久しぶりに故郷、北海道夕張市に帰ってきました!


と言っても僕が居たのは本当に小さい頃までなので、実はほとんど東京人なんですけどね!*笑*


最後に夕張に帰ったのは、おじいちゃんが亡くなった時だから2011年。

いまから11年前!!

あの時は大雪が降ってたし、まだ夕張鉄道もあった時代!あと小さい頃はよくおじいちゃんと遊びに行ってた遊園地も今では何も無い広場になってた。


(小さい頃は本当に毎日ぐらい来てた遊園地)


(現在の遊園地)



入り口にあるこの人形だけは確か昔からある人形だった!


石炭博物館はまだやってるから中に入ってみた!


中に入ると、当時の資料とかもあったし、なにより蝋人形が沢山!!


三交代制で朝から夕、夕から夜、夜から朝、って働いてたんだって!


地下で働く炭鉱士さんも居れば、地上で働く炭鉱士さんも居たみたいだよ!

お給料が良いのは命が掛かってる分、地下の方達の方が良いんだって!


僕のおじいちゃんも地下で働く炭鉱士だったんだよ!


当時まだ小さい頃は、ここに連れてこられるたびに蝋人形が怖くて何か嫌だったし泣いたりしてたけど、大人になって、今はもう連れてきてくれてたおじいちゃんやおばあちゃんも居なくて、1人で歩いていると、なんか不思議と嬉しいし感動するし、少しだけ寂しいけど、心から「ありがとう」が言えるね。

ここで実際に昔、炭鉱士をやっていた方が当時のドラムカッターを動かしてくれて、どれぐらい音がでかいかを聴かせてくれたり、当時の炭鉱の話を聞かせてくれたよ。

たまたまおじいちゃんも炭鉱士だった話をして、年齢も近かったから名前を伝えたら知っていて住所まで分かっててビックリしちゃった!!


実は夕張では何処に住んでるかで、炭鉱のどの部分(深さとか)を担当してるかが大体解っちゃうんだって!


館長の吉岡宏高さんにも色々話を聞きたいなと思って


「館長さんっていらっしゃいますか?」


と聞いたらわざわざ席まで用意して二人で話してくれて、丁寧に当時の炭鉱の話をしてくれました。


もし炭鉱博物館に行く方は是非話を聞いてみてください!素晴らしい方です。

もし会えなかったり、忙しくても、出版されてる本に詳しい事は書かれているそうです。


(僕、お土産分とかで5冊買っちゃいました!家族や友達も喜ぶし☆)


最後に来た時はまだ今より夕張は元気そうに見えた!今は少し大人しく見えた。

そして僕が最後に来た時はまだ健康だったし健常者だった!今は10万人に1人の難病を持つ障害者!お互いに変わったね。

でも何故か輝きは消えない!


夕張の間瀬翔太!

間瀬翔太の夕張!

どんなに四面楚歌だろうと輝きだけは保ち続ける!!


あとお出迎えで、肩にトンボ止まってくるよ!


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現在、10万人に1人の難病

【脳動静脈奇形】を自伝にする為に

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