昨日、総集編が一挙放送され、遅くなりましたが大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の最終回・第48話のネタバレ&個人的感想を。



「尼将軍・政子の大演説により、一枚岩となった坂東武者の面々。


敵は、後鳥羽上皇を筆頭とする朝廷・官軍。


鎌倉幕府創設以来の最大の危機が、今目の前に訪れようとしている。


上皇は全国に、義時追討を命じた。


鎌倉は徹底抗戦を選ぶ。


この国の成り立ちを根こそぎ変える戦乱が、目の前に迫っている」


(長澤まさみさんのオープニング・ナレーションより引用)



鎌倉殿の13人の第47話「ある朝敵・ある演説」で、尾上松也さん演じる後鳥羽上皇は、小栗旬さん演じる北条義時追討の院宣を発して、兵を挙げました。


それに対して、小池栄子さん演じる尼将軍は対抗する事を決めます。

鎌倉殿の13人の最終回・第48話は、後鳥羽上皇に対し、鎌倉が徹底抗戦するシーンから始まります。


最終回第48話のタイトルは「報いの時」です。



最終回冒頭、寝転びながら、吾妻鏡を読む青年の姿が。


「吾妻鏡」は、鎌倉幕府による、公式の歴史書である、源頼朝が挙兵してからの出来事が詳細に記されている」という語りの後、青年の顔が明らかになると、「1564年 三河」というテロップが表示され「熱心に『吾妻鏡』を読んでいるこの男は後の征夷大将軍、徳川家康、彼もまた、坂東に幕府を開くことになる、家康は『吾妻鏡』の愛読者であった」との長澤まさみさんのナレーションがあり、次回作への“粋なバトンタッチ”が描かれ、タイトル・バックにも「松本潤」と名前が記されていました。


ここで、来年の大河ドラマ「どうする家康」の主役・家康を登場させるのは憎い演出でした。


こんなドラマ内でのバトンタッチってかつてあったでしょうか?(僕の記憶には無いんですが)


これは、小栗旬さんと松本潤さんのプライベートの仲の良さも関係してるのかな?


とにかく、オープニングから度肝を抜かれる演出でした。



確かに家康は、源頼朝を尊敬していたと言われていて、吾妻鏡も、実際、よく読んだんだろうと思われます。


(1564年という事は、ようやく三河を平定した頃になります)



後鳥羽上皇が、日本全国に義時追討の院宣をだして、北条討伐を命じます。


鎌倉は、政子を中心に徹底抗戦する事を決めました。


鎌倉側の作戦は、後鳥羽上皇を迎え撃つのでは無く、即刻出撃する戦略を選択しました。



義時は「決めた! 私が総大将になって、今、すぐ兵を出す、泰時に任せる!」と言います。


しかし、栗原英雄さん演じる大江広元が「執権殿は、鎌倉に居てもらわなければ困ります!」と言い、政子も「敵は、あなたを狙っているのよ!」と言います。



義時は、坂口健太郎さん演じる泰時に「総大将はお前がやれ!頼朝様も、初めは25人だった、鎌倉の命運は、お前に託した!」と言います。


北条泰時は「今回は何人ですか?」と義時に尋ねます。


義時は「18人、鎌倉の命運は、お前に託した!」と言います。


北条館に義時が戻ると、菊池凛子さん演じる、妻である、のえは「何故、言わなかったのですか?」と怒りながら問いかけます。



義時は「言ったら反対しただろ!」と答えますがのえは「嘘、忘れてただけでしょ! 言わなかった物言いは、やめてもらいたいわ、執権の妻が、人から聞くとはどういう事?」と責めます。


義時は「すまん!」と謝ります。



その頃、山本耕史さん演じる三浦義村は、北条泰時の首を狙っていました。



義村は「俺達も出陣する、合流すると見せかけて背後から襲う! 泰時の首を土産に、京に上る」と清水伸さん演じる長沼宗政に策を打ち明けます。



承久3年(1221)5月22日、泰時は、僅か、17人の兵を引き連れ、京へと向かいました。


その途中で、北条を助けようと御家人達がどんどん集まり、最終的には、19万人にも兵が膨れ上がっていました。


後鳥羽上皇の側近・星智也さん演じる藤原秀康が率いた、約1万の官軍は、鎌倉軍を京に入れないよう、宇治川で必死に戦いますが、兵力の差は明らかでした。


戦は鎌倉軍が有利に進めます。



義村は「これは、勝つな!」と長沼宗政に言います。


長沼宗政は「どうする?」と問いかけますが、義村は「上皇様に先頭に立ってもらう、弟になんとかさせる」と言います。


泰時は兵を挙げて宇治川の戦に勝利し、劣勢になった官軍の藤原秀康と、岸田タツヤさん演じる三浦胤義は、御所へ戻り、後鳥羽上皇に「前線で陣頭指揮を取って頂きたい!」と願い出ますが、シルビア・グラブさん演じる藤原兼子に反対され、陣頭指揮を取り止めます。


