エンキは、理想的な神ではなかった。水の神にしてはビール好きであり、繁殖・豊穣の神にもかかわらず、近親相姦を行った。伝説によれば、エンキは配偶者ニンフルサグとの間に女神ニンサル(英語版)(Ninsar:植物を司る)という娘があったが、ニンフルサグの不在の間、ニンサルと関係を持ち、女神ニンクルラ(英語版)(Ninkurra:農耕・牧畜を司る)という娘をもうけた。
さらに、彼はそのニンクルラとも関係を持ち、女神ウットゥ(英語版)(Uttu:機織り、もしくは蜘蛛を司る)をもうけた。
そしてさらにエンキは女神ウットゥと関係を持った。しかし、エンキは、ニンサル・ニンクルラに対してしたのと同様に、しばらくするとウットゥのもとを去ってしまい、困惑した女神ウットゥは、戻ってきた女神ニンフルサグにそのことを相談した。ニンフルサグは、エンキの見境のない欲求に憤り、ウットゥに対して、水神エンキの勢力のおよばないよう、川の水辺から逃れるよう言った。そして、ニンフルサグは、ウットゥの子宮からエンキの精を取り出し、土に埋めた。すると、そこから8種類の植物が芽を出し、みるみると成長した。エンキは、僕である双面のイシムード(英語版)とともに、それらの植物を探し出すと、その実を食べてしまった。自らの精を取り込んでしまった彼は、あご・歯・口・のど・四肢・肋骨に腫れ物ができた。エンキは途方にくれていたところ、ニンフルサグの聖なる狐がウットゥを連れ戻してきた。
ニンフルサグの心は和らぎ、エンキの体からアブ(Ab:水、または精)を取り出し、ウットゥの体に戻した。ウットゥからは8つの神
アブー(Abu)
ニントゥルラ(Nintulla:またはニントゥル(Nintul))
ニンストゥ(Ninsutu)
ニンカシ(Ninkasi)
ナンシェ(Nanshe)
エンシャグ(Enshag:またはエンシャガグ(Enshagag))
ダジムア(Dazimua)
ニンティ(Ninti)
が生まれ、エンキの体の各部にあった腫れ物は癒された。このように、上記の神話物語は総じて、土(女神ニンフルサグ)に「水(エンキ神)」が加わることによって生命が産み出されるということ、また、生命が生み出され育った後も、例えば植物が果実を形成する時など、再び「水」が必要とされるということを、象徴的に示している。
さて、8神のうちニンティ(シュメール語で「あばら骨(Rib)から出た女神」)は、ニンフルサグの称号のひとつである「生命(Life)の女神」と、語感上の関連性がみられ、ニンティが生命の女神としての役割をニンフルサグから引き継いだことが考えられる。ニンティは、その後、すべての生命の母として称えられるようになった。それは、後世のフルリ人の女神ケバ(Kheba:ヘバート(Hebat)、ケパート(Khepat)ともいう)も同様である。また、『旧約聖書』の「創世記」においてアダムのあばら骨から作られたとされる、イヴ(ヘブライ人の神話ではハッワー(Chavvah)、アラム人の神話ではハウワー(Hawwah))についても、同じ呼び方であり、上記のシュメール人の神話が転じたと考えられる。
ミシシッピ州、ミルサップス・カレッジ(Millsaps College)のロバート・マッケルバン(Robert S. McElvaine)教授は、これらの神話は家父長制成立の黎明期に成立したことを示そうとしている[2]。神話のストーリーによって、すでに慣行となっていた男性による支配を正当化しようとしているとのことである。上記の神話においては、生命を生み出す過程で女神ニンフルサグが積極的な役割を果たしているが、その後の家父長制となるにつれ、男性の精が生命を生み出す種子として位置づけられる一方、女性は「大地のように、豊かで、肥沃でしかし種子がその中に根を張らない限り空虚である」(P125)存在に矮小化されたとらえられ方をされるようになった。「種子のメタファーが、男性を、命を生み出す際には傍観者の役割にしかすぎない状態から一歩進ませて、神のような創造者として位置づけた一方で、女性の位置づけは生命の創造者そのものから、創造の力を持たない土くれのようなものに変質させた」(P128)。