サムライ英語 with 韓国・中国語のすゝめ
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「道徳を教科へ」に賛成~まずは日本人として価値をみにつけよう

「道徳を教科へ」に賛成
文部科学省では、道徳を教科とする方向で検討が始まっています。私は、これは良いことだと評価しております。私が高田の学生でいた時代、高田では「仏教」という科目がありました。そこでは、仏教を始めた仏陀(ゴータマ・シッダールタ)、インドへ渡って中国に経典をもたらした玄奘(三蔵法師)、また浄土真宗開祖の親鸞の生涯などを学びました。その中で特に印象に残っているのは、一国の王子として生まれた仏陀が生老病死(生きることの苦しみ、老いることの苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ)に悩み、恵まれた王子という地位を捨て妻子を残して修行に出るという場面でした。学生時代に学んだこのような賢者の生き方は後々の自分の生き方に大きくかかわったと思っています。

道徳とは言葉の教育でもある
道徳というと少しわかりにくいですが、私は道徳とは言葉の教育でもあると理解しています。人と人がむきだしの感情だけで対面すると、傷つけたり傷つけられたりするばかりです。しかし、言葉はその感情をもっと抑制的に穏やかな形で伝えることができます。そのことを日本人の言葉遣いの例を考えてみましょう。

① すいません
歩いているとふい相手の肩に触れたり、思わずぶつかってしまったりすることがあります。そういう時、すぐに「すいません」と謝りますが、交通事故を起こしたような場合でも私たち日本人は「すいません」と謝ります。ところが、外国では簡単に謝ってはいけないと教えられます。なぜなら、謝るということは自分の非を認めることであり、もし裁判に訴えられた場合、不利な証拠として認められてしまうからです。
② はい、行きません
「○○さんも行きませんか」と友だちから買い物に誘われたとき、「はい、いきません」と答えたりしませんか? 英語ではこれは「いいえ、行きません」と答えないと間違いです。日本人は相手に向かって否定的な言葉を使うことを避ける傾向があり、「はい」という返事には相手に仲よくしたいという意思表示が含まれています。
③ お陰様で
この言葉はもう説明がいらないとおもいますが、人は一人では生きていくことができないから、みんな「お互い様」とか「お陰様で」と言って、自分に与えられた恵みを周りの人々とも分かち合う生活をしてきました。

これらの言葉には日本人の平和を作り出す知恵があふれているように思います。自己をあまり主張せず、聖徳太子の言葉通り和を大切にしてきた歴史があります。一方、多民族の中でもまれた大陸の国々では自分の正しさを主張することができるかで生死が決して来た歴史がありました。だから、彼らは子供たちに議論する力を身につけさせようとします。

英語教育を充実するならより道徳教育の充実が必要
英語を学ぶということは、英語で考える力をつけることを意味します。英語→日本語→英語という思考回路から英語→英語という思考回路です。これは、ある意味米国人や英国人になりきるということです。その当然の結果として、義理や恥を知る人間というよりフレンドリーでイエスノーをはっきり言う人間を生み出します。

日本語以外の言語を学ぶことで、知らず知らずのうちに日本人的なものの考え方に縛られていたことから解放されます。「世界は広い。日本では許されないことでも世界では普通のことなんだ」そういう感想でウキウキします。英語だけでなく、中国語を学べば中国人の考え方、フランス語を学べばフランス人の考え方がわかってきます。しかし、よく考えてください。そうなると、なんでも許される、なんでもオーケーです。難しく言うと、価値が多元化すると最終的には価値が喪失してしまいます。

そうならないためには、若い時に日本の歴史や日本人の生き方をきちんと理解しておく必要があります。真の愛国者であってこそ真の世界人となれます。なぜなら、この国はあなたを生み、生かした大地であり、先祖から累代にわたって引き継がれてきたものだからです。

グローバル人材の具体像 ~上杉鷹山

文部科学省が進めるグローバル人材の具体像とはどのようなものでしょうか?

わたしたちは現在、民主主義という政治制度を採用しています。ときどき、この民主主義は守るべき価値のような言い方がされますが、民主主義は価値ではありません。

フランス革命の後、米国を訪れたトクヴィルは『アメリカの民主政治』の中で、やがて民主主義は大衆迎合に陥り財政の破たんを招くと予言していました。そして、「道徳の支配なくして自由の支配を打ち立てることは出来ない」と語っています。

民主主義という制度の背骨には道徳がなければならない―ジョン・F・ケネディ第35代米国大統領もそう思った大統領だったのではないでしょうか?

昨年11月27日、米国の駐日本大使として着任されたキャロライン・ケネディ氏は、日本で初めて行ったスピーチの中で次のように言いました。

ケネディ大統領が尊敬した上杉鷹山
My father (President Kennedy) admired Uesugi Yosan, an 18th century daimyo from the Tohoku area known for his good governance and sacrifice for the public good.
(私の父、ケネディ大統領は、18世紀の東北地方の大名で、優れた統治力と公益のために献身したことで名高い上杉鷹山を尊敬していました)

米国兵士として日本と戦った父JFケネディ大統領は、戦後来日を希望しながら果たせずに暗殺という非業の死を遂げました。その遺志を継いで、ケネディ大使は20歳のときに叔父のエドワード・ケネディ上院議員といっしょに来日され、広島では原爆の犠牲者も追悼されています。ケネディ大使はその後も、新婚旅行に京都・奈良を選ぶなど日本を愛し、カナダ大使を断っての日本大使就任でした。