義時は、勝利に安堵しますが、その結果朝廷を裁くとういう重責を担うことになります。


「私が次の帝を決めるか、この私が」と、義時は悩みます。




義時は、悩んだ末に、大江広元と相談し、後鳥羽上皇は隠岐島にその直系の順徳上皇、土御門上皇も各地に流罪としました。


さらに直孫である、仲恭天皇を退位させ、後鳥羽上皇の甥である、後堀河天皇を、新たな天皇として即位させました。



義時は、後鳥羽上皇(尾上松也)を、逆興で、隠岐島へ島流しにしました。


「後鳥羽上皇は、死ぬまで隠岐島を離れることはない」という、長澤まさみさんのナレーションが虚しく響きました。


後鳥羽上皇が隠岐に流される時、死んだ筈の文覚が現れましたが、これは幻だと思います。


逆輿の上から、文覚に向かって叫んでる後鳥羽上皇の視線の先に文覚は居らず、文覚が後鳥羽上皇の頭に噛み付いた時も、誰一人、慌ててませんでしたから。



また義時は、泰時と時房を六波羅探題として、京に置き、朝廷の動きや、様々な問題の対処に当たらせる事にしました。


これらの政策により、京の朝敵の力は大きく削がれ、実質的に鎌倉幕府が日本を支配する時代が始まります。


「承久の乱」から3年後、義時は、鎌倉に戻っていた北条泰時、北条時房らと積もる話をしていました。


「先の戦、見事だったな!」と義時は泰時に言います。


泰時は「上皇様は、あれで良かったのですか?」と義時に問います。


義時は「あれしかなかった!」と呟きます。


泰時は「しかし、われらは大悪人になってしまった!」と言いますが、義時は「大悪人は、私だけだ、お前達では無い!」と言い、義時は、突然にめまいをして倒れてしまいます。



泰時は「父上? 父上〜!」と絶叫します。


幸い、このときは大事に至らすが、義時は、心配して駆けつけて来た、政子や実衣に「ちょっと、めまいがしただけだ!」と言います。


そこに、のえが薬草を持って入って来て、飲むように勧めます。


義時は嫌がりましたが、しぶしぶ飲みます。


 

一方、東国の御家人に西国の所領が与えられました。


しかし、東と西のこれまで行っていた習慣の違いから、西側諸国の者達が反発をしていました。


天皇を担いで、兵を挙げようとする動きも噂されていました。



泰時は「都の事は私が決めます! 新しい世を作るのは、私です!」と言います。


時房は「また戦になるぞ!」と言います。


北条さ泰時か

東も西も関係なく、公平な決まりが必要です。

泰時の考えは認められ、「御成敗式目」に武士が守るべきルールを書きました。


 


義時は、運慶(相島一之)に作らせた自分に似た仏像が完成しますが、その仏像には、邪気の顔を描かれていました。



義時は相島一之さん演じる運慶に「散々待たせた挙句、何だこれは?」と言います。


運慶は「今のお前の顔よ。切るか?」と問い掛けます。


義時は泰時に殺すまでもない。連れていけ。」と言い、運慶が連れていかれた後、義時は、再び、めまいでフラフラと倒れてしまいます。


そして、のえが再び薬草を持って来ます。



義時はのえに「毒にも効くのか? 医者が言うには誰かが毒を盛ったと、盛ったのは、お前だ! お前しか、思い当たらん!」と言うと、のえは「あらばれちゃった?」と言います。


義時は「もっと早く、お前の本性を見抜くべきだった」と言いますが、のえは「あなたには無理! 私の事など少しも見ていなかったから、だから、こんな事になったのよ!」と言います。


義時は「執権が妻に毒をもられたなれば、威信に傷が付く、離縁はせん! 二度と私の前に現れるな! 出て行け!」と言い、のえは「もちろん、そうさせて頂きます! 息子が後を継げぬなら、ここにいる必要もありません、死に際は、大好きなお姉さまに看取ってもらいないさい!」と言い席を立ち掛けますが、そうだ、そうだ、私に頼まれて、毒を手に入れてくれたのは、あなたの無二の友、三浦義村殿よ! 夫に死んで欲しいと相談したら、直ぐに持って来てくれた! 頼りになるお方だわ!」と言って義時の元から去りました。


 

