【徳川幕府】印旛沼干拓工事と年表 | 嶽正義 チバを盛り上げる!

◆印旛沼干拓工事と年表

 

■享保の堀割工事

 

 

  • 享保02年(1717年)-享保の改革が始まる
  • 享保07年(1722年)-代官や町人が行う新田開発を奨励する高札が掲げられる
  • 享保09年(1724年)-名主染谷源右衛門ら数人より幕府へ目論見書が進達される
  • 享保09年(1724年)-幕府は印旛沼に幕史の井澤弥惣兵衛ら3人を派遣する
  • 享保09年(1724年)-享保の堀割工事が始まり、やがて失敗に終わる(※中止時期は不明
  • 享保17年(1732年)-西国を中心とした享保の大飢饉が発生する
  • 享保18年(1733年)-江戸市中で米価高騰による享保の打ちこわしが発生する
  • 享保20年(1735年)-青木文蔵が小石川養生所、馬加村、不動堂村で甘藷の試作を開始する
 
■天明の堀割工事
 
 

 

  • 安永09年(1780年)-鹿島川、平戸川及び神崎川の各流域で水害が発生し、稲作が被害を受ける
  • 安永09年(1780年)-名主香取平左衛門と信田治郎兵衛より幕府へ目論見書が進達される
  • 天明元年(1781年)-老中・田沼意次が幕史に印旛沼の実地検分を命じる
  • 天明02年(1782年)-東国を中心とした天明の大飢饉が発生する
  • 天明02年(1782年)-天明の堀割工事が始まる
  • 天明03年(1783年)-浅間山で大噴火が発生し、堀割工事の中断を余儀なくされる
  • 天明04年(1784年)-天明の堀割工事が再開される
  • 天明06年(1786年)-利根川が大氾濫を起こし、工事自体が振り出しに戻る
  • 天明06年(1786年)-田沼意次が老中職を罷免される
  • 天明06年(1786年)-天明の堀割工事が中止

 

■天保の堀割工事

 

 

  • 文政13年(1830年)-老中・水野忠邦による文政の改革が始まる
  • 天保04年(1833年)-天保の大飢饉が発生
  • 天保11年(1840年)-水野忠邦が御勘定組頭五味与三郎と御勘定楢原謙十郎に検知を命じる
  • 天保11年(1840年)-天保義民事件が発生し、庄内藩の領民が三方領知替えに反対運動を起こす
  • 天保13年(1842年)-篠田籐四郎が横戸村の高台と花島村の花島観音下の古掘割の試し掘り
  • 天保14年(1843年)-沼津藩、庄内藩、鳥取藩、貝淵藩、秋月藩による天保の堀割工事が始まる
  • 天保14年(1843年)-水野忠邦が老中職を罷免される
  • 弘化元年(1844年)-天保の堀割工事が中断
  • 弘化02年(1845年)-青木文蔵の徳を偲んで昆陽神社が建立される