父JFケネディ大統領の就任演説の一節
“… ask not what your country can do for you – ask what you can do for the country”
(国があなたに何ができるかを求めるのではなく、あなたが国のために何ができるかを求めてください)

この有名な演説の一節は、先にケネディ大使が話題に挙げた江戸時代の藩主、上杉鷹山の偉業と深くかかわっています。鷹山は九州の秋月家に生まれますが、17歳の時に、米沢藩(現在の山形県)の藩主に抜擢されます。しかし、その時米沢藩は50万両の借金を抱え、財政破たんの寸前でした。そのため、鷹山は藩政の改革を行います。①倹約の徹底②有能な人材の抜擢③警察権の徹底-など。

国家と国民が一体化した国づくり
武士も平時は農民となり、畑を耕し、蚕を育て、また山には漆の木を植えて産業を盛んにさせました。このような武士と農民が一体となった努力の成果により、約50年かけて借金は完済されました。

明治11年(1878年)、米沢を訪ねた旅行家イザベラ・バードは、次のように著書の中で語っています。
「米沢平野は全くのエデンの園である。米、たばこ、麻、茄子、きゅうり、あんず、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、人々は圧迫のない自由な暮らしをしている。まさにアジアのアルカディア(桃源郷)である」(『日本奥地紀行』より)

政治家も国民も一体になって国を繁栄させる―それがJFケネディ大統領の希望であったように、上杉鷹山もそれを目標として実際実現した政治家でした。

英語で日本を世界に紹介した内村鑑三
この上杉鷹山を世界に知らしめたのが内村鑑三です。内村鑑三は、「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士の指導を受けた札幌農学校の出身。一高(現在の東大)元教師。

1894年、朝鮮の独立をめぐって日本は中国と争って日清戦争を起こします。しかし、当時はまだ日本の知名度が低く“日本は野蛮な東洋の一国家”程度の認知度でした。それに対して内村鑑三は、日本には世界に誇れる文明があることを示すため“Japan and Japanese”(後に改題され   “Representative men of Japanese” 邦訳『代表的日本人』)という本を英文で発表します。この中に、西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮と並んで上杉鷹山が紹介されています。

内村鑑三の英文はたちまち評判となり、ドイツ語、デンマーク語等に翻訳され、日本に対する理解が深まり、日清戦争勝利にも大きく関わりました。上杉鷹山、内村鑑三という人物が日本に存在してくれたことで今日の日米友好があると言っても過言ではないでしょう。

このように考えたとき、グローバル人材とは
①道徳性
②発信力
この2点を備えた人物となるのではないでしょうか?

感想『姜尚中がゆく 韓国ルート1の旅』競争と優しさは対立するものではなく両方必要なもの

姜尚中氏の『姜尚中がゆく 韓国ルート1の旅』を見ました。
この番組はわたしが見たかったもの―現在の韓国の本当の姿―です。
競争社会の中で進む格差―それは日本と同様の苦悩です。
番組は次のような実例を挙げていました。
1)福祉施設で生活する子供が、深夜の学院に通い大学進学を目指す
2)専門家とともに原発の安全性をチェックする住民たち
3)発展から取り残された過疎の村がその自然と食材を武器に復興を目指す
4)FTAによって揺れる牛農家の苦悩
5)解雇された従業員の抗議活動
6)韓・中を中心にした経済か、韓・米を中心にした安全保障か
7)コミュニティ(共同体)を復活させようと努力する人々

会社は後天的で競争社会の象徴です。一方、家族は先天的で優しさの象徴です。しかし、姜尚中氏はそれらのどちらかを正解として選択しませんでした。彼は、自分の生涯においてしたいことを追求するべきと結論づけています。
私も同意見です。競争と優しさは対立した概念と考えられがちですが、どちらも必要だと私は考えます。野球選手がチームのことを考えれば自分の技術を高める必要があります。自分が選ばれたいと思っても選ばれないこともあります。自分が選ばれないから競争はよくないと言うとしたら、それは間違いです。大切なことは自分を高めることです。

강상중 씨의 "강상중이가는 한국 루트 1 여행"을 보았습니다.
이 프로그램은 내가보고 싶었던 것 - 현재 한국의 진짜 모습 -입니다.
경쟁사회에서 진행 격차 - 그것은 일본과 같은 고통입니다.

1) 복지시설에서 생활하는 아이가 심야의 학원에 다니며 대학 진학을 목표로
2) 전문가와 함께 원전의 안전성을 확인하는 주민들
3) 발전에서 남겨진 과소 마을이 자연과 재료를 무기로 부흥을 목표로
4) FTA에 의해 흔들리는 소 농가의 고뇌
5) 해고 된 직원의 항의 활동
6) 한 • 중을 중심으로 한 경제 또는 한 • 미를 중심으로 한 안전 보장 또는
7) 커뮤니티 (공동체)를 부활 시키려고 노력하는 사람들

회사는 후천적으로 경쟁 사회의 상징이다. 한편, 가족은 선천적 부드러움의 상징입니다. 그러나 강상중 씨는 그 중 하나를 정답으로 선택하지 않았습니다. 그는 자신의 생애에서하고 싶은 일을 추구해야한다고 결론을 내렸다.
저도 같은 의견입니다. 경쟁과 상냥함은 대립 개념이라고 생각하기 쉽지만, 모두 필요합니다. 야구 선수가 팀을 생각하면 자신의 기술을 강화해야합니다. 자신이 선택하고 싶은 선정되지 않을 수도 있습니다. 자신이 선택되지 않기 때문 경쟁은 좋지 않다고 말한다한다면, 그것은 실수입니다. 필요한 것은 자신을 높이는 것입니다.
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