義時の体調が安定してきたタイミングで、盟友の義村がやって来ました。



義時は「のえが体に効くとくれた、それを酒で割って飲むと美味い! まあ、一杯やってくれ!」と義村に薦めますが、義村は「俺はいい、わしは飲まん!」と言います。


義時は義村に「長沼宗政が白状した、また裏切るつもりだったようだな!」と言います。


義村は「耳に入ったか? もし裏切っていたら、こっちは負けていた、つまり勝ったのは、俺のおかげと思ってはどうだ?」と嘯きます。


義時は義村に「飲まないのか?濃くしすぎたのかな、美味いぞ! 他に飲まない理由でもあるのか?」と追い詰められて、義村は毒が盛られた酒を飲みました。


そして、思いの丈を打ち明けます。


義村は「お前に出来た事が、俺に出来ない訳がない、俺は、全てに於いてお前に勝っている、子どもの頃からだ! お前は、何をやっても不器用で、のろまで、そんなお前が、今じゃ天下の執権! 俺は、一介の御家人、世の中、不公平だよな! いつか、お前を超えてやる、これだけ聞けば満足か?」と言います。


義時は義村に「よく打ち明けてくれた! 礼に俺も打ち明ける、これは、ただの酒だ、毒は入っとらん、泰時の事を、この先も助けてやってくれ!」と言います。


義村は「ほんとだ! 喋れる!」と言います。


義時は義村に「泰時の事を、この先も助けてやってくれ!」と言い、義村は「まだ、お前は俺を信じるのか?」と問います。


義時は義村に「お前は、今、一度死んだ!」と言い、義村は「この先も、三浦が北条を支える!」と言い、かつて、義村が義時に「女性は、皆、みきのこが好きだ!」と言った事が嘘だった事を打ち明け、笑いあって2人は別れます。


 

その後、泰時は「御成敗式目」を、武士のルールとして書き上げました。


これにより、鎌倉で、泰時の時代、御家人の粛正は、一切行われませんでした。


やがて、義時の病状が悪化します。


そこに、政子が見舞いにやって来ました。



政子は義時に「仏様、見せて貰ったわ!」と言い

義時は「運慶に言わせれば、あれが私だそうです」と答えます。


政子は「貴方は、上皇様を島流しにした大悪人です、私は身内を追いやって、尼将軍に上り詰めた悪女、私達は頼朝様から鎌倉を受け継ぎ、次代に繋いだ、これからは、争いのない世が来るわ!だからどう思われようが気にしない」と言います。


義時は「姉上は、大したお人だ、それにしても、血が流れすぎました、頼朝様が亡くなってから、何人が死んでいったか?」と言い、死んで行った者達の名を上げ、数えていっている内に、金子大地さんが演じた、頼家の名前が出て来ました。


政子は義時に「待って! 頼家がどうして? だって、あの子は、病気で死んだはずよ、ダメよ! 嘘を付いたら、あの子は、本当はどうやって死んだの? 母親として知っておきたいの」と責められます。



義時は「頼家様は、上皇様と手を結び、鎌倉と攻め滅ぼそうとしました、私が善児に命じて討ち取りました、頼家様は、自ら太刀を取り、最後まで生き延びようとしていました、見事な最後だったと聞いています」と答えます。


政子は「あの子は、そういう子です、ありがとう! 教えてくれて!」と答えます。


義時は政子に「今日は、すこぶる調子が悪い、姉上、そこにある薬を取って貰えますか? 医者に言われました、今度、体が悪ければ、それを飲むようにと、私には、まだやらねばならない事があります、上皇様が返り咲こうとしています、何とかしなければ」と答えます。


政子は「まだ手を汚すつもりですか?」と義時に問いますが、義時は「この世の全ての怒りを抱えて、私は地獄に持って行く、太郎の為です、私の名が汚れれば、汚れるだけ、北条泰時の名が輝く!」と答えます。


政子は「私達は長く生き過ぎたのかもしれません」と言い、義時の薬を捨てます。


義時は「私は、まだ死ねません!」と言います。


政子は「太郎は賢い子、八重さんの子です、頼朝様や、貴方が成し遂げられなかった事を太郎は成し遂げます、太郎を信じましょう!」と言い、義時は「確かに、あれを見ていると、時々八重を想い出す」と言います。


政子は「でもね、もっと似ている人がいます、貴方よ!」と答えます。


義時は政子に「姉上、あれを太郎に」と言い、小さな観音像を指差します。


政子は「必ず渡します!」と答えます。


義時は「姉上!」と苦しそうに小声で呼びます。


政子は「ご苦労様でした、小四郎!」と言い、

義時は政子をじっと見つめて、息を引き取りました。 


「完」



やはり、義時の死には、妻である、のえ、義村、政子が関係していましたね。


予想は当たらずとも、遠からずといった所だったでしょうか?(苦笑)


最終回では、のえさんの悔しさが手に取るようにわかりました。



実子の政村を跡継ぎにしたいという気持ちは、もちろんあったのでしょうが、自分の事を、全く見て貰え無かったという悔しさは、それ以上のものだったのかもしれません。


しかしながら、義時を一気に殺す事も出来たであろうに、少しずつ弱らせていったのは、義村の助言があったでしょうか? それとも最後に見せた、のえの義時への愛だったんでしょうか?


