マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

マーシー山本のお仕事の報告やクラシック音楽の豆知識をお届けします。

今回はモーツァルトの父レオポルト がモーツァルトに与えた影響を考察します。
レオポルト・モーツァルトがアマデウスに与えた音楽教育(年代順)を並べてみました。

* 1759年(3歳頃)
    * 姉ナンネルのために「ナンネル音楽帳(Nannerl Notenbuch)」を作成。
    * アマデウスは姉のレッスンを横で見聞きしながら自然に音楽へ親しむ。


* 1760年(4歳頃)
    * クラヴィーア(チェンバロ)の正式な指導開始。
    * 短いメヌエットや舞曲を暗譜し、耳で覚えて演奏する訓練。
    * 音感・記憶力を育てる教育を重視。


* 1761年(5歳)
    * 初めての作曲指導。
    * レオポルトが口述筆記する形で最初の作品(K.1)が誕生。
    * 「旋律を作る」「楽譜を書く」ことを学ぶ。


* 1762年(6歳)
    * ヴァイオリン教育を本格化。
    * 正しい弓使い・運弓・音程・歌うような演奏法を指導。
    * 自作の教育理論『ヴァイオリン奏法試論の理念を実践しました。


* 1762~1763年
    * 宮廷での演奏経験を積ませる。
    * 「舞台で弾く」「聴衆に伝える」演奏術を教える。
    * 即興演奏能力を伸ばす。


* 1763~1766年(ヨーロッパ大旅行)
    * 最大の音楽教育期間。
    * ドイツ・フランス・イギリス・オランダなど各地で当代一流の音楽家に会わせる。
    * 各国の音楽様式を実地で学ばせる。
    * J.C.バッハなどの音楽からギャラント様式を吸収させた。


* 1764~1765年(ロンドン)
    * ソナタ形式や交響曲の書法を学ばせる。
    * J.C.バッハとの交流を通じて、旋律美や形式感覚を身につける。


* 1766~1768年
    * 作曲技法を段階的に高度化。
    * ソナタ、交響曲、宗教音楽を書かせる。
    * 自作品を父が細かく添削・批評した。


* 1769~1773年(イタリア旅行)
    * オペラ教育を開始。
    * イタリア・オペラ、ベルカント唱法、劇的表現を吸収。
    * オペラ作曲家としての基礎を築く。


* 1770年頃(14歳)
    * 対位法教育を強化。
    * 古典的作曲技法、教会音楽、フーガなどを学ばせる。
    * より高度な作曲理論へ進む。


* 1770年代前半
    * 演奏だけでなく「良い音楽」と「悪い音楽」を見極める審美眼を養成。
    * 優れた作曲家は積極的に研究させ、低俗な作品には厳しい批判を加えるよう指導した。


* 1773年以降
    * 芸術家としての自立を促す一方で、作品には厳しい批評を続ける。
    * 作曲だけでなく、演奏・教育・礼儀・語学・教養まで含めた総合教育を行った。


レオポルトが最も重視した教育の柱は
* 耳を育てる(優れた音楽を数多く聴かせる)
* 技術を磨く(クラヴィーア・ヴァイオリン・即興)
* 作曲を学ぶ(幼少期から作品を書かせる)
* 世界を見る(演奏旅行による実地教育)
* 人間教育(語学・礼儀・読書・宗教・一般教養)


モーツァルトは幼い頃から各国の音楽様式を自在に吸収し、それらを自らの作品の中で見事に融合させることができました。
もしモーツァルトがレオポルト の子供でなければどうなっていたでしょう?

