Surrender To Unknown

Surrender To Unknown

体が動けばハートが動く。体とつながる、自分とつながる。動く瞑想5リズムのティーチャーMasayoのブログです。

私にとってのDyad(ダイヤッド、ダイアド、ダイアード)瞑想。

ギリシャ語で「2」を示す、話す・聞くのインクワイヤリー(問いかけ)瞑想。

 

これを去年の3月にサムちゃんに紹介してもらった時「あら?これ、5リズムのワークショップでも使う、私の大好きなメソッドじゃん?これをもっとマジでやりたいんですけど!」的にドンはまりして、その直後に歴史を調べ、その結果、シモーヌさんがやっている「Grobal Dyad Meditation」に行き着いた。

 

そのあと、友達に声をかけまくり、やりまくって、しかもFBグループまで作って、ソレをやりはじめて1年半が経った。数えたら360回以上やったようだ。(途中数えてない)

 

私は5リズムという踊る瞑想とも呼ばれる「外的に」自分の体を捉えて繋がる「動」のムーブメントをやっていて、それとバランスを取るがごとく、内的な「静」の瞑想も必要だった。

 

Dyadをやりはじめて、自分の声に繋がるパーセンテージが上がり、ホールド力が変わった。

 

Dyadでは「脳の整理」がなされる時もあれば、「インナーチャイルドの声」だったり、「心の声」だったり、「エゴの崩壊による涙」だったり、「宇宙意識」だったり、とても面白いところと面白いように、必要な時に繋がる。

 

先日はワンネスに対する体感覚が、バージョンアップした。なるほど!ワンネスってこっち系?!みたいな。

 

そういう時もあれば、「まだ痺れている状態の悲しみ」と対峙したり、それはただただ「ほおっておいてほしい」と言った。

 

また別な時はただただリラックスの中でお風呂に入ってるような気持ち良さがあったり、また別な時はパートナーとの繋がりに涙が止まらなかったり。

 

その場、その場でいろいろ。

それらをすべて、自分の一部として受け入れる。

 

こういう場があっていいな、と思う。

 

 

現在、Mitoちゃんと一緒に「Dyad瞑想のパワー」シモーヌ・アンリカー(Grobal Dyad Meditation 主催)著 を翻訳、仕上げ中。

仕上げに時間はかかっているが、あとちょっとでその本を読んでいただけることと思う。

 

eBookにて発売される日も近い(希望的観測)

 

一緒に練習したい方、無料の練習会、毎週 水曜(9am 8pm)、土曜(11am)にやってます。(PST: Tue 5pm, Fri 7pm)

また、個人的にやりたい方も、ともにお声がけください。

時々あるのでパターンなんだけども、

昨日から、悲しくて悲しくて仕方がない。

 

私は小さい頃から悲しみを出してこなかった。

怒ることは簡単だったが、

悲しむことは苦手だった。

 

なぜなら「女の腐ったのみたい」って蔑んで来てたし、

大人になってからはそれを思考で処理し、

感情とは女子供の持つソレで

大人になったら捨てるもの的な

そのくせ「喜び」という感情だけはウエルカム的な

スピリチャルな風潮または

自分の投影というコトバだけが先走りをし

「そう思ったらこうなっちゃうからダメなんだわ」

というストッパーをかけた。

そして、または視点を変え、

悲しむことを別な事にすり替えるのも得意だった。

 

もともと得意な「怒り」は

そのまま扱い切れないエゴとして残り

夫がその被害をあいかわらず受けているが

 

「悲しみ」はしっかり経験もしないままに

なかなか引き出すことのできない

銀行の積立貯金にいれたまま、

そんな感じだった。

 

が、12年前にファイブリズムに出会って以来

それは時々やってきた。

ただし、悲しみは悲しみ独自のペースがあるようで

「ほら、悲しみ、出て!」

っていったって、決して出るような

ヤワなものではなかった。

 

だが、そこにアプローチはできた。

 

