異国で長年暮らしていると、日本に住んでいたなら、まず出会うことがない・縁がないだろうな、という日本人たちとの出会いが随分あった。
元フライトアテンダントとか、これからフライトアテンダントになろうという人たち。
大学教授とか、これから日本に戻って大学教授になる人たち。
国際レベルの元ミスなんとか。
大学病院の現役医師。
タトゥーじゃなくて、バッチリと身体に和彫りが入っている人。
ざっと回想しただけで、これくらいは容易に出てくる。
そんな個性豊かな人たちの中でも、とりわけ俺の中に印象強く、そして記憶に焼き付いているのがワッシー(仮名)だ。
英語の勉強とか留学にやってきた日本人は沢山いたけれど、ワッシーの夢はド直球で筋が通っていた。
関西出身の彼は、コテコテの野球少年で、その頃の目標は「プロ野球選手」という抽象的なものじゃなくて、「甲子園球場のお立ち台に立つ」という、かなり変わった、それでいて具体的なものだった。
とにかく”野球選手”というステイタスではなくて、”甲子園球場”という聖地に恋していたのだ。
がしかし、大人になるに連れ、プレーヤーとしてお立ち台に立つということの難しさに直面していた彼は、甲子園球場に通っては、スコアラーのようにバックネット裏に席を取って、親戚でもファンでもないプレーヤーたちの記録を細かに取るという日々(習慣)が続いていた。
そんなある日、ワッシーの頭に閃いたのが
「(自身がプレーヤーとして無理なら)外国人プレーヤーの通訳として、甲子園球場のお立ち台に立ったる」
というものだった。
本業でもあった海上自衛隊員の職で鍛え上げられた精神力は、自身も認めていたように「マゾ」そのもの。
カナダに来てからは、通常の英会話学校を終え、厳しいことで名が知られていた「通訳者」を目指す人たち専門の学校に通い、
「課題が厳しければ厳しいほど燃えるんですわ!」
と何度も熱くほざいていた。
勉強で無茶苦茶に忙しい中、レストランでアルバイトもして自分にムチ打ち、マゾっぷりを発揮していた。
そんなワッシー、こと恋愛に関しては特上松阪牛レベルのズバ抜けた”奥手”。
同じレストランで働いていた女性シェフに恋心を抱いたんだけれど、彼から話を聞くたびに
「あんた小学生かよ!」
と突っ込みたくなったものだ。
たとえばこんな話があった。
オーナーシェフが運転する車の後部座席に、ワッシーとそのシェフが座っていた。カーブに差し掛かったときに、シェフは少し大袈裟にワッシーにもたれかかったと言う。まあ、よくある「オットットット」っていうやつだね。
「おおっ!いいチャンスやん。それで?ワッシーはもたれかかり返したんでしょ?」
と尋ねると、
「いいえ、それでドキッとなってしまい、それからはずっと窓の方に顔を向けて街の夜景を眺めていました」
だって。そりゃあ、そのシェフだって
「あれ?ワッシーどうしたの?なんか怒ってる?」
って言うよね(笑)
そんなワッシー、日本へ帰国してからしばらくは俺とメールのやり取りをしていて、アメリカから輸入したスポーツグッズを扱う仕事や、独立リーグでプレーする外国人プレーヤーの通訳など、ちょっとづつ、でも確実に自らの目標に近づいていっている様子が伺えた。
本当に不思議で、それでいて面白い奴だったなあ。
あ、でもね、俺が言いたいことは「夢や目標を持ち続けて突き進もう」とかいうことじゃない。
かつては俺もそういう考えを持っていて、海外移住したり、本を出版したり、自分のコーヒービジネスを立ち上げたりしてきた。
でも今は、「夢や目標は、自分には必要ない」という考えになってきている。
「夢」や「目標」とかは響きは良いんだけど、今ある、現実であり事実でもある自分を否定していることにもなりかねないので、単に『自分には合わないかな(合わなかったかな)』というところに至っている。
がむしゃらに荒波を乗り越えていくのではなく、それより、『今ここにある自分』に目を向けて、海鳥のようにプカプカ浮いて、それでもって波が来たなら無抵抗でそれに乗っていこうと。
ビーチとか森の中を歩いていると、そんな考え方に自然となってきたのだ。
大きくて太い、しっかりと大地に根ざした木を見上げると、ずっと先の細い方は、風向きに逆らうことなく「ゆ~らゆら」となっている。
俺はほんの数年前まで、「これじゃだめだ」「俺はもっとやれる」「海外で活躍する日本人になる」って、今置かれている足元を見ることなく生きてきたような気がする。
なので、少なくとも今の俺は、「夢」や「目標」を無理矢理に持つことなく、「今、今日やれること」に目を向けて、淡々と生きていきたい、と思うのだ。
「今日も手足が動く。歩くことができる。排便排尿が自力でできる。朝のコーヒーが美味い」
「よし、部屋にフレッシュエアーを入れて、愛娘のランチ作って、配偶者と俺のコーヒーを作ろう」
一つ一つ目の前の小さな、それでいて掛け替えのない行為をいちいち意識して。
もう、それしかないよね。