 

今回の動画

 

今回は数々のヴィルトゥオーゾ作品が生み出されたヴァイオリンの大きな足跡を紹介します。


出発点となるのがバロック時代のコレッリです。

コレッリは「近代ヴァイオリン奏法の父」とも呼ばれ、『ヴァイオリン・ソナタ Op.5』や『合奏協奏曲 Op.6』によって、運弓法やポジション移動など演奏の基礎を体系化しました。

彼の音楽は華美な技巧よりも美しい歌心と端正な構成を重視し、その教育法はヨーロッパ中に広まりました。


続くアントニオ・ヴィヴァルディは約230曲ものヴァイオリン協奏曲を残し、《四季》はその代表作です。

急速なパッセージ、華やかな跳躍、巧みなリトルネッロ形式を駆使し、ヴァイオリン協奏曲というジャンルを飛躍的に発展させました。


ジュゼッペ・タルティーニは《悪魔のトリル・ソナタ》で知られ、重音奏法や高度なトリルを駆使した幻想的な作品によって、技巧表現をさらに高い次元へと押し上げました。


古典派ではジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティが重要な存在です。

代表作《ヴァイオリン協奏曲第22番》は、今日でも演奏される名曲で、豊かな歌心と高度な技巧を融合させました。

 

ヴィオッティは近代フランス・ベルギー楽派の祖となり、その奏法は後のヴァイオリニストたちへ受け継がれました。

また、ルイ・シュポーアはヴァイオリン協奏曲や教育書を通してロマン派への橋渡し役を果たしました。


19世紀になると、ヴィルトゥオーゾ芸術は黄金時代を迎えます。

その頂点に立つのがニコロ・パガニーニです。

《24のカプリース》や《ヴァイオリン協奏曲第1番》は現在でも超絶技巧の代名詞であり、左手ピツィカート、人工ハーモニクス、高速重音、驚異的な跳躍など、それまで誰も見たことのない演奏技法を次々と披露しました。

その超人的な演奏から「悪魔に魂を売った男」という伝説まで生まれ、リストをはじめ多くの作曲家に決定的な影響を与えました。


パガニーニの後継者として活躍したアンリ・ヴュータンは、《ヴァイオリン協奏曲第4番》《第5番》で交響的なスケールと高度な技巧を融合させました。

さらにヘンリク・ヴィエニャフスキは《華麗なるポロネーズ》《ヴァイオリン協奏曲第2番》などで華麗なボウイングや重音奏法を発展させ、パブロ・デ・サラサーテは《ツィゴイネルワイゼン》《カルメン幻想曲》で美しい音色と軽やかな超絶技巧を世界中に示しました。これらの作品は現在も演奏会の人気レパートリーとなっています。


20世紀にはヴィルトゥオーゾの概念がさらに深化します。

フリッツ・クライスラーは《愛の喜び》《愛の悲しみ》《美しきロスマリン》など、技巧だけでなく温かく気品ある音楽で多くの聴衆を魅了しました。

 

そしてベルギーの巨匠ウジェーヌ・イザイは《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》全6曲を作曲し、バッハ以来とも評される無伴奏作品の新たな金字塔を築きます。

さらにベラ・バルトークの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》では、複雑なリズムや現代的な和声、民族音楽の要素が加わり、技巧は新たな表現へと発展しました。


このように、西洋音楽史におけるヴァイオリンのヴィルトゥオーゾの流れは、「コレッリが基礎を築き、ヴィヴァルディとタルティーニが技巧を発展させ、ヴィオッティが近代奏法を確立し、パガニーニが革命を起こし、ヴュータン、ヴィエニャフスキ、サラサーテがロマン派の華を咲かせ、イザイやバルトークが20世紀の新しい表現へと導いた」とまとめることができます。

 

今日、世界中で演奏されるヴァイオリンの名曲の多くは、これら偉大なヴィルトゥオーゾたちが、自らの卓越した演奏技術を最大限に生かすために生み出した作品であり、その伝統は現代のヴァイオリニストにも脈々と受け継がれています。

 

今回の動画

https://youtu.be/r5uC2tboFuY

今回もパガニーニについてお話しします。


彼の作品は後の作曲家にも大きな影響を与え、フランツ・リストはパガニーニの技巧に刺激を受け、ピアノで同じような超絶技巧を実現しようと《パガニーニによる大練習曲》を作曲しました。


