ご訪問いただき有難うございます。

 

もう八月半ばの頃のエピソードに

なりますが

私の中でやっと自分の

肚おちとなり

体現できるように

なったので綴ります

 

サービス(無償の)と対価についてです


因みに↓調べると

対価(たいか)とは、商品やサービスを提供する際に受け取る報酬や物品のことを指す



ここって計算(頭)ではない位置での

バランスが大事でその居処からの

体現で拡がっていくと今は感じてます


「私」は◯◯できる

「私」は◯◯だから◯◯

「私」は◯◯なので得る資格がある、ない


「私」の部分もとても必要で

そこがあるから計算でない

居処もわかります

そして何より「私」が機能する

部分も多々あります


だから、綺麗事ではなく

本当にどちらも必要、、、

それが現実的。


「私」でいくと

サ−ビス(無償)の部分で

のやり取りでその人への

特別感等を生み出していく傾向も

生まれる、、、

そこはやはり奪い合いが

起き、苦しさが生まれる


私は、対価を受け取る部分が

弱い部分があり

そこが引き金で今回

エピソードがありました


肚おちする程に、

自分のズルさも炙り出て

根こそぎ動くものがありました


言葉や文字にすると

薄っぺらくなってしまうのが

歯がゆいですが

対価で人(自他共に)を計ることから

また一段降りれた次第です


これからもきっと違う質で辿るかもしれないし

もうしないかもしれないし、、、

わかりませんが、感謝。


言葉足らずご了承下さい。