日本のニュースやドラマなどは観ることがない俺だけれど、映画は好きなので、邦画に洋画、インド映画(ボリウッド映画)など、ジャンルにはこだわりながら国を問わず観ることがある。

先日も、YouTubeで2,3の邦画予告編を観た。
(予告編だけかよ!)
まあまあまあ。

そのうちの1つで、「んっ!?」と、不自然な感覚が身体を通ったセリフがあった。

どうやら、ペンションを営む役者(女性)が主演の一人のようで、自己紹介のナレーションが自分の声で流れたときだ。

『私はペンションの”女主人”』

日本と距離がある生活をしていると、やっぱり日本は「男が中心の社会」という風潮がまだまだ強いと感じさせられることがままある。

ただでさえ、日本人は
「差別されることには過敏で、差別することには鈍感」
なところが一般的にあるので、日本のスタンダードとされていることには少し注意をして、発言や行動をしたほうがいいと思ったりする。
特に社会的に影響力のある人達は。

先に書いた ”女主人” も、それはペンションの主人は男性が普通と思われているからで、わざわざ ”女” と付けてしまうのだろう。しかも女性自らが。

他にも ”女芸人”、”女性実業家”、”女医”、”女性警察官”、”女流〇〇”、など例を挙げるとキリがなく、こういう表現が北米で見られると、途端に「これは差別的表現だ!」と怒りとともに指摘されることは間違いない。

で、反対に、それまで女性が主に活躍していた分野に男性が進出してくるようになると、いつの間にか一般名称が変わっていて驚いてしまうことがある。
”看護婦”だったのが”看護士”に、”スチュワーデス”だったのが”フライトアテンダント”とか”客室乗務員”に。

思わず「そっちの対応は早いなー!」と、太平洋の向こう側からツッコミを入れたくなる。

当地で日本人のママさんと話をしていると、ごくたま〜〜に、自分のパートナーのことを ”主人” と言う人がいる。
外国人をパートナーに持つ人は、大抵ファーストネームで呼ぶので、”主人” と表現するのは日本人のパートナーを持つ人だ。

”主人(マスター)” ということは、対する自分は ”しもべ” とか ”使いの者” と言っているように聞こえてしまい、いちいち反応してしまうのだ。
あくまでも俺個人の感覚として、だけどね。

また、家計を支える収入がある方(英語では Breadwinner ブレッドウィナーと称される)を ”主人” と呼ぶのだとしたら、我が家では配偶者が、なんの疑いの余地もなく、その ”主人” となる。でも、日本では家族で ”主人” というのは、やはり女性が男性をそう呼ぶものと定義されているんじゃないだろうか。

日本が開国して約170年。
様々な分野で国際化が進み、海外へ留学する人たちも決して珍しいことじゃなくなった。
女性が社会で活躍する幅は、俺自身が知る昭和の頃と比べても、大きく広がっている。
これまでに使われてきた言葉も「差別的なニュアンスが含まれる」というものは改変されてきている。

だからさ、「男が中心の社会」と、言わずもがなに感じさせるような、でも当たり前に使われている表現は、そろそろ改めていったらどうでしょう??