マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

マーシー山本のお仕事の報告やクラシック音楽の豆知識をお届けします。

今回はラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第2番ではなく、第4番についてお話しします。

ラフマニノフといえば浅田真央さんの演技でも有名なピアノ協奏曲第2番ですが、今回はラフマニノフ本人が推している4番についてお話しします。


時は1901年、ロシアは日露戦争で政治的にも社会にも混乱、ロシア革命(1917年)の少し前の1914年に第4番の作曲が始まりましたが、混乱の中で作曲は残念ながら中断を余儀なくされました。


そしてロシアの情勢は緊迫を増し、ラフマニノフも危機感を抱きアメリカに渡ります。

アメリカではピアニストとして成功を収めました。

そして、さまざまな作曲家の作品を演奏しました。


その後、彼は再びピアノ協奏曲第4番の作曲に取り組み、1926年にやっと完成しました。

この作品はロシアとアメリカの両方の影響を受けてします。

それは、ドラマチックな表現や比喩的な内容が特徴です。

 

この曲は、彼の生涯の中で最も難解な作品の1つとされ、演奏者や聴衆を挑発する要素が含まれています。
その後このピアノ協奏曲第4番は、1938年に改訂されその後も世界中で演奏され続けています。


第1楽章はモスクワの活気ある都市の情景を描き、第2楽章はロシアの森の静寂を表現します。

そして第3楽章ではアメリカの都会の喧騒が描かれ、ジャズの要素も取り入れられています。


この作品を通じて、ラフマニノフは祖国ロシアと新たな生活のアメリカとの間で揺れ動く心情を表現しました。

彼の音楽は、個人的な経験と世界の変化が交錯する独特の感情を伝えます。


このラフマニノフのピアノ協奏曲第4番と第2番は、2024年5月12日(土)14時30分から愛知県芸術劇場コンサートホールで、ピアノ松田華音、指揮齊藤一郎で演奏されます。
是非お聴きください。

 

今回の動画

https://youtu.be/GpB5YCJs6MY

今回はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のカデンツァについてお話しします。
カデンツァとはソリストが無伴奏で自由に即興的に演奏することをいいます。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はそのカデンツァの箇所はベートーヴェン自身は音符を書いていません。

なのでその後の名ヴァイオリン奏者や作曲家が色々なヴァージョンを作っていますので、代表的なものを紹介したいと思います。

【ヨーゼフ・ヨアヒムによるカデンツァ】
19世紀のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムによるカデンツァは、技巧的にはそれほど高度ではなく、主題を生かした変奏曲としての性格が強い。

現代のヴァイオリニストの技術水準と比べると劣る部分もあり、ハイフェッツやクライスラーのカデンツァの方が興味深いです。


【ヤッシャ・ハイフェッツによるカデンツァ】
ハイフェッツのカデンツァは技巧的で明快です。

しかし、情感や叙情性は欠ける気がします。

ただし、華麗でテクニックに自信のあるヴァイオリニストなら魅力的な演奏になると思います。


【フリッツ・クライスラーによるカデンツァ】
クライスラー自身がヨアヒムのカデンツァに不満を持っていたようで自らつくりました。


【アルフレート・シュニトケによるカデンツァ】
シュニトケのカデンツァは、他の作曲家の主題を織り交ぜた面白い内容で、私の大好きなクレーメルが推している作曲家です。

エキサイティングで魅力的な演奏となっている。

シュニトケのカデンツァは本当に異端なのでもう少し細かく紹介します。


ヴォルガ・ドイツ人自治共和国のエンゲリスに生まれる。
ジャーナリストおよび翻訳家の父親は、1926年にヴァイマル共和国からソビエト連邦に移住してきたフランクフルト出身のユダヤ系ドイツ人で、母親はいわゆるヴォルガ・ドイツ人。

