『おまえら人間には信じられぬものをおれは見てきた

オリオンの近くで燃えた宇宙船や

タンホイザーゲートのオーロラ

そういった思い出もやがて消える

時が来れば

雨のように・・・涙のように・・・

その時が来た』


映画『ブレードランナー』のラストシーン近く、死期を悟った残忍冷徹、高度なAIを持つアンドロイドのバティが自分を殺そうと追ってきたハリソン・フォード演じるデッカードの命を助けて言った言葉だ。



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今日は、研究室で、スタッフのIがつくってくれたレジュメをもとに、人工知能によるテキスト解析、現実認識について、学生のアルバイトさん向けに説明をおこなった。


AIの研究によって、出来ること、出来ないこと。

発展していけば、人間のような知能を手に入れられるのか否か。


我々が重ねた研究の結果として、我々が最も実現が難しいと考えている機能の創り方がわかれば、人間のようなロボットをつくることも可能、というのが結論だ。


しかし、その難しい機能は本当に実現が難しい。


それは、所謂、人間の”価値観”にあたる機能である。



例えば、こういうシーンを想定する。


私が、ロボットに、『喉が渇いた』と言う。

ロボットには、その言葉の直訳な意味合いはわかる。

”I am thirsty”と言っている。

喉が渇いているんだな、

何か飲みたいんだろう。


しかし、ロボットがそれに対してどう行動をとるべきか、については、話が違う。

私は、水が飲みたいのかもしれない。

私は、喉が渇いているが、健康上、これ以上飲み物を飲んではいけない体かもしれない。

そして、そもそも、ロボットが、わたしの喉の渇きを解決する動機付けによっても結果が変わってくるだろう。


『人間の命令の通り行動する』等とプログラムされていて、命令の一種と認識出れば別だが、そうでない状況で、人間のように自律的な判断をして行動をとるには、自分にとって何が大切かをロボットが判断する必要がでてくる。

価値観のようなものが必要になってくるはずだ。


そして、その価値観の源泉が、人間にとっては、「死」であり、あるいは限られた人生を「生きる意味」、である。


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場面は変わり、デッガードの独り言が続く。

『なぜ俺を助けたのか?

多分命を大事にしたのだろう

それが自分の命でなくても  おれの命でも

彼は自分のことを知りたがった

"どこから来てどこへ行くのか"

"何年生きるのか"

人間も同じなのだ』


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人間は、有限の生であるからこそ、生き残るために、食べていくことに必死になり、

生き残るためにコミュニティをつくり、他人も大切にし、

時には孤独に悩む。


死を感じるからこそ、桜の花の”はかなさ”に美しさを感じる。


ロボットや人工知能に、本当の心を埋め込むには、ブレードランナーにでてきたレプリカントと呼ばれたアンドロイドのように、有限の命にしなければならないのかもしれない。


しかし、仮に、人間のように、死に対する恐怖を持つロボットをつくってみたとして、それは人類にとって、どういう意味を持つのだろうか。


やはり、ロボットはロボットで、自分の行動に対して説明が出来ないのだろうか。


だいだいそんな説明を終えると、最後に研究室でAIの知識ベースをつくっている北野が質問をした。


『真瀬さんが言っているのはまだだいぶ先の話しですよね』




ビジネスにする価値が見つかれば、それほど先の話ではないはずだ。