昨年母が他界してから初めての命日というものを迎えた。

そして、その日は我が配偶者の誕生日でもある。
なので、この日は俺の人生にとって、相当な意味がある日なのだ。

愛娘とバースデーカードを作り、外食ではなく、普段どおりに家でディナーを作った。
オーガニックスーパーで、ビーガン&グルテンフリーのチーズケーキ(いや、チーズは使われていないので、チーズケーキ風デザートと呼ぶべきか)を買って、食後に食べた。

配偶者は乳製品がイマイチ苦手なので、ホイップクリームもココナッツミルクのホイップクリームである。ちょっと甘いけど悪くはない。

配偶者がオフィスから帰宅したとき、花束を手にしていた。
俺の母、そして本人の義母に捧げるために、だという。泣けるねぇ。


急逝した母のことを今日まで一日も思い出さないことはないし、毎日「もう一度会いたいなあ」と思って過ごしている。
なので、命日だからといってなにも特別なことはない。
日本の家族からは一周忌を営んだという連絡は来たけど、ここでは位牌もなければ、僧侶を呼んでお経を唱えてもらうこともない。

まあ、そういうこともあって、当然感傷に浸ることの多い日ではあったけれど、俺は、たった今、側にいる”生きている”配偶者の誕生日を共に祝うことの方が大切だと判断したので、いつものように家族3人で穏やかなディナーを囲んだというわけだ。


あの日以来、父とはメールや電話で何度かやり取りはしたものの、以前のように定期的にしていたスカイプは一度もしていない。
本人が
「今はスカイプをしたくない」
と、母が亡くなって間もない頃にそう言ったので、それを尊重している。

相方を失ったショックで、憔悴しきっている自分の姿を、カナダに居る息子ファミリーに見せたくなかったのかもしれない。
それにしても、未だにスカイプをしようという態度には出ないので、孫である我が愛娘も、そろそろ日本のじいちゃんの顔を忘れているんじゃないかと思っている。

1年前は、今よりもコロナに対する規制が厳しく、ワクチンも出回りだした頃だったはずだ。
国際間の移動もかなり厳しく、俺は急逝した母の通夜も葬式も49日も何も参列していない。

母が他界したことは、頭では十分に理解しているつもりなんだけれど、故郷の実家に足を踏み入れて、そこで初めて自分の中で、何かが本当の意味で決着するような気もする。

日本へはもう6年以上も帰国していない。
行ってみたい所、食べたいもの、愛娘を連れていきたい所、色々あるんだけれど、『帰国するのが怖い』という気持ちがあるのが正直なところ。

「お前の生まれ育ったところじゃねえか。なにをほざいておる」

と突っ込まれそうなところだけれど、本当にそう思うんだからしょうがない。


とにかく、だ。

今ここに家族で住める家があって、帰ろうと思えば、時間とお金を工面さえすれば帰ることのできる故郷がある。それが今の俺が置かれている立場。

現在進行形のウクライナの人々だけではなく、カナダでは、祖国に帰りたくても帰ることの許されない人々に出会ってきた。

自分は自分。他人の状況と比較する必要はないし、比較すること自体あまり好きではないんだけれども。

他者と関わり合いながら生きている、この社会。自分と家族のことだけを考えて生きているほど俺は短絡的じゃない。

なんとも言えない複雑な心境な2022年の春。





つくしがデカ過ぎて風情なし……