1840年、パガニーニはニースで57歳の生涯を閉じます。

しかし、そのあまりにも人間離れした演奏から「悪魔のヴァイオリニスト」と呼ばれた伝説は今なお語り継がれています。

博打で楽器を失うという波乱万丈の人生も、超絶技巧を極めた音楽家としての輝きも、すべてがパガニーニという唯一無二の芸術家の魅力を物語っています。

そして、彼が切り開いたヴァイオリンの可能性は、200年近くを経た現在でも世界中の演奏家たちの挑戦目標であり続けているのです。


パガニーニ《24の奇想曲》第24番が後世に与えた影響も大きいです。
《24の奇想曲》作品1は、1820年頃に出版された無伴奏ヴァイオリンのための傑作です。

その最後を飾る第24番イ短調は、技巧的な難しさだけでなく、わずか数小節の印象的な主題によって、音楽史上最も有名な「変奏曲のテーマ」の一つとなりました。


第24番は、力強く簡潔な16小節の主題に続き、24の変奏と終結部から構成されています。

この主題は、明快な和声進行と覚えやすいリズムを持ち、さまざまな表情へ自在に変化できる柔軟性を備えています。

そのため、多くの作曲家が「自分ならこの主題をどう料理するか」という創作意欲を刺激され、19世紀から20世紀にかけて数多くの名作が誕生しました。

 

最も有名なのは、ヨハネス・ブラームスの《パガニーニの主題による変奏曲 作品35》です。

これはピアノ独奏曲として書かれ、「ピアノのための指の魔術」と呼ばれるほど超絶技巧を要求します。

ブラームスは単なる技巧の誇示ではなく、重厚な和声と緻密な構成によって、パガニーニの主題を芸術性の高い作品へと昇華しました。


セルゲイ・ラフマニノフは《パガニーニの主題による狂詩曲 作品43》を作曲しました。

ピアノとオーケストラのための全24変奏からなる作品で、とりわけ第18変奏は主題を上下逆にした美しい旋律で知られています。

この甘美なメロディーは映画やテレビでもたびたび使用され、原曲以上に親しまれています。


フランツ・リストは《パガニーニによる大練習曲》の第6曲でこの主題を取り上げ、ヴァイオリンの超絶技巧をピアノで再現しました。

リストはパガニーニ本人の演奏に衝撃を受け、「ピアノのパガニーニ」となることを目標に猛烈な練習を重ねたことでも知られています。

 

今回の動画

https://youtu.be/f13o0AUk2es

今回はパガニーニについてです。


ニコロ・パガニーニ(1782〜1840)は、19世紀前半を代表するイタリアのヴァイオリニストで作曲家です。

その超人的な演奏技術は当時の人々に衝撃を与え、「悪魔に魂を売って手に入れた技巧」とまで噂されていました。


パガニーニはイタリア・ジェノヴァに生まれました。

幼い頃から音楽の才能を示し、父アントニオの厳しい指導のもとでヴァイオリンを学びます。

練習は何時間にも及び、幼少期の彼は遊ぶ時間もほとんど与えられなかったと伝えられています。

その後、地元の優れた教師たちに学び、10代になる頃にはすでに神童として名を知られる存在になっていました。


彼の演奏は、それまでのヴァイオリンの常識を覆しました。

左手の驚異的な柔軟性を生かした広い音程の跳躍、重音や重複フラジオレット(高音を出す特殊奏法)左手だけで奏でるピチカート、高速のスケール、超絶技巧のスタッカートなど、当時の聴衆が目にしたことのない奏法でした。

またG線(ヴァイオリンの1番太く低い音だす弦)一本だけで演奏する離れ業も得意としていました。


パガニーニには数多くのエピソードが残されていますが、その中でも有名なのが「博打でヴァイオリンを失った」という話です。

若い頃の彼は賭博好きとして知られ、カード遊びや賭け事に熱中していました。

 

ある日、大きな勝負に負け、愛用していたヴァイオリンを質に入れるどころか、そのまま失ってしまったと伝えられています。

演奏会を控えていた彼は楽器を失い、途方に暮れていました。


その窮地を救ったのが、フランス系イタリア人の裕福な商人で音楽愛好家のリヴロンという人物でした。

事情を知った彼は、自ら所有していた名器、1743年製のグァルネリ・デル・ジェズ「イル・カノーネ(大砲)」をパガニーニに貸し与えます。

 