思考から「出しても大丈夫だよ」というアプローチをし

ハートから「もう受け入れられるほどに大人だから」と言い

身体を動かして実際にそれらを緩める。

ものごとは体に溜まる。

身体を動かすと、

どれくらい自分が悲しみを

ブロックしていたのかがわかって

「かわいそうに、がんばってたのね、ありがとう」

と感謝が湧いてくる。

 

身体のアプローチはスッ飛ばせないのだ。

思考だけじゃイケないのだ。

少なくともわたしの場合は。

エロ本ではイケないのと同じ
(ある意味、脳的にはイケるんだけども)

ハートだけでもイケないのだ。

わたしは、実際にイキたいのだ。

 

 

思えば

 

弟が4歳で死んだ時、

父母の悲しみはそこはかとないものだった。

が、

父母は悲しみというカタチで表現しなかった。

わたしは彼らの必死さをみたが

さめざめと泣く涙は見ていないように思う。

パニックのサバイバルとして

怒りが原動力となり

家族中が「それ」を無事に終えることに

フォーカスしていたように思う。

 

その原体験から

わたしは

「悲しみは表現してはいけないもの」

と言うルールが細胞に刻まれた。

 

だから悲しみがやってくると

「視点を変える」

「思考を動かす」

「怒りの感情へ移行する」

 

この3つによってサバイバルしてきたが

 

5リズムでなんどもなんども

そこへアプローチして以来、

ようやく今になって

ここ5年、悲しみが時々やってくる。

 

ああ、この怒りは

悲しみだったんだ。

 

とわかる、ということだ。

 

そう言うこと、無視して生きてるうちは

ある意味よかったとも言える。

 

だけど、わたしはそっちを選ばなかった。

なぜならわたしには

こっちが大切だから。

 

 

昨日、今日、

わたしは悲しみと一緒にいる。

 

わたしの中の泣きたかった私が主役となり

わたしの体の中に溜まっていたそれが浮上し

(現に咳が止まらない 肺は、悲しみの反射区である)

 

私は悲しみに、思い切り表現させてあげることを

許している。

 

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こんなわたしと踊りませんか?

ファイブリズム 

 

日曜 朝10時半〜12時(JST)

今日ですね。1時間前までお申し込み可能なはずです。

初心者大歓迎!(説明のため15分早めにお入りください)

 

 

水曜お昼12時(JST)

 

www.masayo5r.com 

より

なぜか、日本に住むカナダの方から連絡をいただいたり、

ソウルコラージュ 本部から連絡が来たり、

全く違う人から「ぜひやりたい」とお誘いをもらったり

 

密かに根強いファンがいるソウルコラージュ。

 

それもそのはず、

すっごくパワフルだからだ。

 

そもそも

「誰々にみてもらってこう言われました」

という楽しかった時代が過ぎ

皆、さまざまなことを自分でできるようになる。

 

そのとても基本のことを

しっかりとソウルコラージュは見ていくのだ。

 

ビジョンボードのように目的をもってそれに向かってやるのではない。

アートのように美しく見せるために作るのでもない。

 

それによって自分の深層心理を話をするために作るのだ。

 

同じ大きさで作って、

ゆくゆくはそれを使ってリーディングをする。

 

自分で作ったカードだから

それぞれのカードの温度やエネルギーや色や、さまざまな

ものがアリアリとわかるのだ。

 

そして特に。。。

最初のカード、「バージンカード」は大切。

自分と会話するツールができるわけだ。

 

 

次はとある方のご希望で

 

  • 7/11 (日)(プライベート)締め切り
  • 7/26 (月)(一般公募)です。あと3人

 

私のことを全然知らない方も超ウエルカム!

 

なぜなら、世界中に先生がいて、日本人はまだ少ないので

私、かなり説明しっかりしますよ。

 

すっごいいいワークショップだから

これがたったの8000円で受けられるなんて

オトクだと私は思ってる。

 

 

お申し込みはこちら。

2019年、4月ファシリテーター取得。

 

 

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この記事を書いている私は、動く瞑想5リズムのオンラインクラスをしています。

 

www.masayo5r.com