このためシュニトケは、少年時代からドイツ語を使う家庭環境に育つ(ただし母語はヴォルガ・ドイツ方言であった)。


1946年に父親の赴任地ウィーンで最初の音楽教育を受ける。

1948年にモスクワに転居。

1961年にモスクワ音楽院を卒業し、翌1962年から1972年まで講師を務めた。

 

その後は主に映画音楽の作曲により糊口をしのぐ。

後にカトリックに改宗し、信仰心が作風の変化に影響を与えるが、合唱協奏曲に明らかなように、シュニトケ自身は共産革命を経てもロシアに根付いている、ロシア正教会の力強い神秘主義に親近感を持っていた。


シュニトケは、20世紀のロシアの作曲家で西側から押し寄せてきた、現代音楽や実験音楽の渦に巻き込まれました。

このため初期のシュニトケは、ソ連当局が推奨する伝統的な作曲手法に飽き足らなくなり、新ウィーン楽派やストラヴィンスキーなどの影響のもとに、激しい表現衝動を飛翔させます。

 

無調、拍節感の放棄、12音技法、特殊奏法の多用、極端なポリフォニー、打楽器的な効果、新しい記譜法が取り入れました。

このためソ連官僚によって攻撃対象に選ばれたりしています。

 

交響曲第1番はソ連作曲家連盟から糾弾されます。

1980年には一切の出国が禁じられます。


そんなシュニトケが書いたベートーヴェンのカデンツァとしては異例です。

まずティンパニやファゴット、オーケストラのヴァイオリンが参加するなど斬新です。

 

https://youtu.be/T7GaXfPPn9k

今回もウィンナーワルツについてお話しします。


ウィンナーワルツは、19世紀初頭にウィーンで発展した社交ダンスの一種です。

軽快で優雅な3拍子のリズムが特徴で、ロマンチックかつ華やかな雰囲気を持っています。

 

ウィンナーワルツは、ヨハン・シュトラウス1世やその息子たち、ヨーゼフ・シュトラウスやヨハン・シュトラウス2世によって、多くの美しい作品が生み出されました。

 

彼らの作品は、ウィーンの社交界で大いに愛され、広く演奏されています。

ウィンナーワルツは、特に舞踏会や社交イベントで人気があり、その優雅さと魅力で多くの人々を魅了してきました。

今日でも、ウィンナーワルツはクラシック音楽の中で重要な位置を占めており、世界中のダンス愛好家や音楽ファンに愛されています。

 

他にもヨーゼフ・ランナー、カール・ミヒャエル・ツィーラー、フランツ・レハールなど、多くの作曲家がウィンナーワルツの分野で活躍しました。

彼らはウィーンの社交界や舞踏会で活動し、美しいメロディと華麗なリズムを通じて人々を楽しませました。


これらの作曲家たちは、ウィンナーワルツを通じてロマンティックで優雅な音楽の世界を創り出し、今日まで多くの人々に愛され続けています。

 

今回の動画

https://youtu.be/ia7Hu0hoUm0

新年度が始まりました。
おはクラも新しい年度を迎えて、昨年度から取り上げてきた「超有名曲斜め堀」をグレードアップしてお届けします。

 

おはクラで取り上げた名曲を愛知県芸術劇場コンサートホールで聴くことが出来る!

題しておはクラを聴いてコンサートホールに出掛けよう!


今回のおはクラで取り上げた皇帝円舞曲の作曲者のシュトラウス親子についてお話しします。


皇帝円舞曲を作曲したヨハン・シュトラウス2世の父親がヨハン・シュトラウス1世です。

この二人の確執は、家族や音楽界に大きな影響を与えた複雑な関係でした。

 

ヨハン・シュトラウス1世は、当初は息子であるヨハン・シュトラウス2世が音楽の道に進むことを反対していました。

彼は息子に医師になることを強く希望していましたが、ヨハン・シュトラウス2世は音楽に情熱を持ち、父親の反対を押し切って音楽家としての道を選びました。

 