その楽器で演奏会に臨んだパガニーニは驚異的な演奏を披露し、聴衆を熱狂させました。

あまりの素晴らしさに感動したリヴロンは、「この楽器をここまで鳴らせるのはあなたしかいない」と言って、その名器をパガニーニに贈ったと伝えられています。

この「イル・カノーネ」は現在もジェノヴァ市が大切に保存しており、世界で最も有名なヴァイオリンの一つとなっています。

パガニーニは本当に若い頃に賭博好きで、多額の借金を抱えることがあったのは史料からも確認されています。


パガニーニは演奏家としてだけでなく、作曲家としても重要な存在です。

代表作である24曲の《カプリース》は、現在でもヴァイオリニストにとって最高峰の教本であり、技術と音楽性の両方が要求される名曲です。

また、《ヴァイオリン協奏曲第1番》は華麗な技巧と美しい旋律を兼ね備えた傑作として世界中で演奏されています。

 

今回の動画

https://youtu.be/MWaRNIu-u-w

今回はドビュッシーとラヴェル が作曲した「水」をモチーフにしたピアノ曲について語ります。

ドビュッシーの《水の反映》と、ラヴェルの《水の戯れ》を比べてみましょう。


どちらも「水」がテーマですが、
* ドビュッシーは水面を見る目線
* ラヴェルは水そのものの動きを描く視点です。


① 作曲年代
まず年代です。
ラヴェル《水の戯れ》は1901年。
ドビュッシー《水の反映》は1905年。
一般にはドビュッシーが印象派の代表と思われがちですが、この「水」の世界ではラヴェルの方が少し早く完成させています。


② 描いている水が違う
ドビュッシー《水の反映》
ここで描かれるのは、静かな湖や池に映る風景。
主役は水ではありません。
「水面に映った光」なのです。波が少し揺れると景色も揺れる。
月の光も木々も空も、水に映ることで幻想的になります。
「反射する光の芸術」です。
音も柔らかく、境界が曖昧で、夢を見ているようです。


ラヴェル《水の戯れは、
噴水や山の清流。
水が跳ねる!飛び散る!きらめく!流れる!
水の運動エネルギーそのものです。音も非常に華やかです。


③ ピアノの書法
ここが二人の性格の違いです。


ドビュッシーはペダルを多用し、音が溶け合います。輪郭はぼんやり。
まるで水彩画のイメージ音色で勝負します。


ラヴェルは一音一音が驚くほど明確。

水滴一つ一つが見えるほど精密です。
ダイヤモンドを散りばめた噴水。透明感があります。


絵画にたとえるとドビュッシーはクロード・モネの睡蓮の池。
光が水面で揺れています。輪郭は曖昧。空気まで描いています。
ラヴェルは精密なガラス細工。あるいはベルサイユ宮殿の噴水。水滴一粒まで美しい建築家のような音楽です。


④演奏の難しさ
ドビュッシーは「音を並べる」ことは比較的できます。

しかし、音色を作ることが非常に難しいです。


ラヴェルは弾くこと自体が大変です。

超絶技巧が続きます。

しかも、難しいだけでなく、透明に聴かせなければいけません。

まさに技巧と芸術性の両立です。


もし演奏会でこの2曲が続けて演奏されたら、こんな違いに耳を傾けてみてください。

 

今回の動画

https://youtu.be/XcS7r4ODLNk

今回は通称「海」で親しまれていますが、正確にはドビュッシーの交響詩「管弦楽のための3つの交響的スケッチ」)『海』です。

葛飾北斎の代表作《神奈川沖浪裏》とはとても深い関係があります。


※wikipediaより転載


① 楽譜の表紙に北斎の「大波」が使われました。
1905年出版の『海』初版総譜の表紙には、北斎の《神奈川沖浪裏》の波の部分が使われました。

しかもこれは出版社の判断ではなく、ドビュッシー自身が選んだとされています。


当時のフランスでは「ジャポニスム(日本趣味)」が流行しており、ドビュッシーも日本美術に強い関心を持っていました。

彼の書斎には北斎の版画が飾られていたとも伝えられています。

② 共通するのは「海を描写する」のではなく「海の本質を表現する」こと
興味深いのは、『海』が波や嵐を写実的に描いた音楽ではないことです。
北斎の《神奈川沖浪裏》も、単なる風景画ではありません。


