻ってきてから、日本で見たことや行ったところ、食べたものなどを嬉しそうに語ってくれた後、こう俺に言ったことを今でも覚えている。

「日本のショップやレストランはクールでユニークなところが多かった。
でも、車椅子ユーザーが入れないような造りのところが多いよね」

そう言われて、俺は全くそのとおりだと思った。
当時のバンクーバーはまだダサさが色濃かったけれど、その時でも既に車椅子ユーザーには優しい街づくりが成されていた。


『国際的なスタンダードだから』とか『世界の流れに乗り遅れないように』とか『ハンディキャップのある人々が暮らしやすい国だと他国の人たちに思われたい』だとかの”建前や上辺だけ”を意識した社会だと、愛娘が通っているダンススクールのような、ハンディキャップのある人たちにも当たり前に対応できるビジネスが、普通に生まれてくることは難しいだろうなぁ。

客観的に、そして一日本人として、俺が知る範囲で日本社会を見ると、高齢者には丁寧なほど気遣いが見られる国だと思う。これはカナダでは見られない。年配・年長者を敬う社会だからなのか?

対照的に、ハンディキャップのある人たちや社会的マイノリティ(外国人を含む)が暮らしやすい社会かといえば、それはまだまだ改善の余地があると思っている。

それはやはり、当の本人たちが、実感として、そして実体験として、区別や差別、排他や嫌悪という“好ましくない”現実を深いレベルで経てきていないからじゃないかなぁ。

アメリカは当然として、カナダ国内でも過去を辿ると相当醜いことをやってきている。
いろんな人種、いろんな文化や宗教が入り混ざっているから、必然的といえばそうなんだろう。
そして、そういう問題は今現在でも確かに存在している。

でも、それを反面教師として構築されてきている文化や社会的な仕組み・組織。これも確かに存在しているし、そこは日本に感じられない部分でもある。

どっちが良いとか悪いとか、そんなことは俺には分からない。

ただ、経験して、自分の目で見て、それを今の俺が思うこととして、こうやって書き残していいるだけに過ぎない。
なのでオチもないよ。


エンディングでは全員集合

市の公用車(ピックアップトラック)なんだけど、デカすぎだろ〜
 
おっ!目の前に走る車はヤマトじゃないか