のえは、義時の死後も、伊賀氏の変で暗躍する、強かな女だという描写が最後までしっかり書かれていましたね。


三浦義村が本音を暴露したシーンは、おもしろかったです。


毒が入っている事が分かっていても覚悟して飲んだのは、自分が調達したものだから、即効性のあるものじゃないとわかっていたんでしょうか?


または、小四郎が、自分を殺す訳が無いと信じていたのでしょうか?


三浦家存続の為に、三手四手先を考え、今まで生きてきた義村です、ここで死ぬ覚悟なんて、あるわけは無いですよね。


毒に当たった振りをして、本音を吐き出し、あっさりと裏切りを認めるあたりは、さすが「曲者・三浦義村」でした。


義時の性格を知っている、幼なじみだからこそ、なせる業ですね。


懐かしい人を、ちょこちょこ登場させ、笑いを持って来るのも最終回ならではでした。


しかし、りくさんや、文覚まで登場するとは(笑)


りくさんは最後まで、ブレない人で、久しぶりの登場でも、より一層若返っているようで、嬉しかったです。


泰時の余計な一言を挟んで、しい様への思いを表すあたりの演出は秀逸でした。



この後、りくは、時政の13回忌を盛大に行うんです。


政子と実衣が、お経を唱えてる時の実衣さんは、まるで、全成さんが乗り移ったようでしたし、トウが子供達に武芸を教えてる様子が、アサシン養成所のようで笑えましたし、さんざん、今まで老齢の御家人を「爺さん」呼ばわりしていた義村が宇治川での戦略会議の場で「爺い」呼ばわりされて、ブチ切れしたシーンには爆笑でした。


「爺い」発言をしたのが、西本たけるさん演じる北条朝時だったというのも、妙にツボにハマってしまいました。


(絶対、日頃から「うるさい爺い」だなと思ってたって事ですよね)(笑)


他にも、笑いどころが沢山あって、泣いたり笑ったり、情緒は、全て、ぶっ飛んでしまいましたが最後の最後まで、笑いを取り入れてくれた、三谷幸喜さんの脚本に感謝です。


ラストシーンの義時の最期には、やはり、政子が絡んでましたね。


政子は弟を、背負っている「業」から解き放つ為薬を渡さなかったのでしょうね。


闇の中で踠き苦しみ、今、尚、泰時の為と言い、鎌倉の暗黒面を自分1人で背負おうとしている弟を、苦しみから救い出したかったのだと思いました。


そこには、息子の頼家を殺された恨みなどは、微塵も感じられませんでした。


後世「希代の悪女」と言われた北条政子は、最初から、最後まで、観音様のような慈悲に満ちた女性だったのでは無いでしょうか?


義時は泰時の為に、悪い芽は早めに摘んでおこうと、父親として粛清を繰り返したのに対し、政子は、泰時の力(戦のない世を作る力)を信じていたのだと思います。


自分と対比させて、泰時を輝かせたいというのは父親としては、分からなくも無いのですが、子供の自力を信じることも大事なんですよね。



全ての子供を失った政子の方が、義時より何枚も上手でした。


この後、泰時は「御成敗式目」制定し、泰時が政を行う間は、御家人の粛清が一切行われない、安定した世の中を作ります。


義時は、自分の業の報いを受けて死を迎え、死ぬ事によって、自らが、とことん鍛え上げた泰時が鎌倉の希望となり、自分のなれなかった者になって行くという「報われた時」を迎えるのです。


三谷幸喜さんが、最後は、アガサクリスティのようだと言っていましたが「そして誰もいなくなった」・「オリエント急行殺人事件」・「カーテン」等、いくつかの作品からヒントを得たと思えるような見事な最終回でした。



1年を通して、とてつもない、ファミリーの変遷を見せてくれた大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。


最初から最後まで、北条ファミリーの物語で、まるで、名作映画の「ゴッドファーザー」シリーズのような壮大なドラマに仕上げてくれました。


書きたい事は、山程あるのですが、最終回を迎え全て浄化されてしまった感じで、放心状態になりました。


拙い文章の大河ドラマのブログでしたが、1年間お読み頂きました皆様、本当に、ありがとうございました。



来年の松本潤さん主演の大河ドラマ「どうする家康」と、再来年の紫式部が主人公の吉高由里子さん主演の大河ドラマは、今の所、見る予定がないので、また、面白そうな大河が始まりましたら、大河ドラマのブログを再開したいと思いますのでよろしくお願い致します。