今年も、また、3月27日がやって来ました。


毎年、この日が来る度、「夢であって欲しい!」と思う自分がいます。

けれど、やっぱり事実は変えられませんし、未だに、完全に受け入れられていない自分が居ます。



1999年3月27日の午後、僕の携帯に1本の訃報の電話が入りました。

最初、僕は、一足早いエイプリル・フールかと思いました。

電話の主は、父方の遠縁だった、沖田浩之さんのマネージャーさん。

僕は「〇〇さん、エイプリル・フールには、まだ、ちょっと早いですよ!」と、軽い冗談で返しました。

しかし、マネージャーさんは、深刻な声で「事実なんです! 今夜までに速報が出るかもしれませんので、驚かれないようにと思い、ご連絡させて頂きました」と、僕に告げられました。

その後も、マネージャーさんと、何か話したと思うのですが、僕自身、頭の中が「真っ白」になってしまい、それ以降の会話は、あれから23年という時が過ぎても、やはり思い出せません。



この電話を頂く、数ヶ月前に、マネージャーさんから、沖田さんの体調が、あまり良くないとは、お聞きしていたのですが、「まさか? 嘘やろ?」という思いしかありませんでした。



この訃報の数日前にも、TBS系で放送された、高橋克典さん主演のドラマ「サラリーマン金太郎」で、沖田浩之さんは、企業乗っ取りを図る悪役・富岡修平役を好演したばかりでした。


僕と沖田浩之さんとの詳しいエピソードは、以前から何度も、このブログで書かせて頂いておりますので、詳細は割愛させて頂きますが、この前日の夜に、偶然にも「3年B組金八先生」の第2シリーズのVTRを僕は見ていたんです。

その翌日の訃報は衝撃でした。



その数ケ月後、沖田浩之さんのご自宅に弔問に訪れた日の夜、夢の中で沖田浩之さんにお会いしました。

僕が、何故か劇場の出待ちをしていて、そこに、沖田浩之さんが現れ、「遠いのに、悪かったね!」と声をかけてくれ「本当にありがとう!」と言ってくれた。

あれは、沖田浩之さんからの弔問へのお礼の言葉だったと、僕は、今でも信じています。

弔問に伺った際、沖田さんの幼い娘さんが、僕に言ってくれた「お兄ちゃん、上がって行きなよ!」の声は、23年という時間が流れても、僕の胸でまだ響いています。


あの頃は、まだ、3歳くらいだった娘さんも、今では、素敵な女性に成長され、ご結婚されているかもしれません。


そして、今年も、やっぱり、沖田浩之さんの夢を見ました。

夢の中の沖田浩之さんは、時代劇の衣装姿で、僕に「赤穂夢物語〜令和龍国伝〜という、忠臣蔵の映画のテーマ・ソングの作詞を担当したんだってな! 俺も浅野内匠頭は演じてるから、その映画に出て、一緒に作品を作りたかったけど、頑張ってるみたいだから、安心したよ! これからも、ラジオ番組や歌詞の制作に頑張れよ!」と仰ってくださいました。



沖田浩之さんの訃報から、早や23年、僕の胸の中では、今でも沖田浩之さんは生き続けていて、沖田浩之さんのお陰で、今も良い縁を繋いで頂いています。



沖田浩之さんのご縁から繋がらせて頂いている皆さん、ブログの読者の皆さん、フォロワーの皆さん、SNSで繋がって頂いている皆さん、あらためまして、今後共、よろしくお願い致します。