その当時のヨハン・シュトラウス1世はウィーンで人気のあるダンスオーケストラの団長でした。

最初は父親の楽団を手伝っていましたが、女を作って家にいつかない父親とぶつかり、自らオーケストラを立ち上げ父親に殴り込みをかけます。

そのデビューも父親は妨害をしたりして、父親との関係が悪化します。

 

しかし1世は息子のシュトラウス2世の成功を妬み、その才能を認めたくないという感情を抱きます。

そして、ヨハン・シュトラウス2世が自身の音楽を演奏し始めた際には、ヨハン・シュトラウス1世は息子の音楽を模倣しようとし、それがさらなる軋轢を引き起こしました。

 

この確執は、両者の間での音楽的な競争としても現れました。

ヨハン・シュトラウス2世は父親との関係を断ち切り、自身のキャリアを追求しました。

そして、彼は父親よりも成功を収め、最終的に「ワルツの王」として称えられることになりました。

 

しかし後に両者は和解し、一緒に演奏会を行ったり、共同で作曲をすることもありました。

彼らの確執は、家族の複雑な関係や芸術家としての成長の過程における困難さを象徴しています。

 

今回の動画

https://youtu.be/grKNClu5jBk

今回の放送は「作曲者は誰だ!」特集でしたので、来年度4月以降も参考になる簡単な音楽史のお話しをします。


学校で習うクラシック音楽は、バロック音楽からです。

バロック音楽は1600年から1750年頃までになります。

1750年はバッハは亡くなった年です。

曲の特徴は旋律が無機質で解りにくく複雑な対位法という技法で作られています。

 

代表なのがフーガになります。

装飾的な音楽表現が特徴です。

代表的な作曲家には、バッハやヘンデル、ヴィヴァルディなどがいます。


古典派音楽は、1730年から1820年頃までの時代(バロックと若干被っています)で、バロック音楽の複雑より旋律と伴奏が明確で、バランスの取れた音楽構造になっています。

 

代表的な形式はソナタ形式です。

代表的な作曲家にはモーツァルトやハイドン、ベートーヴェンなどがいます。


ロマン派音楽は、19世紀初頭から20世紀初頭にかけての時代で、感情表現や個性の追求が重視されました。

楽曲が抒情的で、情緒豊かな旋律や劇的な表現が特徴で、代表的な作曲家にはシューベルト、ワーグナー、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス などがいます。


ロマン派の中にドイツ、イタリア、フランス以外の国々で自国の民謡を取り入れたロマン派を国民楽派と呼ばれています。

チェコのスメタナ、ドヴォルザーク。フィンランドのシベリウス 。ノルウェーのグリーグ 。ロシアには5人組と呼ばれるリムスキーコルサコフ 、ムソルグスキー 、ボロディン、バラキレフ、キュイそして、チャイコフスキー がいます。


「作曲者は誰だ」によく登場する上記以外の作曲家は
バロック時代ではヴィヴァルディ、テレマン、コレルリ。

古典派はグルック、ベートーヴェン
ロマン派はシュトラウス一家、リスト、ショパン。
フランス音楽はサン=サーンス、グノー、フランク、ドビュッシー  、ラヴェル 
20世紀ロシア(ソ連)ではラフマニノフ、ショスタコーヴィッチ 、プロコフィエフ 、ハチャトゥリアンです。

 

4月以降も「作曲者は誰だ」皆さんも参加してみてください。

名人の称号を獲得するとレアなプライベートコンサートにご招待いたします。

今回の動画。
https://youtu.be/BkXXQ9BBg10

今回はミスタッチのある演奏は良い音楽表現ではない?について話してみます。


ミスタッチや音ミスが音楽表現を損なうかどうかは、その瞬間の背景や演奏の目的によって異なると思います。

時には、ミスタッチや音ミスが予期せず素晴らしい表現や感動を生み出すこともあります。

 

