4/6 おはクラ放送後の呟き | マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

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マーシー山本のお仕事の報告やクラシック音楽の豆知識をお届けします。

新年度が始まりました。
おはクラも新しい年度を迎えて、昨年度から取り上げてきた「超有名曲斜め堀」をグレードアップしてお届けします。

 

おはクラで取り上げた名曲を愛知県芸術劇場コンサートホールで聴くことが出来る!

題しておはクラを聴いてコンサートホールに出掛けよう!


今回のおはクラで取り上げた皇帝円舞曲の作曲者のシュトラウス親子についてお話しします。


皇帝円舞曲を作曲したヨハン・シュトラウス2世の父親がヨハン・シュトラウス1世です。

この二人の確執は、家族や音楽界に大きな影響を与えた複雑な関係でした。

 

ヨハン・シュトラウス1世は、当初は息子であるヨハン・シュトラウス2世が音楽の道に進むことを反対していました。

彼は息子に医師になることを強く希望していましたが、ヨハン・シュトラウス2世は音楽に情熱を持ち、父親の反対を押し切って音楽家としての道を選びました。

 

その当時のヨハン・シュトラウス1世はウィーンで人気のあるダンスオーケストラの団長でした。

最初は父親の楽団を手伝っていましたが、女を作って家にいつかない父親とぶつかり、自らオーケストラを立ち上げ父親に殴り込みをかけます。

そのデビューも父親は妨害をしたりして、父親との関係が悪化します。

 

しかし1世は息子のシュトラウス2世の成功を妬み、その才能を認めたくないという感情を抱きます。

そして、ヨハン・シュトラウス2世が自身の音楽を演奏し始めた際には、ヨハン・シュトラウス1世は息子の音楽を模倣しようとし、それがさらなる軋轢を引き起こしました。

 

この確執は、両者の間での音楽的な競争としても現れました。

ヨハン・シュトラウス2世は父親との関係を断ち切り、自身のキャリアを追求しました。

そして、彼は父親よりも成功を収め、最終的に「ワルツの王」として称えられることになりました。

 

しかし後に両者は和解し、一緒に演奏会を行ったり、共同で作曲をすることもありました。

彼らの確執は、家族の複雑な関係や芸術家としての成長の過程における困難さを象徴しています。

 

今回の動画

https://youtu.be/grKNClu5jBk