* 巨大な波のエネルギー
* 自然の圧倒的な力
* 人間の小ささ
* 一瞬の緊張感
を表現しています。


同様にドビュッシーも、
1. 「海の夜明けから正午まで」
2. 「波の戯れ」
3. 「風と海との対話」
という3楽章を通して、海そのものの動きや光、風、うねりを音で描いています。

単なる波音の模倣ではなく、「海という自然の生命」を描こうとしました。  

③ 印象派と浮世絵の接点
ドビュッシーは「音楽の印象派」と呼ばれます。
一方、北斎の浮世絵は、後のフランス印象派画家たちにも大きな影響を与えました。


* 明確な輪郭
* 光と色彩の効果
* 一瞬の印象の切り取り
という点で、北斎とドビュッシーは共通する美意識を持っています。

 

『海』は音による印象派絵画ともいえる作品です。  
 

今回の動画

https://youtu.be/Mfq-Ipy2liY

今回はアレクサンドル・ボロディン「化学者と作曲家、二つの顔を持った天才」と題してお話しします。

ロシアの作曲家 アレクサンドル・ボロディン は「職業作曲家」ではありませんでした。

彼の本業はなんと“化学者”。

 

しかも当時のロシアで高く評価された本格的な学者だったのです。

音楽史の中でも、ここまで本格的に二つの分野で成功した人物は極めて珍しい存在です。


1833年、サンクトペテルブルクに生まれたボロディンは、幼い頃から語学や自然科学、音楽に才能を示しました。

特に化学への興味は強く、のちに医学校へ進学。

卒業後は化学研究者として活動し、さらにドイツへ留学して本格的な研究を行います。


彼は有機化学の分野で成果を上げ、「アルドール反応」の研究などでも知られています。

現在でも化学史に名前が残るほどの存在で、ロシアの女性医師育成にも尽力しました。

教授として教育にも熱心で、学生たちから非常に慕われていたといわれています。


しかしその一方で、彼の頭の中には常に音楽が鳴っていました。
研究室では試験管や薬品に囲まれながら、空いた時間になると楽譜を書き、ピアノに向かう。

時には実験の合間に旋律を思いつき、慌ててメモを書き留めたとも伝えられています。


本人は、「私にとって音楽は余暇の楽しみです」と語っていました。

しかし、その“余暇”から生まれた作品が、今日では世界中で演奏されているのですから驚きです。


ボロディンは、ロシア独自の音楽を作ろうとした作曲家集団「ロシア五人組」の一員でした。

中心人物は ミリイ・バラキレフ。

そこには モデスト・ムソルグスキー、ニコライ・リムスキー=コルサコフ、ツェーザリ・キュイ らが集まり、ヨーロッパ音楽とは異なる“ロシアらしい響き”を追求しました。


その中でもボロディンの音楽は、特に「雄大さ」と「叙情性」にあふれています。
代表作の一つ、交響詩 《中央アジアの草原にて》 は、広大な草原を進む隊商を描いた名曲です。

 