例えば即興演奏では、誤って演奏した音が新しいアイデアや感情表現を生み出すことがあります。

またジャズやフリージャズのようなジャンルでは、ミスタッチが新しいアプローチや音楽的なダイナミズムをもたらすことがあります。

 

しかし、クラシック音楽は正確性や技術的な完璧さが求められます。

表現が音程、リズムを正確に演奏出来れば観衆に感動させることが出来るかは疑問です。

 

伸び伸びとした表現が演奏家から溢れた時感動が生まれるのです。

そのため、ミスタッチや音ミスは一概に悪いものとは言えず、その文脈や演奏の目的に応じて評価されるべきです。
今回は哲学的になってしまいました。

 

今回の動画

https://youtu.be/Ri4w5__NwHI

今回は日本語の持っているリズム感についてお話ししようと思います。


日本の文化に俳句があります。

俳句のリズムは、5-7-5音のパターンに基づいています。

最初の行は5音、次の行は7音、そして最後の行はまた5音で構成されます。

このパターンを保ちつつ、季語や自然の風景などを表現しています。


これを拍子で表すと、4拍子だと気付くと思います。
「五月雨を集めて早し最上川」


これを音符にすると以下のようになります。

5.7.5の奇数の音ですが間(休符)で4拍子になっています。

 

外国語のリズムは4拍子ではない場合が多いようです。

例えば、英語とドイツ語は強弱で表現するリズムです。


Happy birthday は単語の頭にアクセントがあります。


日本語は音単位で一語ごと同じ長さで発音します。
フランス語やスペイン語は音節単位です。

 

これは同じ時間の中に音節を入れる話し方です。

言葉はその国のリズムになりその国ね民謡、音楽に大きな影響を与えています。

 

今回の動画

https://youtu.be/rYX2walruC0

世界一難しい楽器としてギネス記録に認定されているのがホルンです。

今回は私の愛するホルンについてどうして難しいと言われているのかお話ししたいと思います。


ホルンはよく音を外すと言われます。

金管楽器には管の長さが1.5mのトランペット ・3mのトロンボーンとユーフォニアム・6mのチューバがあり、唇に当てるマウスピースも管の長さに比例して大きくなっていきます。

しかし、ホルンは4mありマウスピースの直径はトランペットよりも小さいのです。

そのアンバランスが他の楽器よりも音の外れが多いのです。


金管楽器でバルブを押さえずに唇の締め方だけで出せる音のことを倍音と言います。
トランペット は基本的に
ドソドミソシbドがでます。
ホルンは
ドソドミソシbドレミファ#ソラシbドと管の長い分音域も広く沢山の倍音がでます。


特に1stホルンの奏者が担当する音域は、ドレミファソと唇の締め方だけでバルブを押さえなくても出てしまうのです。

ですので、ミを出そうと思っても隣のレやファが出てしまうことがあり、吹いてみるまで何の音がでるかわからないという、ギャンブルみたいな楽器です。


マウスピースの内径比較
・トランペット 約15mm
・ホルン約15mm
・トロンボーン約24mm
・チューバ約28mm

今回の動画

https://youtu.be/m36EmHjXQCM

追悼 小澤征爾
今回は小澤さんとNHK交響楽団との騒動についてお話しします。

1962年にニューヨークフィルでバーンスタインのアシスタントコンダクターを務めていた小澤さんは、日本に戻りNHK交響楽団の指揮者になります。

そして、その年の「第九」の演奏会を、NHK交響楽団のメンバーがボイコットするという事件がありました。
どうしてN響メンバーはボイコットする事になったのでしょうか?

