こんばんは。
アルビシンガポールの加藤です。
前々回から引き続き、良くない指導について考えていきたいと思います。
今回は、選手の判断を指導者が奪っていないか?ということについて考えていきます。
結論から言うと、プレーと行動の両面において選手の判断を尊重するような働きかけをしていこうということ。
プレー判断についてよく言われる問題は、指導者が具体的な指示を出し、選手はただただ言われた通りに動くような状況。
多くの指導者は、選手をロボットのようにコントロールすることは間違いだと感じていると思います。
それは倫理的に問題があるのと同時に、サッカーが判断のスポーツであるからです。
ピッチ上で選手は常に判断をし続けて自分の動きを決定していく必要があります。
指導者がすべきことは、自分の指示通りに選手を動かすことではなく、選手が自分でより良い判断を下せるようになること。
しかし、僕を含めて多くの指導者は選手をコントロールするような状況に多々陥っているのではないでしょうか?
指導者の考えるより良いプレーを選手に強制してしまう。
教えるという名の下、選手の判断を奪い、指導者が選手の判断をコントロールしてしまう。
では、教えるということと、選手が自分でプレーを選ぶということの違いやバランスをどう考えるべきなのか?
それは、選手の中に外部からの意見を受け止めるだけの状況が整っているかどうかが重要だと思います。
つまり、選手が十分なトライ&エラーを繰り返し、上達の為のヒントを吸収しやすい状況を、指導者が意図的に作り出すこと。
選手の上達には当然時間がかかります。
上達を焦るが故に、選手にミスがあると指導者が答えらしきものを早く教えてしまう。
そうすると、選手たちは十分な試行錯誤を経ずに正解らしきものが与えらるので、真剣にチャレンジしなくなってしまう。
また、十分な失敗を経ていない為、与えられる情報の価値が低下してしまう。
僕は忍耐力が低く、選手がトライ&エラーを繰り返す前に教える傾向が強いと思います。
しかし、最初から教えても、選手の飲み込みは早くありません。
なぜなら、その内容が自分ごとになっていないからです。
自分で何度も何度もトライをして、それでも上手くいかいない。
その状況で初めて、課題が自分ごとになる。
選手が自分で考えてトライする状況を作り出した上で、問題解決のヒントを提示する。
その為に、指導者は我慢をして、選手の心の動きを読み、最適な瞬間を見極めなければならない。
次に選手の行動に対するアプローチについて。
練習に一生懸命取り組まない選手がいた場合、指導者は力ずくで選手を変えようとしてしまいがちです。
怒りなどで強制的に選手をコントロールしようとする。
それにより、一時的に選手の行動は変化するかもしれません。
しかし、選手が何を考えて、どのような態度で練習をするのかというのも判断。
指導者の強制力で選手の判断をコントロールしすぎるべきではないと思います。
なぜなら、自分で自分の行動について考えてコントロールできるようにならなければ、結局持続的な努力や成長に繋がらないからです。
風間八宏さんは、初めて大学生の指導をすることになった時、大学生が本気になるまで、指導をしなかった。
彼らが本気になっていないのに、何かを教えても意味がないと思ったからです。
選手がサッカーとどう向き合い、どのように取り組むかは彼ら次第です。
それを直接的に指導者がコントロールすることは出来ません。
指導者が出来ることは選手が自発的に真剣にプレーをするようにモチベートすること。
モチベートの方法は2つあると言います。
一つは不快を避けようとすること。
もう一つは快を得ようとすること。
不快を避けるとは、怒られないように頑張るというのが典型です。
しかし、それは持続的ではありません。
なぜなら、怒られたくないから止めるという選択肢があるからです。
もう一方の快を与えるアプローチを我々指導者は主に考えるべきです。
サッカーの楽しさを伝え、上達や勝利の喜びを実感させる指導。
それにより、選手のモチベーションが高まり、自発的なより良い行動に繋がっていく。
プレーと行動の両面で選手が良い判断を下せるような働きかけを意識していきたいですね!
それでは明日も良い1日をお過ごしください。