浜田省吾さんの父親は、広島の呉で警察官として働いていました。
広島に原爆が投下され後、浜田省吾さんの父親は市内へと入り、生存者の救出活動を行ったという。
ソングライター浜田省吾にとって避けては通れない想い、それは「平和への願いを歌にする事」。
このアルバムは、そんな浜田省吾さんだから作れた傑作中の傑作だと思います。
戦後、敗戦国として、奇跡的な経済復興を遂げた日本。
しかしその急速な復興は物質至上主義となり、深刻な環境汚染をもたらしました。
このアルバムに登場する人物達も、そんな時代の申し子として日々を葛藤したり、謳歌したり、やがて最後には時代の犠牲者となります。
浜田省吾さんは父親の棺にこのアルバムを収めたと言います。
きっとそこには、職務を全うしてきた父親の息子であれたことの誇りを、言葉では言い表せなかった気持ちに置き換えて、自分が納得できたアルバムを収めたのだと思います。
現代に於いても、このアルバムのテーマにはズレが無い。
それが喜ばしい事なのかどうなのか、ファンとしても複雑な心境ですが。
浜田省吾さんは、かつて『「君が人生の時…」までのアルバムを習作時代とすると、最初の一番充実していたアルバムなんじゃないかと思っている』と語っています。
若い頃の自分には、このアルバムの一番のテーマでもある「僕と彼女と週末に」の曲の歌詞の意味がイマイチ、ピンと来ない事もあった。
しかし、年齢を重ねれば重ねる程にこの曲の大きなテーマが痛い程に胸に突き刺さった。省吾が子供の頃は公害問題のある時代、近年では東日本大震災の福島原発事故、省吾の父は戦争体験二次被爆者でもある。
35年以上も前に作ったこの曲が、今の現代社会にあまりにもリアリティーのある曲になるとは、当時の誰一人もが想像さえ出来なかった筈。
実際に当時の音楽雑誌等には「リアリティーが無い」と、バッサリ切られたと本人もそれを語っています。
だが実際はその真逆であり、当時の段階で
この曲を作れた彼の洞察力と深みのある世界観、そこにはまさに彼のアーティストとしての秀才ぶりが分かる名盤。
「僕と彼女と週末に」は浜田省吾さんを崇拝する、ミスチルの桜井和寿さんもカバーしており、当時の浜田省吾さんのアルバムには、後の中村あゆみさん、尾崎 豊さん、福山雅治さんや、最近では現在ブレーク中の「あいみょん」等、多くのアーティストにも多大な影響を与えています。
このアルバムは後世にも残せる、いや、正しくは残さなければならない程の大きなテーマがある素晴らしいアルバムです。
そこには、大きなテーマがありながら「君を守りたい、この手で、愛を信じたい、人の心の、いつの日か」と、さりげなく簡潔に結んでいる歌詞にも、浜田省吾さんの世間に対しての押し付けのない曲作りの素晴らしさがあると思います。
このアルバムで人としての愛の大切さ、次世代を担う子供らに愛を教える大切さ、そして日本の無能な指導者らは大切な何かを学ばなければならないのではないか?
そんな事を僕に教えてくれた、貴重なアルバムの中の1枚でもあります。
さて前置きが長くなりましたが、個人的アルバム・レビューを。
このアルバムは、1982年の冬に発表されたアルバムです。
「HOMEBOUND」・「愛の世代の前に」に続く、「3部作」の集大成のアルバム。
浜田省吾さん自身が「頂点に立つアルバム」と自信を持って表現するほど、本作の完成度は非常に高いです。
アルバムのは、まず波の音と美しいメロディ「Ocean Beauty」から始まります。
その音色が遠ざかって行ったかと思うと、今度は「My Home Town」の力強く不安定なメロディが流れ始めます。
工業地帯の町の中で歪められていく、少年の屈折した感情は、次の曲「パーキング・メーターに気を付けろ!」で黒く閃く刃となって「彼女」の背に襲いかかります。
ラブソングとしては、やや明るめの曲調にためらいがちな恋を描いた「恋に落ちたら」、しっとりとしたバラード「愛しい人へ」が秀逸です。
また、別れた彼女に対する断ち切れない想いを歌った「ロマンス・ブルー」がアルバム前半に登場し、いくつもの挫折を乗り越えて、彼女の元に帰ってきた主人公を描いた「凱旋門」が位置する後半へのストーリーが見事に繋がっています。
その間には「DJお願い!」「バックシート・ラブ」「さよならスウィートホーム」の軽快な三部作によって陽気さを誘われ、中弛みする事無く、中盤を一気に駆け抜けることが出来ます。
曲中に登場する「僕」と「彼女」の二人は、夜の海に二人で泳ぎに行き、翌朝体調を崩して浜辺を見ると、大量の魚が死んでいるのを目撃します。
これは1980年代に問題化しつつあった公害を歌ったものだと浜田自身は説明しています。
だが見方を変えれば、今まさに人々の命を奪いつつある原発の放射能汚染を問題にしたものだという事も出来ます。
原発作業員、そして避難出来なかった人々は、放射能を浴びて、将来癌になって死んでしまうかもしれない。
捨てられてゆく命に対して、歌うことしかできない浜田省吾さんは、それでも「君を守りたい」という強力なフレーズを放とうとします。
それは人の「自惚れ」に対する警鐘であり、「売れる物ならどんな物でも売る」資本主義に対する告発であり、「宇宙の力を悪魔に変えた」人類の科学、そして原発に対する抵抗でもあるのではないでしょうか?