静かな弦の響きの上に東洋風の旋律が浮かび上がり、ロシアとアジアの風景が交差します。

この作品には、科学者らしい冷静な構成感と、詩人のような色彩感覚が同居しています。


また歌劇 《イーゴリ公》 も重要な作品です。

完成までに18年近くを費やしましたが、多忙な研究生活のため未完のまま亡くなりました。

その後、友人のリムスキー=コルサコフらが補筆完成しています。


この歌劇の中の「だったん人の踊り」は特に有名で、異国情緒あふれる旋律と躍動感によって世界的な人気を得ました。

後にミュージカル 《Kismet》 にも引用され、「Stranger in Paradise」として大ヒットします。


ボロディンの作品数は決して多くありません。

それは彼が研究や教育に忙しく、作曲に十分な時間を割けなかったからです。

実際、友人たちはしばしば「もっと作曲してくれ!」と彼を急かしていたといいます。


しかし、その限られた作品には驚くほど密度の高い美しさがあります。

特に旋律の魅力は格別で、一度聴くと忘れられない温かさと郷愁を持っています。


1887年、ボロディンは舞踏会の最中に心臓発作を起こし、53歳で急逝しました。

まさに突然の別れでした。


もし彼が化学者ではなく、作曲だけに専念していたら――そう想像する人は少なくありません。しかし、化学者として論理を追究した日々があったからこそ、あの独特の構築感と色彩感を持つ音楽が生まれたとも言えるでしょう。


ボロディンは、“理系と芸術”を見事に両立した奇跡のような存在でした。

試験管を持つ手で、美しい旋律を書き続けたその人生は、今なお多くの人を魅了しています。

 

今回の動画

https://youtu.be/VcoGKJNKdz0

今週はムソルグスキー 作曲の禿山の一夜について、ロシア5人組の仲間バラキレフの批評を交えてお話しします。


ムソルグスキーの《禿山の一夜》(原題:『聖ヨハネ祭前夜の禿山』)は、現在よく演奏されるリムスキー=コルサコフ編曲版と、1867年完成の原典版ではかなり印象が異なります。


バラキレフは何を批判したのでしょうか?
ムソルグスキーの師であり「ロシア五人組」のリーダー格だったミリイ・バラキレフ は、完成した原典版の総譜を見て非常に厳しく批判しました。


楽譜には彼自身が鉛筆で、
* 「こんなの何だかわからない」
* 「くだらない」
* 「ここは使えるかもしれない」
といった辛辣な書き込みを残したと伝えられています。  


批判の主な内容は、
1. 形式がまとまっていない
    * ソナタ形式や伝統的な交響詩の構成から大きく外れている。
2. 和声が荒削り
    * 不協和音や突然の転調が多く、当時としては前衛的すぎた。
3. オーケストレーションが未熟
    * 音響のバランスが悪いと考えられた。
4. 内容が異様
    * 魔女の集会や悪魔崇拝という題材自体が過激だった。というものでした。  


しかし現在では、これらはむしろムソルグスキー独特の革新性として高く評価されています。
面白いことに、ムソルグスキーは完成直後には大変満足していました。


友人への手紙では、
「魔女たちが禿山に集まり、悪魔の到来を待つ」
という情景を描いたと説明し、「この作品は生まれたまま生きるべきだ」とまで語っています。  

ところが尊敬するバラキレフに酷評され、深く落胆してしまいました。


●初演されなかった作品
原典版は1867年に完成したにもかかわらず、ムソルグスキーの生前には一度も演奏されませんでした。  


その後、
* オペラ《ムラーダ》
* オペラ《ソロチンスクの市》
へ素材を転用しながら何度も改訂しています。  


●リムスキー=コルサコフ版の誕生
ムソルグスキーの死後、親友の ニコライ・リムスキー=コルサコフ が1886年に大幅な編曲を行いました。
* 構成を整理
* 和声を整備
* オーケストレーションを洗練した結果、現在一般に演奏される《禿山の一夜》が誕生しました。  


実は有名な《禿山の一夜》は、かなりの部分がリムスキー=コルサコフの手による作品なのです。


原典版発見のエピソードがあります。
原典版は長らく忘れられていましたが、20世紀になって楽譜が再発見され、1968年にようやく出版されました。  


近年では、
* クラウディオ・アバド
* ワレリー・ゲルギエフ
* アントニオ・パッパーノらが原典版を取り上げるようになり、その荒々しく野性的な魅力が再評価されています。  


原典版を聴くと、リムスキー版のような「きれいな怪談」ではなく、
「本当に魔女たちが山で騒ぎ、悪魔が出現したような生々しい恐怖」を感じます。

 

