◆春夏ニンジンと秋冬ニンジンと印旛沼干拓工事
闘病生活は辛いですが、それでも決して無駄ではない事もあります。
それは調べ物が捗るという事。
個人的には辛い中にも新しい発見があり、無益では無かったと思っています。
早く完治させるのは勿論ですが、時間を有効利用するのに郷土史の勉強は有益です。
以前わくわく広場に買い物に行った際、驚いた事がありました。
何に驚いたのかと言うと、私が知っている農家さんのニンジンが商品として陳列されていたのです。
見つけた瞬間の喜びと嬉しさは”筆舌に尽くしがたい”ものがありました。
それが写真のニンジンです。
千葉市の人参でかつて「ブランド」とまで評されたニンジンがあった事を皆様はご存じでしょうか。
それが【幕張ニンジン】だったのです。
ちなみに今は「春夏ニンジン」と「秋冬ニンジン」という風に呼ばれているそうですね。
幕張ニンジン発祥の地である幕張の歴史を調べてみましょう。
幕張地域では1960年代中頃まではサツマイモ畑やニンジン畑が多く拡がっていました。
それが東京湾の埋め立て工事に伴い、当時の都市計画により幕張のベッドタウン化が進み始めます。
余談ですが、この埋め立て工事が本当に正しかったかどうかは後世の判断に委ねたいと思います。
委ねたいと思いますが、私はこの工事により失った代償には計り知れないものがあると感じています。
これを書き出すとまた長くなりますので後日にでも(苦笑)。
何れにしてもベッドタウン化が進んだ事によってサツマイモ畑やニンジン畑の面積が大幅に縮小。
また後継者不足に悩む農家が多くなり、耕作放棄地を生み出す遠因にもなってしまいました。
にも関わらず市民農園は少ないので花見川が不法占有されてしまうという矛盾が生じています。
皮肉としか言い様がありませんね・・・。
ではここで馬加村(まくわりむら)について簡単に触れておきます。
幕張地域は馬加村が天戸・武石・長作・実籾の各村と合併して誕生した幕張村に由来。
その幕張村で作られる人参は特に品質が高く、首都圏に多く出荷される事でも知られていました。
しかし残念ながらこの事は私も含め、多くの近隣住民は知らないと思われます。
「そもそも町の歴史自体に興味が無い」
新興住宅地でもある京成・総武沿線に住まわれている多くの住民の声はこうではないでしょうか。
しかし勿体ない話しですよね。
そもそも馬加村は数少ない甘藷(さつまいも)の試作地で、唯一の成功地でした。
この事実をもっと市民や県民に対して大々的に広めても良いと思うのです。
と言うことは、つまり幕張村は千葉市内でも農作物を育てるのに適している土地だという事。
農業というと緑や若葉というイメージが強いですが、そんな事はないんだよ。と私は書きたいのです。
それと念の為に付け加えておきますが、緑や若葉と争えと書いている訳ではありません。
緑区や若葉区の農業は農業で本市の食卓を支える大事な生産地です。
それは十分に分かっていますし、張り合う事自体がナンセンスだと私は思います。
花見川区の農業と緑区・若葉区の農業が上手に棲み分けできれば相乗効果が生まれると考えます。
また桜井たかし市議が毎回指摘している事ですが、幕張地域は都内へのアクセスに優れています。
京葉道路の武石ICを利用すれば、都心まで20~30分あれば到達できます。
ってことはつまり、幕張地域が再び農業の拠点になれば一大生産地となり得る。
幕張地域の朝彩れ野菜が一時間後には丸の内のマルシェに並んでいる。
なんだか夢のある話しだと思うのですが、皆様は如何お感じになられますでしょうか。
わくわく広場に並んでいたニンジンから何だかロマンをいただきました