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エミールの会 創作 2013.5.30
3歳の息子と89歳の祖父を見ていると、つくづく似ていると思う。3歳の息子とは私の1人息子で、弱視と発達遅滞のある、体は至って元気な男の子。祖父は息子から見ると「ひいおじいちゃん」で、加齢に伴い、私たち夫婦+息子が祖父の家に転がり込むかたちになった。
私の母が生きていれば祖父の介護が直接私に回ってくることはなかったかもしれないが、母は先日7回忌を終えたところである。他の兄弟もすでに他界、祖父の兄弟は同じく高齢となると、頼るところは私たち孫、ということになる。
私は2人兄弟で弟がいるけれど、築地市場の仲卸を営む父の元で修行中の身となると、そう介護のお願いをするわけにもいかない。起きるのが夜の12時で夜中の2時から仕事をしている。日本の働く男は辛いね、とこれでは寅さんである。
そんな祖父の調子がおかしくなってきたのが昨年の7月。膝が痛いと言って自ら主治医に志願して入院した。CT、MRIと一通りの検査をしたが「加齢による膝関節症」だそうで、特別な治療はないと2週間あまりで退院になった。
9月になるとまた、祖父が「膝が痛い」「入院させてもらえるなら入院したい」と訴えだした。前回の入院で筋力が落ちたことを感じていた私は、「長く入院すると歩けなくなるから、できるだけ入院しないほうがいい」と主張し、入院に反対した。
私に頼んでも無理だと思ったのだろうか、祖父は出入りのマッサージ師にチップを払って病院に付き添ってもらい、狙い通り「入院」に成功した。
積極的治療の何もない入院である。よく急性期病院が受け入れてくれたな、と思ったら祖父が医師にチップを弾んでいた。
「歩けなくなっても知らないよ」という私の予言通り、病院での「安静」状態によって祖父の筋力は急激に衰えた。歩行器で5メートルがやっとの状態になったところで、退院の通達がやってきた。
さて、困ったのは私たち家族である。このまま1人でトイレにも行かれない祖父を自宅に引き取るか。相談したケースワーカーさんの紹介で、リハビリ病院の短期集中リハを受け、帰宅を目指す道を紹介され、そのままリハビリ病院に転がり込んだ。
このリハビリ病院がマズかった。施設は老朽化が進み、ナースも伝達が行き届いていない感じ。肝心のリハが目的と我々は目をつむったが、祖父は気に入らなかった。転院後間もなく高熱と嘔吐を繰り返し、「安静」を言い渡された。目的の「リハ」を果たせない今となってはなぜこの病院に、ということになるが、具合の悪い状態で無理に動かすのも負担がかかる。なんだかんだで「安静」の2週間を過ごし、いざ立ち上がろうとすると、もう車いすに移る筋力もなかった。
無理に立たせて転ばれても困るのだろう。リハも寝ながら足をストレッチしたり、座位で足を曲げ伸ばしする動きが中心になった。私も知らないうちにオムツ着用になり、そんな自分が嫌だ、というように本人のやる気も食欲も、生きようとする力まで弱くなっていく様子を見て、この病院もそろそろ潮時だなと思った。
少しは歩けるようになったところで帰宅しようという我々の目論みとはまるで逆効果になった今、さて、どうしようかと作戦会議を立てた。「会議」と言ってもメインは私1人で、あとは話しをうん、うんと聞く夫がいるのみである。結局、この状態で帰宅してきたら私が大変だろうと、1人で転院先を決めた。それが今入所中の老人保健施設である。
入所当時は3ヶ月程度の短期入所で、という話だったが、「次が見つかるまでは」ということで、すでに3ヶ月を過ぎているが、突然追い出される気配は今のところない。
転院する前は「もうダメだ」など弱気なことを言っていた祖父だが、新しい施設は昨年オープンしたばかりの綺麗な建物で、食べ物も美味しい。数日もすると毎食完食するようになり、最近では「ここの食事では足りない」と訴えてくる。食べる力は生きる力だな、と思う瞬間である。それにしても建物の築年数で人ひとりの寿命を延ばせるのだから、「見た目」も大事である。
雨天でなければほぼ毎日、私は息子を保育園にお迎えに行った足で老険に寄る。息子はもう勝手知ったるで、受付のお姉さんとハイタッチを交わし、エレベータに乗ると「三階です」とアナウンスを真似る。その3階に降りるとちゃんと部屋が分かっていて、靴を脱いで入室。おじいちゃんのところに行くのかと思いきや、毎日飽きることなく共用の廊下を走り回っている。
現在祖父は車いす生活も板についてきて、オムツ着用ながらトイレは尿瓶で取ってもらい、大きいときだけオムツでする。走り回る息子も、小さなオムツを履いている。トイレトレーニング中で、日中はパンツで過ごすが、たびたびおしっこを漏らす。うんちはトイレよりオムツにしたいらしく、就寝前などオムツに取り替えると、私の目からなるべく離れた部屋の隅っこのほうで元気なうんちをしてくる。
彼はやっと手づかみ食べを卒業し、スプーンフォークで食事をとるようになったが、まだまだ三点持ち(指3本を使ってエンピツのように持つ)は難しく、ひたすらグーである。それでも療育からの指示で使いはじめた柄の細い食具(大人用と同じようなかたち)を、上手に使うようになった。ところが喜んだその日に祖父の手を見ると、今度は祖父の手がグーになっている。握力が弱くなって確実に握りたいのだという。
しばらくすると祖父のリハビリ担当の方がスプーンの持ち手にミツロウ粘度を、フォークに円形の長細いスポンジをはめた祖父専用の食具を作ってくれていた。「持ち手が太いほうが安定して持てるので」との配慮である。
くしくも息子と祖父を同時に見るようになって、思うことがある。赤ちゃんが1人では生きられないのと同じように、老後はやがて誰かの手を借りる時が来る。人生をどこかにある折り返し地点で折り畳むと、ピッタリと重なり合うのが乳幼児期と要介護期なのだろう。
最初と最後に流れる時間くらい、緩やかに過ごしたい、過ごしてもらいたいものだ。