今回の動画

https://youtu.be/oXJCtqL4j2o

今週は「おはクラ名人劇場」に登場するクラリネットについて語ります。

クラリネットは18世紀初頭、ドイツの楽器製作者 ヨハン・クリストフ・デンナー が、それまでの木管楽器「シャリュモー」を改良して生み出したとされる比較的新しい楽器です。

高音域が明るく輝くことから、小型トランペットを意味する「クラリーノ」が語源になったとも言われています。 


その後、クラリネットはオーケストラの発展とともに多くの仲間を増やしました。

その中でも少し不思議な名前の楽器が「バセットホルン」。

ホルンと付きますが金管楽器ではなく、れっきとしたクラリネット属です。

 

18世紀後半に誕生し、特に ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト が愛した楽器として知られています。 
通常のB♭クラリネットより低いF管で、音色は柔らかく、どこか人の声のような温かさがあります。

 

モーツァルトの《レクイエム》や《グラン・パルティータ》では、この独特の響きが作品に深い陰影を与えています。

 簡単に言えば...
・クラリネット → 明るく華やかで機動力抜群
・バセットホルン → 少し低音寄りで、まろやかで神秘的という違いがあります。


モーツァルトがもし現代に生きていたら、「もっとバセットホルンを使いたい!」と言ったかもしれません。

 

今回の動画

https://youtu.be/dl3dFzjufxc

先週に続いてショスタコーヴィッチ 作曲交響曲第5番を取り上げます。
今回は4楽章です。

終楽章の最後では、金管楽器とティンパニが「勝利」を強烈に打ち鳴らしている一方で、弦楽器が同じ音を執拗に刻み続けています。本当にしつこいです。


この部分は、ショスタコーヴィチ作品の中でも特に「本当にこれは勝利なのか?」と議論される場面です。
弦楽器が同じ音を弾き続ける理由には、音楽的・心理的・政治的な意味が重なっています。


1. “歓喜”ではなく「強制された歓喜」を表しています。
この終結は、一見すると巨大な勝利の音楽ですが実際には、
* 金管 → 勝利を叫ぶ
* ティンパニ → 軍隊的・機械的な圧力
* 弦楽器 → 同じ音を執拗に繰り返す
という構造になっています。


本来、自然な歓喜なら旋律が歌い、和声が広がります。
ところが弦楽器は「歌えない」。
ただ同じ音を弾き続ける。


これは、
「喜べ、と命令されている」ように聴こえます。


ショスタコーヴィチ研究学者は
“forced rejoicing(強制された歓喜)”
という言葉で説明しています。


2. 音楽が“前進”していません。普通、交響曲の最後は、
* 和声が解決する
* メロディが広がる
* 音楽が上昇することで「解放感」が生まれますがこの場面では、弦楽器が同じ音を執拗に反復するため、時間が止まったような感覚になります。


「勝利して前へ進んだ」のではなく、
巨大な力に押しつぶされながら、無理やり終わらされているような印象になります。


3. “機械”のような響き
弦の同音反復は、人間的な歌というよりは
* 工場
* 軍隊
* 行進
* 機械
を連想させます。


ショスタコーヴィチはしばしば、
* 機械的リズム
* 執拗な反復
* 冷たいユニゾン
で「国家権力」や「圧力」を描きました。


この終結も、
個人の感情が消され、
巨大な国家のリズムだけが残るように聴こえます。

4. ショスタコーヴィチについて書かれた《証言》では、この終結について有名な言葉があります。
「棍棒で叩かれながら、
“お前は歓喜している”
と言わされるようなものだ」
まさに弦楽器の同音反復は、
* 自由な歌ではなく.強制された反応です。


5.純粋なオーケストレーションとしても重要です。弦が同音を続けることで、
* 金管のファンファーレ
* ティンパニ
* 全体の圧力を下から支えています。
“巨大な音の土台”を作っています。


しかも弦が動かないため、和声の変化よりも「圧力」が前面に出ます。
「栄光の終結」にも聴こえるし、
「圧政の中で無理やり叫ばされる勝利」にも聴こえます。その“二重性”こそが、ショスタコーヴィチの恐ろしさであり、この交響曲第5番終結の核心です。

 

今回の動画

https://youtu.be/t8l0827b64Y