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MASAのUNO❗DOS❗TRES❗

アマチュアプロレス団体ignite所属のMASAが管理する個人ブログです。

※内容は、あくまで個人の見解です。

上京し、最初は会社が借りた船橋のアパートに住み始める。

会社は新宿近くなので、毎日黄色い電車に乗り通勤。憧れの水道橋を通過してました。(笑)

これで、沢山プロレスを見れると思ったが甘かった・・・

新人にも容赦なく残業に次ぐ残業・・・(決してブラック企業ではないです。)あれよあれよと言う間に毎月残業50時間&長期出張・・・(現場担当になった同期は100時間行ったらしい)

そんな若者の心を癒したのは、近所に有ったレンタルビデオ店。チェーン店ではなく、小さい店舗だったが、異様にプロレス関連のビデオが多かった。休みの日は、数本借りて一日プロレス三昧でした。当時は休日は疲れはてて水道橋まで行く気になれなかった。そして、数年が経ち、その間の暴飲暴食がたたり、10年間で体重が10kg増に、更にその10年後には10kg増に、入社時には180cm,60kgだったのが180cm,80kgになることに・・・

そんな日々の中、プロレスから少し離れ、新しく出てきたK1にのめり込むようになるが、再びプロレス熱が出てきたのは、会社の都合で引っ越した幕張に住み始めた頃だった・・・つづく

そんな中、新聞の番組表を見てると深夜帯に【世界のプロレス】と記載されていた。当時小学生か中学生だったと思うが普段は寝てる時間帯だったので親に言って起こしてもらい、眠い目を擦りながら見てました。それまで見てたプロレスとは違い、インタビューでは饒舌に喋りちらし、華やかなコスチューム、入場から退場まで目が離せない試合。今みたいに一強ではなく、NWAだったり、WWF、AWA、等々 、アメリカ全土に様々な団体があり、それぞれに特色があり毎回放送を見るのが楽しかった。

そして、中学生になるとプロレスラーになる夢が沸々と沸いて来てましたが、当時は募集要項に身長や体重があり、なかなか体重が増えないヒョロガリだった少年には、大きな壁でした。

月日は過ぎ、中3になり進学する高校を選ぶにあたり、レスリング部がある高校を探し見つけたが、自宅から通える距離ではなく、親にも反対され、自宅から通える高校(雨の日も風の日も積雪の日もチャリで片道5kを通ってました)に進学、部活も最初は運動部に入部したが、馴染めず途中退部し、帰宅部に入部し卒業まで過ごしました。しかし、その間もプロレスラーへの夢は諦めきれず、当時は少なかったトレーニングジムに入会しトレーニングしたが、体重も中々増えず、悶々とした日々を過ごし、就職か大学へ進学かを決める際に、自由に使えるお金を稼ぐため、沢山試合をやっている東京にある会社に就職するために、就職へ。全国展開している会社に就職し、運良く東京勤務となり、沢山試合を観れるとワクワクしながら上京しましたが・・・ つづく(笑)

来月のignite大会でアマチュアプロレスデビューから1年が経ちます。そこでアカウントはあったが開店休業状態だったブログで、プロレスとの出会いからふアマチュアプロレスラーになるまでを辿ってみようと思います。まっ、40数年前からの話なので思い出しながらになります。


さて、最初にプロレスに触れたのは、当時金曜日の8時から1時間番組で放送していた新日本プロレスでした。

初代タイガーマスクがデビューした頃で、東北の田舎に住んでいたハナタレ小僧には、アニメで見ていたキャラクターが実写で動いている事はとても衝撃的でした。

そして、当時は選手のテーマ曲がカセットテープで売られていて、お年玉で買った自慢のカセットテープを広い友達の家に遊びに行く際に持って行きプロレスの真似をする時に入場からやってました(笑)

また、プロレスの雑誌も色々あり、時々あったチャンピオンベルト特集の本を買った際には綺麗に切り取って、実物大のチャンピオンベルトを作って遊んでました。

学校では、昼休みになると体育館の用具倉庫に行き走り高跳びに使うマットの上で遊んでは先生に見つかり、よく怒られてました・・・

その後、日曜日の同じ時間帯には全日本が放送されているのも見るようになっていましたが、何故か、新日を多く見ていた記憶があります。