先日、今村翔吾さんの著書「塞王の楯」を読了しました。


拙いですが、個人的・読書レビューを。


この作品は「第166回・直木賞」受賞作。


「どんな攻めをも跳ね返す石垣」・「どんな守りをも打ち破る鉄砲」。


「最強の楯」と「至高の矛」の対決を描く、究極の戦国小説です。

越前・一乗谷城は織田信長の手により落城。


幼き匡介(きょうすけ)は、その際に父母と妹を喪い、逃げる途中に、石垣職人の源斎(げんさい)に助けられます。


匡介は、源斎を頭目とする、穴太衆(あのうしゅう) (=石垣作りの職人集団)の飛田屋で育てられ、やがて後継者と目されるようになります。


匡介は絶対に破られない「最強の楯」である、石垣を作れば、戦を無くせると考えていました。


「両親や、妹のような人を、これ以上出したく無い」と願って石積みの技を磨き続けます。


信長の後を継ぎ、絶大な権勢を誇った、豊臣秀吉が病死し、戦乱の気配が近づく中、匡介は、京極高次(きょうごくたかつぐ)より、琵琶湖畔にある大津城の石垣の改修を任されます。


一方、そこを攻めようとしている、毛利元康は、国友衆(くにともしゅう)に鉄砲作りを依頼。


「至高の矛」たる鉄砲を作って、皆に恐怖を植え付けることこそ、戦の抑止力になると信じる、国友衆の次期頭目・彦九郎(げんくろう)は、「飛田屋を叩き潰す」と宣言。

大軍に囲まれ、絶体絶命の大津城を舞台に、宿命の対決が幕を開けます。


関ヶ原の前哨戦となった、大津城の攻防戦で、石垣造りの職人集団「穴太衆」と、鉄砲造りの職人集団「国友衆」の対決が繰り広げられ、大津城に立て籠った、京極高次に、西軍の西国無双の鬼武者・立花宗茂が攻め寄せます。


互いに知略の限りを尽くす姿が壮絶で、思わず息を飲む事必定です。


形は違えど、目指す処は「世の平和」と言う処もグッと来ました。


どちらも自分達の追い求める先に「泰平の世」があると信じて戦います。


人知れず行われた「至高の矛」と「最強の盾」の対決が導き出す答えは何なのか?


臨場感溢れる大津城での攻防、泰平の世を作るのは「最強の楯」か? それとも「至高の矛」なのか?


どちらでも無く、最後は、やはり「人の心」なのでは?と思いました。


京極高次や、立花宗茂の人物描写も最高でした。


この作品を読むまでは、京極高次は血統だけで、「コネを使って生き延びた武将」というイメージしか無かったのですが、この作品を読んで、京極高次のイメージが変わりました。


「専守防衛か?」・「核の傘か?」と言う現代にも通じる命題は、作中でも、結局、決着はつかなかったのですが、最終的には「平和を希求する人の思いが勝った」と言う事だと言えるのでは?


匡介・彦九郎・京極高次・立花宗茂らの目指すものは、皆同じ、皆に優しいラスト・シーンに思わず涙腺が緩みました。


まるで、NHKの「大河ドラマ」のような重厚な舞台設定と細かな人物像や時代考証。


さすが「直木賞受賞作品」です。


この作品を通して、僕が、心に残ったのは、あらゆる人たちの「矜持 (誇り・自尊心)」


武士・臣下・職人・棟梁・部下・領主・領民・親男・女・その他。


そんな「矜持」を描いた壮大な大河小説だと感じました。


超・お薦め本です。