その真相をお話しします。


この時、小澤さんはまだ27歳。

NHK交響楽団の団員の平均年齢より大分年下でした。

それに楽員の出身大学は東京藝術大学出身が多かったのです。

 

小澤さんの出身の桐朋音楽大学はまだ歴史が浅い上、桐朋の出身音楽家は少なかった頃です。

小澤さんはそんな楽員から下に見られていたのは否めません。

 

練習や海外遠征の時、小澤さんが遅刻やちょっとしたミスをすることが重なり、メンバーとの間に不穏な空気が流れていました。

そしてある定期演奏会の批評が新聞で酷評される事があり、それを機会に楽員から不満の広がりをみせます。

マスコミも、海外のコンクールで賞をとり天狗になっていると書き立てたのです。

 

これらの事から浅利慶太(演出家)、石原慎太郎(作家)などの同世代の芸術家が、小澤さんを救うために運動を起こし裁判をおこしたことで、事態の収拾がつかなくなります。

 

そんな中、小澤さんはデトロイト交響楽団の客演のためアメリカへ渡り指揮をして戻ってきてNHK交響楽団を指揮する予定でした。

しかしNHK交響楽団は、病気を装いアメリカに留まり契約を更新しない提案を小澤さんにしますが、小澤さんは断ります。

そして、あの有名なボイコット事件がおこるのです。

その裏にはN響の事務局側が楽団員に対して定期演奏会に出てもらえれば、「第九」の演奏会は小澤さんに指揮をさせないという話を持ち掛けます。

 

それを知った浅利たちは、小澤さんに挑発的な生意気な態度をとるようにけしかけ、N響側に次の要求をしました。
①曲目の変更②楽団員が協力する保障③NHKが遺憾の意を表明するの3つです。

 

NHKの理事側はそんな小澤さんとの契約をしない事を決めます。

そして、定期演奏会と第九の演奏会の中止を決定し伝えました。

NHK交響楽団史上初めての「定期演奏会中止」です。


しかし、小澤さんは定期演奏会会場の東京文化会館へ向かい、誰もいないステージにたちました。

そこには、演奏者の座る椅子と譜面台が並び、指揮台もありました。

楽団員さえ来てくれれば、いつでも始められる状態でした。

 

そんなステージに、小澤はひとりで指揮台に座り、リハーサル出来るのを待っていました。

その様子を取材に来た報道陣に撮られ、新聞には「天才は一人ぼっち」「指揮台にポツン」などの見出しでスキャンダラスに報じられました。

 

その裏には、石原慎太郎と浅利慶太が「誰もいないステージ」の場面で、小澤に「孤独な天才」を演じさせ、カメラマンを呼んで撮らせた演出でした。


その報道で世間は一気に小澤さんに同情的になりました。

これを機に、石原慎太郎、浅利慶太のほかに三島由紀夫、谷川俊太郎、大江健三郎、團伊玖磨、黛敏郎、武満徹といった当時の若手芸術家と文化人たちが「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し、N響とNHKに対して質問状を出すなど、社会問題となっていきます。


その後、小澤さんは、吉田秀和(音楽評論家)黛敏郎(作曲家)らの仲介で、NHKと和解をして訴訟を取り下げます。

そして小澤さんは羽田空港からアメリカへ向かい「世界のオザワ」と呼ばれ、大活躍をしたのは皆さんの周知の通りです。

 

もしこの時、小澤さんがN響に謝罪して復帰していたら、「世界オザワ」は存在しなかったと思います。

 

今回の動画

https://youtu.be/Im5R5W3zUS4


 

今回は幻想交響曲で使われている金管楽器のオフィクレイドという楽器についてお話しします。


オフィクレイドとはテューバが存在していない時代の低音の金管楽器です。

もう一つセルパンという楽器も存在していましたが、今ではこの2つの楽器はチューバで代用する事が多いです。


オフィクレイドは19世紀初めにフランスで発明されました。

軍楽隊の低音楽器や聖歌隊の伴奏用として使用され、オーケストラでも使われました。


幻想交響曲はこのオフィクレイドが2本使われます。

 

今回の動画

https://youtu.be/DKhNsfitSUI