っていうと、すごくおこがましいし、えらそうだし、とっても失礼なかんじだけど・・
何年も付き合っていても
ある時、なにげないような積み重ねで
溝がひろがって、それが修復不可能なくらいに広がることがある
一定の距離を保って、人間関係っていうのはつむいでゆくものだけれど・・
大人としては、その距離のとり方もきちんとできなくちゃいけないのだけれど・・
頭でわかっていても、それすら、もう、面倒になるくらいのことがある
「友達」ってなんだ?って考えるけど
別にいつでも一緒にいるわけでもないし、別に何でもあけすけに話せばいいってもんでもない
たとえば仕事のことやお金のことは
仲がよくても、簡単に話せることじゃないし・・
それぞれ、人がもっているものさしは、大きさも長さも違うけれど
他人をそれにあてはめて、違うとか、正解とか・・そんな風な判断に使うのは
もっと若いときまででいいとおもう
実際には、自分のことすらはかりかねるのに
他人をそれではかることなんて、できないのだから・・・
わからない
理解できない
そんなことは、はいて捨てるほどある
でも、わからないから、理解できないから、間違っているのか?というと
そんなことは、ないんじゃないのかな?
いけすかないし、むかつきもするし、おかしいだろ!って思うこともあるけれど・・
友人関係に関しては、ちょっと別
相手を自分のものさしではかって、自分がはかれる範囲を超えているからといって
その相手にたいして「間違ってる!」っていえるほど・・・自分はえらいのか?
許容するのともちょっと違う
でも、違うものは違うものとして「そういうものだ」と認識する
たしかに・・間違っていることは、あるとおもう
みんながみんな、正しいことばかりやれるわけじゃないもの
でも、その相手がそうなるにいたるまでに、どれだけのものがあったのかを
友達だったら余計に・・考えてほしいなって思ってしまうし
自分は、考えられるような人間でありたいなって・・つい、思ってしまう
理想論だともおもう・・・
きれいごとかもしれない・・・
ずけずけと・・言うことだけが正しくもなければ
何も言わないことが正しいわけでもない
でも、発言するならば・・・
自分は絶対的にただしい、相手は絶対的に間違っているというスタンスでは
いけないんじゃないのかな?
とも、おもう
断定されて、否定されて、拒絶されて、そこまでして友達でいたいとは思わない
自分のほうが上だって思っているわけじゃないだろうけれども
そんな風な目線を少しでも感じてしまえば
そりゃ・・気分もよくないよね
自分が置かれている環境に対して、文句をいうことはかってだけれど
愚痴をいうことで解決する問題も、もちろんあるのかもしれないけれど
問題が大きくて複雑になればなるほど、愚痴すらでなくなるような気がする
「愚痴れば楽になるよ」
って言われたときに、ちょっと違和感を感じたのは
うがった見方をしてるっていう自分もいるからなのはわかっているけれど
(愚痴ですむ程度のことなら・・ね)
と、正直思ってしまった
不可侵でなくてはいけない話題だったり空間だったりにまで
ずけずけと入り込んで
相手の状況をかんがみることができないならば
それは、ちがうとおもう
自分で自分を、どうコントロールしようか悩んで
結論としては、わたしも本当にずるい逃げ方をしているけれども
どんな言葉を尽くす力もでないし
相手と同じ空間にいることが、たぶん、今は耐えられない
縁を切られるかもしれないけれど
それはそれで仕方ないんじゃないかな、ともおもう
細い糸にまで、しがみつこうという気持ちは
今は・・ないから
まじめなのはいいことだ
でも、自分のものさしをあいてにあてはめて
断定してしまうのは、断定された相手にしてみれば・・とても不快
きっついなぁ・・って・・おもう
正論は、正論として当たり前だけれど
それだけじゃ、息がつまるよ
何年も付き合っていても
ある時、なにげないような積み重ねで
溝がひろがって、それが修復不可能なくらいに広がることがある
一定の距離を保って、人間関係っていうのはつむいでゆくものだけれど・・
大人としては、その距離のとり方もきちんとできなくちゃいけないのだけれど・・
頭でわかっていても、それすら、もう、面倒になるくらいのことがある
「友達」ってなんだ?って考えるけど
別にいつでも一緒にいるわけでもないし、別に何でもあけすけに話せばいいってもんでもない
たとえば仕事のことやお金のことは
仲がよくても、簡単に話せることじゃないし・・
それぞれ、人がもっているものさしは、大きさも長さも違うけれど
他人をそれにあてはめて、違うとか、正解とか・・そんな風な判断に使うのは
もっと若いときまででいいとおもう
実際には、自分のことすらはかりかねるのに
他人をそれではかることなんて、できないのだから・・・
わからない
理解できない
そんなことは、はいて捨てるほどある
でも、わからないから、理解できないから、間違っているのか?というと
そんなことは、ないんじゃないのかな?
いけすかないし、むかつきもするし、おかしいだろ!って思うこともあるけれど・・
友人関係に関しては、ちょっと別
相手を自分のものさしではかって、自分がはかれる範囲を超えているからといって
その相手にたいして「間違ってる!」っていえるほど・・・自分はえらいのか?
許容するのともちょっと違う
でも、違うものは違うものとして「そういうものだ」と認識する
たしかに・・間違っていることは、あるとおもう
みんながみんな、正しいことばかりやれるわけじゃないもの
でも、その相手がそうなるにいたるまでに、どれだけのものがあったのかを
友達だったら余計に・・考えてほしいなって思ってしまうし
自分は、考えられるような人間でありたいなって・・つい、思ってしまう
理想論だともおもう・・・
きれいごとかもしれない・・・
ずけずけと・・言うことだけが正しくもなければ
何も言わないことが正しいわけでもない
でも、発言するならば・・・
自分は絶対的にただしい、相手は絶対的に間違っているというスタンスでは
いけないんじゃないのかな?
とも、おもう
断定されて、否定されて、拒絶されて、そこまでして友達でいたいとは思わない
自分のほうが上だって思っているわけじゃないだろうけれども
そんな風な目線を少しでも感じてしまえば
そりゃ・・気分もよくないよね
自分が置かれている環境に対して、文句をいうことはかってだけれど
愚痴をいうことで解決する問題も、もちろんあるのかもしれないけれど
問題が大きくて複雑になればなるほど、愚痴すらでなくなるような気がする
「愚痴れば楽になるよ」
って言われたときに、ちょっと違和感を感じたのは
うがった見方をしてるっていう自分もいるからなのはわかっているけれど
(愚痴ですむ程度のことなら・・ね)
と、正直思ってしまった
不可侵でなくてはいけない話題だったり空間だったりにまで
ずけずけと入り込んで
相手の状況をかんがみることができないならば
それは、ちがうとおもう
自分で自分を、どうコントロールしようか悩んで
結論としては、わたしも本当にずるい逃げ方をしているけれども
どんな言葉を尽くす力もでないし
相手と同じ空間にいることが、たぶん、今は耐えられない
縁を切られるかもしれないけれど
それはそれで仕方ないんじゃないかな、ともおもう
細い糸にまで、しがみつこうという気持ちは
今は・・ないから
まじめなのはいいことだ
でも、自分のものさしをあいてにあてはめて
断定してしまうのは、断定された相手にしてみれば・・とても不快
きっついなぁ・・って・・おもう
正論は、正論として当たり前だけれど
それだけじゃ、息がつまるよ