昨日に引き続き、京都でのアマチュアバンド時代のお話を。


やしきたかじんさんに偶然お会いし、激励を頂いた僕達は、益々精力的に、バンド活動を続け、様々なイベントに出演して、オリジナルを発表して行きました。


1989年の冬のある日、京都のライブハウスで演奏後に訪れたあるお店で、今度は、またまた偶然にも、シンガーソングライターのBOROさんにお会いしたのです。


BOROさんと言えば、そう、名曲、「大阪で生まれた女」や、「ネグレスコ・ホテル」など、多数のヒット曲を持ち、沢田研二さんや、近藤真彦さんへ、楽曲提供や、プロデュースをなさるなど、関西を代表するミュージシャンです。


実は僕、この数ケ月前に、千里中央の、とある場所で、BOROさんにお会いしており、その時、「京都でアマチュアバンドをやってます」と、言っており、BOROさんも、僕の顔を覚えていてくださり、「あの時の子〜やん! 今日、こっちにおったんかいな〜! 偶然やなく、必然やなぁ〜!」と、仰ってくださったのです。


それから音楽の話になり、僕が以前、たかじんさんに、「歌は心で歌うんや」って、激励された事や、その頃悩んでいた、「英語の文法が苦手なので、ロックっぽい英語を入れた歌詞が書けず、悩んでいるんです」と言うと、BOROさんは、「たかじんの言う通り、心こそ、大切やで〜! 何も歌詞に英語を入れるのが、ロックちゃう、作り手にロックの魂があって、歌い手にロックの魂があるなら、その曲は、立派なロックや、演歌やポップスとか、ジャンル分けするんは、評論家やメーカーだけや! 魂込めて、歌書きや〜!」と、仰ってくださいました。


その時、BOROさんは、僕の詞を数編見てくださり、「叙情的な作品に光るもん、持ってるなぁ〜! けど、まだ、写真で言うたら、アップで撮ったのがほとんどや、 もっと色んな経験積んで、ズームで撮った作品書かなアカンで〜! 例えば、恋人同士が仲良く一緒おる所をアップで撮ってても、ズームにしたら、そこは断崖絶壁の上かもわからんやろ〜?」と、実に具体的なアドバイスをくださったのです。


それから、「今、マッチのアルバムの、プロデュースの話来てるねん! 彼も大人になって、色々試行錯誤してるみたいやから、力になれたら、ええなぁと、思てんねん! 人生、毎日勉強やから、焦らず、慌てず頑張りや〜!」と、握手をして頂きました。


BOROさんの手も、すごく温かかったです。


このBOROさんの励ましで吹っ切れた僕は、文法など気にせず、歌詞に英語をちょっとだけ入れたり、試行錯誤を繰り返しながら、再び走り出したのでした。


そして、それから数ヶ月後、再びBOROさんと、京都での再会を果たすのですが、そのお話は、また次の機会に。


次回は、あるお好み焼き屋さんでの、桑名正博さんとの出会いのお話を致します。


第2回  完