これほど大きな社会的問題、それも全地球的な問題を歌いきった曲は他にほとんど見られるものでは無いと思います。
このアルバムは人の陽気さ、苦悩、安らぎ、そして未来への願いが詰め込まれた、不朽の名作であり、「我々が引き継いでゆく価値のあるものを持っている」と僕は思います。
このアルバム発表当時は、まだバブルではなくて、失われた20年と呼ばれている現在よりも、むしろ、物質的にも精神的にも、何かアンバランスで未成熟な時代だったように思います。
今の日本は、自信満々だったり、自分の弱い部分を見せたふりして見せていない歌ばかりですが、このアルバムの主人公は、どこか弱みを持ち悩みながら解決できずに、それでも歩き続けているように思います。
弱さを自信満々に歌うのではなく、弱さを弱いまま歌っているから、説得力があるように思います。
なにしろ、1人が1人だけでも守りたいという歌だったりするわけですから。
このアルバムでの問いかけや叫びは、いつの時代でも生きているように思います。
浜田省吾さんのアルバムは「少年から大人への成長」というテーマが一貫していることが特徴ですが、本作においてもらストーリーの一貫性、メッセージの貫徹ははっきりと見てとれます。
暗いニュースや、深刻な社会問題ばかりの「現代社会」
皆,一生懸命生きているはずなのに、出口のない暗闇をさまよっているかのように光が見えない。
こんなとき,感情的に「現状を打ち壊せ!」と主張するアーティストが多い中,浜田省吾さんは、現代社会への問題提起を行い,「どうしたらいいのか?」と苦悩します。
「打ち壊せ!」と言う事は、単純明快で、一見カッコいい。
でも,それには多くの犠牲が伴います。
事はそう簡単なものではなく,具体的解決策を提示しない「現状打破」論など、無意味である事を浜田省吾さんは知っています。
だからこそ,我々リスナーと共に苦悩しながら,一筋の光明を見出そうとします。
このアルバムでは、そんな浜田省吾さんの真摯な姿勢がひしひしと伝わって来るのです。
このアルバムを作り終えた当時、浜田省吾さん自身は、「自分が居心地の悪い完成に向かっている」気がしたと言います。
地方都市に暮らす少年の苛立ちや、広島に生まれた人間として感じる核の脅威を、自らの「硬質な祈りの歌」として、彼は前2作のアルバム「Home Bound」・「愛の世代の前に」に全力で注ぎ込みました。
その上で、その想いを更に深め、純化し蒸留したような曲が、本作に収められている「僕と彼女と週末に」なのです。
「僕と彼女と週末に」で、浜田省吾さんは「宇宙の力を悪魔に変えた」と歌った上で、「ただひとりの君を守りたい」と、あくまでも個人的な視点で歌う姿勢を示しています。
以降、常に大きなテーマを抱えつつも、最後は1人ひとりの生き方の問題として考えさせられる曲が強く支持されていくのです。
浜田省吾さん自身の音源がUPされていませんので櫻井和寿さんのカバー・バージョンを。
収録曲
- OCEAN BEAUTY
- マイ ホーム タウン
- パーキング・メーターに気をつけろ!
- ロマンス ブルー
- 恋に落ちたら
- 愛しい人へ
- DJお願い!
- バックシート・ラブ
- さよならスウィート・ホーム
- 凱旋門
- 僕と彼女と週末に